27場 職人を舐めてはいけません
「うう……。暗い……。明かりを持っていかれたのが痛いわ……」
鎖を手繰り寄せながら、メルディはひとりごちた。
牢屋の外からは何の音もしない。明かりがないので、見張りがいるかどうかもわからない。何度叫んでも、返ってくるのは反響した自分の声だけだった。
「とにかくここを出ないと……。牢屋があるってことは、昔のドワーフの横穴跡よね。きっと、どこかで今の横穴に繋がっているはずよ。マルクスのお師匠さまを助け出せば脱出路がわかる。マルクスの目も覚めるかも」
手繰り寄せた鎖を両手に巻き、両足をしっかり地面につける。そのまま全体重をかけて引っ張ったが、杭はびくともしなかった。
「もー! こんなことなら、もっと太っておけばよかった!」
今度は杭に両足をかけて鎖を引っ張る。こちらも破断する様子はない。
「ダメか。錆一つなかったもんね。牢屋の鉄格子は古そうだったのに……。わざわざ新しく用意したってこと? 悪趣味……」
脳裏にリアンの顔が浮かび、首を横に振る。あんな男に好き放題触られたかと思うと腹が立つ。この借りは絶対に返してやる。
何か役立つものはないかと周りを見渡すも、暗すぎて何も見えない。どこかにリアンが落としたナイフがあるはずだが、手の届く範囲にはなさそうだった。
「あとは、ヘアピンで手錠を外すしかないわ。でも、この暗闇じゃ……」
そっと後頭部に触れる。指の先には細くて硬い感触。後れ毛を留めているものだ。ポニーテールに隠れて、さすがのマルクスも見逃したらしい。
ヘアピンは二本しかない。うっかり落としてしまったら終わりだ。なんとかして明かりを持って来させないといけない。目的に気づかれないように。
「トイレに行きたいって叫ぶ? でも、明かりは置いてってくれないわよね。暗くて怖いって泣いてみようかしら。……信じてくれなさそうね」
腕を組んで唸っていると、がりがりと何かを削る音が聞こえた。無視しようかと思ったが、一度気づくと気になって仕方がない。
「ああ、もう。何? うるさいわね。考えがまとまらな……うるさい?」
こんな最深部で誰が音を立てるというのか。きっとリアンたちだ。音の方向を探れば、位置関係だけでもわかるかもしれない。
意識して呼吸を抑え、耳を澄ませる。すると、音がするのは地面の下からだと気づいた。
地面に這いつくばって耳を当てる。両手に微かな振動。もしかして、岩盤を削っているのだろうか。
「なんのために……って、ちょっと待って。なんでこっちに近づいてくるの? ええ、早……。もう、すぐそこじゃない!」
飛び退くように体を起こしたのと、ぼこ、と地面が陥没したのは同時だった。
穴の中から一筋の光が上に伸び、手袋に包まれた両手が現れる。思わず前のめりになったとき、こちらを向いた光が、闇に慣れた目を突き刺した。
「眩しっ!」
「おお、すまんすまん。まさか、真上におったとはの」
光の向きを下へずらし、穴から這い出て来たのは全身を土で汚したドワーフだった。
白色が混じった茶髪と長い髭が、闇の中で揺れている。フランシスとは違い、温和そうな顔つきだ。
額で煌々と輝くのは、即席で作ったらしきヘッドライトだった。カンテラのレンズ部分を取り外したものに、古びたベルトを通してある。
右手に持っているのも、木の棒にセレネス鉱石の塊が括り付けられた簡易の石斧だ。並の石より硬いとはいえ、よくここまで掘り進めて来られたものだ。
「あなたは……? リアンの仲間……ってわけではなさそうだけど」
「あんな小僧と一緒にせんでくれ。マルクスから聞いとらんか? わしはトゥール・モデストス。鉄錆通りに工房を構えるしがない職人じゃ」
「マルクスのお師匠さま!」
目を丸くするメルディに、トゥールは申し訳なさそうに眉を下げた。
「その通り。うちの馬鹿弟子が迷惑をかけて、本当にすまんなあ」
「捕まってたんじゃなかったんですか? 一体どうやってここに……」
つい声が大きくなり、はっと口を抑えた。この騒ぎがリアンたちに聞こえたらまずい。警戒するメルディに、トゥールが優しく声をかける。
「大丈夫じゃ。ここは闇と魔の魔素だまり。よほど耐性がないと長くはおられんよ。人数もそう多くない。見張りは要所要所に置いて、決まった時間に巡回に来よるだけじゃ。あと、わしに敬語はいらんよ。そんな柄でもない」
どっこいしょ、と地面に腰を下ろしたトゥールがメルディを繋ぐ鎖を手に取る。
