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「ヒガンさん、お茶どうぞ。」
「おおきに。」
「ごめん……。」
月乃がこぼしたお茶を処理してお茶を注ぎなおしてヒガンさんの前に置く。
ヒガンさんはすぐの手にとって一口飲んだ。
もしかして喉が渇いているのだろうか。
「んで、何やっけ?」
「シガンには匂いがわかんないってとこまでだよ。」
「ああ、せやったせやった。シガンにはわからんねん。」
お茶を処理している間にエアコンの下に移動しわちゃわちゃしていたヒガンさん以外の怪異達が一斉に動きを止めて姿勢を整えた。
ヒガンさんはお茶の入ったコップをローテーブルに置きながら清潔だがボサボサな髪に触れながら続ける。
「せやから、シガンは実家がお前らの事を認知しとる事を知らへん。」
「ヒガンはどうしてシガンにその事を黙っているんですの?」
私が一番気になっていたところを聞く前にメリーさんが質問する。
シガンさんとヒガンさん、どちらかが気づいたのなら即座にもう一人の耳に入ると思っていた分余計に気になっていたのだ。
「あいつアホやからな。言わへん方がええ。」
「言うと何か不都合があるんですか。」
「不都合というか、あれや、あいつ甘いからな、帰省するとか言いかねへんねや。」
「あれ?シガンさんって実家のこと嫌いなんじゃ無いの?」
不思議そうな顔をした月乃が混乱したように自分の頬を突つく。
私はミルクコーヒーに口を付けながら考える。
そういえば、月乃達には実家と本家のこと話してなかったか。
「おん?つつじ、本家の話せんかってんか?」
「端折りました。」
「端折ったんじゃなくて話す気がなかったの間違いじゃねぇのか?」
「そもそもシガン達の実家について話すこと自体つつじにとっては予想外だったんでしょ。そりゃあ全部まともに話すわけないよね。」
あかねとフェレスの鋭い推測を無視していると、ヒガンさんが説明してくれた。
月乃は何も分かっていなさそうだが。
「そもそもおれらんとこの家系はそう小さいもんじゃないんや。本家やら分家やら、その家系はとんでもなく広かった。」
「広かった?」
「せや。時代もあるんやろうけど、だんだんと“視える”人間が減ってきよってな。おかげで今や“視える”人間が常に生まれてくるんはやったのニ家。一個がおれらの家で、もう一個が本家に当たる家や。んで、おれらが警戒しとるんは本家の方や。」
「じゃあ、つつじがこの前言ってた話は……?」
「半分はシガンさん達の実家、もう半分は本家の話。」
私が聞いた話では本家の方が色々と怖いが、シガンさん達の実家も相当だった。
シガンさん達の実家にも古い風習的な物は残っていただろうし、本家よりの考え方をする人も多かったはず。
ただ、それを差し置いても脅威になるのは本家。
そんな事をシガンさんは言っていた。
ただ、風習の内容や本家の考え方などを事細かに教えてくれたわけでは無いので話のニュアンス的に私がそう感じただけの感想に過ぎないが。
「えぇーっと?つまり、ヒガンさん達の実家は普通だけど、その本家がよく無いの??それなら別に帰省してもいいんじゃ無い?」
「半分はって言ったでしょ。」
「せや。それに、シガンは楽観視しとるけど実際は本家寄りの人間も多い。下手に帰って本家に連行されたら敵わんからな。」
あっけらかんというヒガンさんの納戸色の瞳は一切笑ってはおらず、本気で実家と本家を危険視している事が分かる。
ただ、月乃はそれに気づいた様子はなく無邪気な質問をしていた。
「本家に連れてかれるとどうなるの?」
「さぁな。ろくな事にはならへんやろうけど。」
「分かんないの?」
「ああ、分からへん。」
「じゃあ行ってみても大丈夫かもよ?」
ヒガンさん相手にまるで友達のような気軽さで話しているのも怖いが、その話の内容がもっと怖い。
こいつは話を聞いていたのか?
