11場 スライムだらけのダンジョン①
洞窟の中は蒸し暑く、ひどくじめじめとしていた。
天井から滲み出た水が剥き出しの地面をぬかるみに変え、道行をさらに不快なものにさせる。
壁にはいつ設置したのかわからない松明がかけられているものの、どれもが湿気てしまっていて、本来の用を成さない。
レイが書いた光の魔法紋と魔石カンテラの明かりで視界は確保できているが、おかげで見たくないものまで見えてしまう。
「ひい……。うじゃうじゃいるう……」
ブーツの先を泥で汚しながら、メルディは酸よけのシールドを手に身ぶるいしていた。
周囲には大小様々なスライムたちが蠢いている。温和な性格なのか、定期的に乾燥剤を撒いているからか、一定の距離を保って近づいてはこないが、それでも気持ち悪いことには変わらない。
「たまに金ピカなやつがいるけど、ゴールドスライムかなあ。捕まえたらお金になるんじゃない?」
「冗談でもやめてよグレイグ。いくらお金になっても、スライムと一緒に旅するなんて絶対に嫌だからね」
「あれはブラススライムだと思いますよ。金に似てますけど、少しくすんでますから」
マルクの説明にグレイグが「詳しいね」と返す。
「ねえ、レイさん。ブラススライムって、真鍮を核にしてるんだよね? 真鍮って合金でしょ。なんでこんな洞窟の中にいるの? というか、なんでこんなにいっぱいいるの……」
「泣きそうな声出さないの。ここは昔、ドワーフの横穴があったんだってさ。作業場か倉庫に残ってるやつを餌にしてるんじゃない? スライムは湿気が多いところを好むから仕方ないよ。しっかりしな」
ドワーフの横穴とは、地下や山中に広がるドワーフの集落のことだ。
レイの言葉に、マルクが真剣な表情で頷く。
「だとしたら、慎重に進まないといけませんね。ドワーフの横穴は防犯レベルが高いですから、侵入者撃退用の装置が残ってるかもしれませんし」
「マルクの工房もドワーフの横穴の中にあるの? ウィンストンにはグロッケン山っていう大きな山があるよね」
マルクはメルディより二十センチ以上は高い。顔を見上げて話しかけると、何故か視線を逸らされた。頬もなんとなく赤い。暑いのかもしれない。
「う、ううん。師匠は仲間から孤立してたからね。工房はグロッケン山の外にあるんだ。だから悪いやつらが集まってきても、助けを求められなくてさ……」
「あっ、そうか……。ごめんね、嫌なこと思い出させて」
「大丈夫。こっちこそ、気を遣わせてごめんね」
微笑むマルクに微笑み返す。同年代とこんなに話すなんていつぶりだろう。最近はレイに会いに行く以外は工房にこもりっきりだったから新鮮だった。
そんなこんなで会話を重ねつつ、道なき道を歩き続けること数時間。元気いっぱいのメルディもさすがに疲れてきた。それに気づいたレイが、足を止めてこちらに向き直る。
「そろそろ休憩にしようか」
「え? でも、まだ半分も行ってないよね? 私なら大丈夫だから、先に進もうよ」
「下手な嘘をつくのはやめな。マルクだって、疲れてるでしょ」
「あっ、お、俺も大丈夫です」
とは言うものの、メルディが見ても辛そうだ。空元気を装う二人に、レイが顔をしかめる。
「若い子ってこれだから……。心配しなくてもまだ日は暮れないし、休憩って疲れてなくても定期的に取るもんだよ」
「そうだよ、お姉ちゃん。僕疲れた。喉も乾いたし」
「あんたデュラハンじゃないの。このぐらい大したことないでしょ」
「やだなー。デュラハン差別だよ。図体はでかくても、まだ子供なんだからね。労わってよ」
グレイグの言葉を聞き入れ、一行は脇道の先の少し広いスペースで体を休めることにした。近くに湧き水があるのか、ちょろちょろと水が流れる音が聞こえる。