「酷いことを……。可哀想に。心細かったろう。今すぐ外してやるからの」
「あっ、待って。石斧で壊すと、さすがに気づかれるかもしれないわ。金属音って響くし……。ヘアピンで鍵を開けるから明かりで照らしてくれる?」
「お嬢ちゃんに外せるかの?」
「手錠なんてね、今まで腐るほど作ってきたのよ。こんなの朝飯前よ」
トゥールに手元を照らしてもらい、髪からヘアピンを抜き取り、形を整えて鍵穴に突っ込む。
首都の警備隊はお得意さまだ。仕組みは隅から隅まで熟知している。鍵を無くして開けてほしいという依頼も何度かあった。記憶と感覚を頼りに指を動かす。
「ほっほ。頼もしいのう。さすがクリフとアルティのお弟子さんじゃな」
「ありがと。それで、一体どうやって装備を調達して抜け出してきたの? よく見つからなかったわね」
「お嬢ちゃんには申し訳ないが、わしはもうちょっといい部屋にいての。あいつらの武具を調整する代わりに、魔石灯も工具もあった。正気を保つためにセレネス鉱石も与えられとったしな。マルクスからは隔離されとったが、情報も逐一入ってきたぞ」
ヘッドライトも石斧も、手元にある道具を分解して作ったというわけか。さすが魔技師。魔具の扱いに長けている。
しかし、メルディは何ももらっていない。聖の魔素を多く取り込んでいるから、魔属性に弱くなるとレイに言われているのに。
そうぼやくと、トゥールは顎に手を当てて首を捻った。
「レイってあのハーフエルフの魔法紋師か。ヒト種は取り込んでもすぐに抜けるからなあ。今、気持ち悪くないなら、もう聖の魔素は抜けたのかもしれんの。そもそも、魔の魔素は心が強い人間にはなかなか入り込めん。お嬢ちゃんは大丈夫と思われたんじゃろ」
捕まえられた相手にそんな太鼓判を押されても嬉しくはない。口を尖らせるメルディに、トゥールが目尻に皺を寄せて笑う。
「そんな顔しなさんな。お嬢ちゃんが諦めずに叫び続けてくれたおかげで、位置がすぐわかったんじゃ。あいつら、わしが魔法を使えんと思って油断しとったんで、捕まったその日からこつこつ掘っとったんじゃよ。ゼロから一を生み出すのがわしらの十八番。職人を舐めとったらいかんってことじゃ。じゃろ?」
ウインクするトゥールに、強張った肩の力が抜ける。
きっとトゥールがそばにいたから、マルクスは己の魔力に飲まれずに済んだのだろう。「師匠の命を守るためならなんでもやる」と言った意味がわかったような気がした。
「確かにそうね。……っと、外れた」
右手首から外れた手錠がカシャンと地面に落ちる。自由に腕を動かせるというのは素晴らしい。
得意げに肩を回すメルディに、トゥールが「えらいえらい」と目を細める。
「若いのに大したもんじゃ。あの鎧を作れたのも納得じゃな。コンテストの結果が発表されたとき、フランシス坊も感心しとったよ。決して偽物なんかで汚していいもんじゃない。不肖の弟子が本当に申し訳ないことをした」
「……嫉妬したって言われたわ。だから偽物を作ったんだって」
「言い訳にしかならんが、あいつは焦っとったんじゃ。わしが金槌を振るえんようになってきたから」
「え?」
目を丸くするメルディに、トゥールは寂しそうに微笑んだ。
「去年から肩を壊しとっての。そろそろ工房をマルクスに任せようかと思うとった矢先じゃった。きっと、コンテストで優勝して箔をつけようとしたんじゃろうのう」
「そうだったの……」
もし同じ立場に立たされたら、メルディも同じことをするだろう。偽物には決して手は出さないが――優勝するまで作品を応募し続けたはずだ。
ただ、誰しもがそのモチベーションを維持できるわけではない。レイもアルティも、スランプになった経験があると言っていた。
今は「絶対に諦めない!」と息巻いているメルディとて、いつかぽっきりと折れてしまう日が来るかもしれない。マルクスの悩みは、決して人ごとではないのだ。
「つまらん話をして悪かったの。そろそろ、わしが抜け出したのがバレる頃じゃ。早く脱出せんとな。この先にドワーフの横穴に続く通路がある。ところどころ崩落して迷路みたいになっとるが、その分時間も稼げるじゃろう」
オルレリアンが落としたナイフを回収し、穴に潜ったトゥールに続こうとして、ふと足が止まった。そんなメルディの顔をトゥールが見上げる。
「どうした? 怖いかの?」
「……スライム出ないよね?」




