17場 飴と鞭は使いよう
頬を撫でる風が心地いい。
荷台の下に広がる景色を眺めながら、メルディは大きく伸びをした。
膝にはロビンと名付けた熊のぬいぐるみ。
ロッテン領の馬宿を出て三日が経っても、ロビンはメルディから片時も離れなかった。レイにもらった熊のぬいぐるみにやきもちを焼くのは困ったが、もう一人弟が増えたかと思えばそれも可愛い。
「その熊、お姉ちゃんにすっかり懐いたね」
「メルディは仕事でよくセレネス鋼を加工するから、人より取り込む聖の魔素が多いのかもしれないね。ただ、すぐに抜けちゃうんで、属性を持つまではいかないけど」
「エスメラルダさんみたいに聖属性の魔法が使えたら格好いいのにな〜。炉の火力も簡単に上げられそうだし」
「いいことばっかりじゃないんだよ。その分、魔属性には弱くなるんだからね。短剣なくなっちゃったんだから、できるだけロビンと離れるんじゃないよ」
心配してくれるのが嬉しいなんて、バレたらまた呆れられそうだ。
宿でマルクから聞いた話はメルディの心に爪を立てた。好きな人が自分をなんとも思っていない事実なんて、できれば知りたくなかった。
けれど、今さらこの気持ちが変わるわけでもない。こちとら十三年も片思いしているのだから。
「そうよ。鉄は何度も叩いて強くなる。ただでさえ寿命が短いのに、こんなことでめげている場合じゃないわよね」
「お姉ちゃん、なんか言った?」
「ううん。何も言ってない」
しれっと嘘をつき、向かいで居眠りしているマルクに目を向ける。美形だと思っていたが、まさかエルフの血を引いていたとは。
あれからマルクはあまり距離を詰めてこなくなった。グレイグが始終そばにいるからか、それともロビンが怖いからかはわからない。
そろそろ旅も終盤だ。ウィンストンに着いたらきちんと話し合わなければ。マルクに求められて嬉しかったけど……それでも、メルディが望むのはレイだけなのだ。
「みんな、そろそろ降りる準備してね〜。ウィンストンに着いたよ〜」
席を立ち、荷台の前方から下を覗く。土と岩しかない大地の中に、数多くの人の営みが見えた。
ウィンストンは鉱山と工場と蒸気の街だ。一際高い煙突はドレイク製鉄所の高炉だろうか。その後ろには、天を貫くようにグロッケン山が聳え立っている。
「いよいよ着いたね。ブラムを捕まえて、偽物の製作をやめさせなきゃ!」
気合いを入れるメルディに、レイがため息をついたのは気づかないふりをした。
「は〜い。これで全行程終了だよ〜。お疲れさまでした〜」
「エトナさん、ピーちゃん。ここまで連れてきてくれてありがとう!」
「なんの、なんの〜。仕事だからね〜。帰りは飛竜便に乗るんだっけ〜? その頃にはリヒトシュタイン領の飛竜の群れはいなくなってると思うけど、気をつけてね〜」
入場門の手前、数多くの旅人たちが行き交う一角で、メルディたちは荷台から降りた。
目の前にはウィンストン市を囲む城壁と、その中から立ち上る蒸気機関の煙。そして、職人たちが振るう金槌の音がひっきりなしに聞こえてくる。
ここは希少なセレネス鉱石をはじめ、鉄や銅など人の生活に欠かせない鉱石が多く取れる場所だ。出稼ぎで他領から流れてくるものも多く、全体的に荒んだ空気を醸している。
瓦解したラグドールと山を挟んで接しているため、不法入国者も後を絶たないという。治安の悪さは首都の職人街の比じゃないだろう。気を引きしめなければ。
「決意をみなぎらせてるところ悪いんだけどね。ブラムを捕まえるのに君は連れて行かないよ。ロビンと一緒に宿で大人しくしてな」
「えっ、なんで? そんなの嫌だよ。私も行く!」
「ダメに決まってるでしょ。相手は闇ギルドの連中なんだよ。あいつらには常識も倫理観も通用しない。君みたいな女の子、一瞬で一捻りにされちゃうよ」
「そうだよ、メルディちゃん〜。ヒト種の女の子には危ないって〜。何かあったらアルティくんたちが悲しむよ〜」
左右から説得されて、戸惑うよりも先に怒りが湧いた。今までずっと、仕事でも感じてきた言いようのない怒りだ。
女だから、まだ若いからと何度も押さえつけられてきた。今回もそうだ。心配されて嬉しいなんて思っていた自分を殴りたい。
「女だからって何よ! グレイグはいいのに、どうして私はダメなの? ママだって現役時代はバリバリ戦ってたじゃない!」