「大丈夫じゃなかったら終わりだからシガンさんに言いたく無いんでしょ。」
「そうだぞ、どんだけ血が繋がってようが関係ねぇからな。」
「ホンマやで。何やらかしてくるか分からへん。」
「身内だからって話聞いてもらえるわけじゃ無いんだよ、月乃ちゃん。」
「月乃様、多分大丈夫じゃありませんわ。」
一斉に反論を喰らった月乃はピシッと固まったかと思えばすぐに肩をすくめて頬を膨らせた。
「そんな一斉に否定しなくても……。」
むしろ家庭環境の問題があかねと並んで大きそうな月乃が一番家族関係に関して寛容なのがおかしいのだ。
まぁ、ヒガンさん達の実家についてあまり話していないというのもあるのだろうが。
それにしたってお人好しがすぎる。
「そんな目で見ないでよ!大体、シガンさんは大丈夫だって思ってるんなら大丈夫かもしれないじゃん!」
「大丈夫じゃなさそうだからヒガンさんが止めようとしてるんでしょうが。」
「むぅぅぅー!」
やけ気味にお茶を飲み干す月乃には悪いが、こればかりは譲れない。
もし本当に大変な事になったら私にできる事は何も無いのだ。
ならば最初から伝えない方が良い。
「シガンは身内に甘い所あるからなぁ。アイツ、そんで苦労しとるはずなんに全く懲りてへん。」
「そうだぞ、月乃。もしシガンがこの辺の事を知ったら間違いなく自分から実家に行くと思うからな。」
「え?なんで?」
キョトン、としている月乃にみんなが言葉を失った。
ヒガンさんだけは楽しそうに笑っているが、それ以外は皆呆れているかそもそも顔がないかの二択。
私は大きくため息をつきながら仕方なく理由を説明してやる。
「シガンさん達の実家の人達は、もう既にだいぶ危ないことしてきてるのは分かるよね?」
刃物飛び交う帰り道といい死ぬかと思ったコミズサマといい、既に大きな実害が出ている。
それは理解していたのか月乃が頷くのを見てから続けた。
「それは実家の人達がシガンさん達を探してて、あわよくば連れて帰りたいからでしょ。言い方は悪いけど、この状況をシガンさんなら『自分のせいで周りに実害が出ている』って考える。シガンさんは優しいから、そんな事になるくらいなら実家に帰るっていい出すんじゃないかって考えてるの。」
だからこそこの件に関しては伝えずにのらりくらりと実家からのあれこれをかわしていくのが対処法としては最善なのだ。
もちろん、なんの解決にもなりはしない方法でもあるが、正直私はシガンさんに伝えるくらいならこれで良いと思う。
それに、ムースの悪戯よりはマシなところもある。
「う〜ん、よく分かんないけど黙っておけばシガンさんは大丈夫なんだね!」
「今まで何を聞いとったん?」
「私の説明が悪かったかもしれません。」
何も理解していなさそうな月乃を見て申し訳なさそうな顔をしているあかねとメリーさんが可哀想になってきた。
一方、ヒガンさんは楽しそうに笑いながらその様子を見ている。
「じゃあ逆に、月乃ちゃんは何が分からないの?」
「え?だって、シガンさんのせいじゃないじゃん!」
「んな事はみんなわかってんだよ!」
「じゃあ何でシガンさんが実家に行くの?」
「月乃さまぁ〜。」
月乃の疑問符に答えていくのは骨が折れそうだ。
察するに、月乃がわからないのはどうしてシガンさんが責任を感じる必要があるのか、という事だろう。
事実、シガンさんにはなんの責任もない。
ただ、シガンさんは優しいから自分のせいだと思いそうだから言うのはやめておこう、と言うのが結論だ。
おそらく月乃がシガンさんの立場だったら全く同じことを考えるのだろうが、自分ではなく他人がその立場に置かれているため上手く想像が出来ていないのだろう。
「まぁ、ええやん。おれはシガンにバレなきゃええし。」
「それもそうだね。月乃ちゃんに無理して理解してもらわなくっても、黙っててくれれば。」
「うぅ…。月乃様がお荷物扱いされてますわ……。」
「こればっかりは仕方ねぇ。後でもう一回説明するか……。」
「なんかごめんね、二人とも…。」
そんなこんなで今後実家に動きがあればまた対策会議を行う事を決めて一旦この話はおしまいになった。