スライムが近寄ってこないよう、結界の魔法紋を縫った敷物の上に座り込むと、疲れが一気に来た。下ろしたリュックにもたれて脱力するメルディに、グレイグが氷魔法で冷やした水を持ってきてくれる。
マルクとレイは連れ立って用足しに行った。ダンジョン内では絶対に一人にならないのが鉄則である。
「はあ……。生き返る……」
「休憩してよかったでしょ。焦る気持ちはわかるけど、昨日みたいに具合悪くしちゃ意味ないって。ヒト種だからダメとか、デュラハンだから平気とかじゃなくて、お互い支え合っていこうよ。我慢して頑張りすぎたら、周りも苦しくなっちゃうし」
「うん、ごめん。確かに焦ってたかも。一人じゃなくて、チームで旅してるんだもんね」
「わかってくれたらいいよ。無理せずに行こう」
頷くメルディに、グレイグが笑みを浮かべた。
そのまま、しばし黙ってカップを傾ける。レイとマルクはまだ戻ってこない。どこまで行ったんだろうか。
「それにしても、お姉ちゃんさあ。マルクにやたらフレンドリーじゃん。レイさんしか目に入んないんじゃなかったの?」
「え? レイさんしか目に入ってないよ? そんなに仲良さそうに見えた?」
「うん。お姉ちゃんが眼中になかったとしても、周りの人にはわからないでしょ。もし、マルクを好きな人がいたら悲しむと思うよ。レイさんが女の人と仲良くしてたら嫌でしょ?」
「考えるだけで嫌だ!」
強く拒否すると、グレイグは優しく言葉を続けた。
「誰に対しても素直なのはお姉ちゃんのいいところだと思うけど、やりすぎはダメだよ。御者のときもそうだけど、距離感考えてね」
「手を握ったこと? パパにはいつもやってるんだけど」
「パパと一緒にしちゃダメなんだって。ああ、こんなこと言うつもりじゃなかったんだけどなあ。あとはレイさんに聞いてよ」
逃げるように腰を上げたグレイグに首を傾げる。言っていることがわかったような、わからないような……。ちょうどレイたちが戻ってきたので、すす、と音もなく近寄る。
「ねえ、レイさん」
「何? メルディもトイレ行きたい? グレイグに連れてってもらいな」
「違うよ! あの……」
言葉が出てこない。なんて言えばいいのか。父親とレイ以外の男性との距離の取り方? そんな馬鹿なこと聞いたら、また呆れられるような気がする。
「ごめん。なんでもない」
「おかしな子だなあ。やっぱり疲れてるんじゃない? 少し長めに休憩とるから、ゆっくりしてなよ。もう、昔みたいにおぶってはあげられないからね」
「……ありがとう」
気遣ってもらえたのに複雑な気分である。話は終わったと言わんばかりに荷物の整理を始めたレイに、そっとため息をつく。
「メルディ、大丈夫?」
「え、うん、大丈夫!」
マルクに顔を覗き込まれて、声がひっくり返った。やたら距離が近い。さっきグレイグに言われたことが頭にちらついて、変に意識してしまう。
「そう? なんだか顔が赤いけど……」
首を傾げるマルクの後ろで、レイがじっとメルディを見つめている。調子が悪いのを隠しているのかと疑われているのかもしれない。
マルクから距離を取ろうと、前を向いたまま背後に足を踏み出す。地面がぬかるんでいたせいで滑ってしまい、咄嗟に壁に手をついた。
その瞬間、かちりと音がしたかと思うと、あたりが一斉に黒い闇で覆われ、視界がゼロになる。
「わっ、な、何っ」
「メルディ! 声を出して腕を伸ばしな!」
「レイさん! 私はここだよ!」
パニックになりながらも、レイの声を頼りに腕を伸ばす。
光魔法の明かりが見えたと同時に、誰かが腕を掴んだ感覚がしたが、確かめる間もなく周囲の音が遠ざかっていった。