「リリアナさんとグレイグはデュラハン。君は力のないヒト種。正直言って、足手まといなんだよ。魔物を相手にするよりも、人を相手にする方が百倍厄介なんだ。ここまで連れて来たのが最大限の譲歩なんだから感謝してほしいね」
正論がグサグサと刺さる。口調もいつもよりきつい。それだけ本気なのか。なんとか言い返そうと言葉を探していると、マルクがすっと間に割り込んできた。
「レイさん、さすがに言い過ぎじゃないですか? メルディはもう成人してるんですよ。ただの非力な子供じゃない。それを頭ごなしに……」
「君は引っ込んでな。元はといえば、君のお師匠さんが原因でしょ。僕には親友の娘を預かってる責任があるんだよ」
「パパだって私と同じことをするはずだよ! ねえ、レイさん。お願いだから連れてってよ。足手まといにならないように気をつけるし、絶対に危ないことはしないから」
レイの胸に縋ると、さりげなく体を離された。拒絶の姿勢に焦燥感が募る。
「聞きわけのないことを言うんじゃないの。これ以上ごねるなら、このまま帰り便に放り込むよ。どうする?」
最後通牒を突きつけられては、返事は一つしかない。「わかった……」と項垂れるメルディに、マルクが気の毒そうな顔を向ける。マントのフードに入っているロビンにもよしよしされ、思わず泣きそうになった。
「これで話はついたね〜。じゃあ、ボクはそろそろ行くよ〜。この度はご利用ありがとうございました〜! またご指名してね〜」
空高く舞い上がったエトナとピーちゃんを見送り、メルディたちは市内へ足を踏み入れた。懐かしい鉄とコークスの匂いが鼻をついて、さらに切なくなる。
先導するマルクとレイの後ろをとぼとぼと歩くメルディに、近寄って来たグレイグが耳元で囁いた。
「お姉ちゃん、元気出して。レイさんはただお姉ちゃんが心配なんだよ」
「子供扱いして何もさせてくれないのは心配なの……?」
「そうだよ。お姉ちゃんには戦う力がないんだからさ。遠ざけるのはそれだけ大事だってことでしょ。前向きに捉えなって」
とても素直に頷けない。黙り込むメルディに、グレイグがため息をつく。
「ところで、僕たちどこに向かってるの? 宿?」
話題を変えることにしたようだ。グレイグの質問に、レイが前を向いたまま答える。
「ブラムの工房」
「えっ……?」
顔を輝かせるメルディに、レイが自分の耳を掻いた。照れくさいときにする仕草だ。
「勘違いしないで。殴り込みに行くんじゃない。前からチラ見するだけだよ。……まあ、製作者としてはどんなとこで偽物が作られてるかは気になるだろうからね」
「レイさん……!」
背後から抱きつくと、レイは「暑いからやめな」と言ってメルディを振り払おうとした。
それでもしがみつくメルディを見つめるマルクに気づき、さっと体を引く。心を寄せてくれる相手の前で抱きつくなんて考えなしだった。心の中で反省する。
「みんなお姉ちゃんには甘いんだから……。工房ってどのあたりにあるの?」
「工房は大通りを抜けた先の、ドレイク製鉄所の近くにあります。鉄錆通りの真ん中あたりですね」
鉄錆通りとは、ドレイク製鉄所を中心として形成される職人街だ。首都の職人街みたいなもので、ドワーフの横穴を飛び出したドワーフや、他種族の職人たちが日夜しのぎを削っているらしい。
「なんだ。一等地じゃん。てっきり路地裏の薄暗いところにあるのかと思ってた」
「ちょっと、グレイグ。失礼でしょ」
「いいよ、メルディ。何を言われても仕方のない立場だから。……でも、俺はどうしても師匠を取り戻したい。ここまで一緒に来てくれて、本当にありがとう」
甘い砂糖菓子すらも溶けてしまいそうな笑顔を向けられて思考が停止する。
黙って頷くメルディの頭に、フードから抜け出たロビンが這い登ってきた。
そのままマルクに腕を伸ばし、抗議するように上下に振りながら苛立たしげに地団駄を踏む。
「ちょ、ちょっとロビン。痛……くはないけど、やめてよ。髪の毛がぐちゃぐちゃになっちゃう」
「やきもち焼いてるんじゃない? お姉ちゃんも罪深いよね」
これがモテ期というものだろうか。
これ以上暴れられないようにロビンを抱きしめたとき、前方からざわめきが聞こえてきた。
何やら人だかりができている。小柄さを活かして隙間に潜り込んだレイが唸るように呟く。
「……やられたね」
焼け落ちた工房が、その無惨な姿を晒していた。




