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すっかり暗い校舎の階段を降りて靴箱に向かう最中、私は今それなりに必死で考えている。
何を考えているのかは明白だ。
「小戸路先生への言い訳どうしようかな……。」
このままいけば確実に怒られる。
私は先ほどの花車先生への即レスを思い出しながらしみじみと思う。
絶対に怒っている。
今まで小戸路先生に怒られたことはないが、なんとなく怒ると怖そうなイメージがある為絶対に怒られたくない。
さらにいうならば小戸路先生は今回の調査に私とキリカさんを強制参加させるほどの物理的に近い圧力を持っているのだ。
怒らせた時にその圧力をかけられては身が持たない。
いや、身というよりは精神か…。
そんなことはどうでも良い、今は言い訳だ。
無難な言い訳、無難な言い訳……。
そんな事を考えている間にもグラウンドへの道のりは消化されて行く。
ついには何も良さげな言い訳を思いつくことなく靴箱に辿り着き、靴箱から見えるグラウンドにはすでに人影がある。
その人影は私に気付いたようで、体を私に向ける。
言い訳は諦めて大人しく怒られるしかないのだろうか。
ため息をつきながら人影、小戸路先生に怒られる前に謝る。
怒っていたら怖いので顔は見ずに謝ろう。
「すいません、迷子になりました。」
「いえ、僕がもう少し気を配ればよかった所もあるので謝らなくても良いですよ。」
いつもと変わらない温度で返答が返ってきた。
これはもしや怒られない可能性。
怒っていなさそうな返答にホッとしながら小戸路先生の顔を視界に入れる。
視界に入れた事を後悔するのに一秒とかからなかった。
「迷子になったのは良いとして、どうして一人でフラフラと移動するんですかねぇ?」
笑顔で圧をかけてくる小戸路先生と目があった。
今は花車先生もいたため眼鏡越しではなく直接小戸路先生の目が見えるのもあり、その目がいっそう冷たく感じる。
確実に怒ってるわこれ。
グラウンドの端で傘を片手に仁王立ちする小戸路先生は私を見下ろしながらニッコリと笑っている。
「僕言いましたよね?もし逸れたら逸れた場所を動かずに僕が戻ってくるのを待つように、と。」
そんな事を言っていただろうか。
一切心当たりが無い。
そもそも覚えていたとしてもコミズサマに接触していたのだからその場で待つことはできなかったんだから覚えていたところで意味はないのではないか。
心の中で小戸路先生には絶対に届けられない言い訳をしている間にも小戸路先生は笑顔で数時間前に私とキリカさんを強制的に調査に参加させたのと同質の圧を強めている。
「わ、忘れてました……。」
「忘れてました?」
ああ、これ何を言っても圧かけられるだけだ。
何も言わなくても圧がかかるやつだ。
何をしてもしなくても悪化しかしないであろうこの事態をどうするべきか。
怒鳴られないだけマシだけどこういう圧かけられるタイプも苦手なんだよね。
ただ喚くだけとかただうるさいだけなら楽なのに、どうして小戸路先生もシガンさんも私が苦手な怒り方をしてくるのだろうか。
私が現実逃避を始めたのを見透かしたのか、今度は小戸路先生から口を開く。
「良いですか?今回は運良く合流できましたけど運が悪ければ合流するのに時間がかかりますし、暗い中で学校に取り残される、なんて事にもなりかねなかったんですからね?そもそも、話を覚えていないなんていつどんな場合でも危ないんですよ?そこら辺わかっていますか?」
「はい………。」
覚えていなかった事は怪異が関係のない手前言い訳ができない。
何も言えずに目線をどこか遠くへやるしか無い私を見て大きくため息をつく小戸路先生にビクビクしながら様子を伺うと、いつも通りの温度に戻った小戸路先生が私を見ていた。
「まぁ、とりあえず合流できたので良かったです。次行きますよ。」
「次はどこですか?」
「次は……そうですね、体育館にでも行ってみましょうか。」
あっさりと説教をやめた小戸路先生は体育館の方へと歩き出す。
慌ててついて行くと、いつも通りの低温会話が始まった。
「ちなみにどうして逸れたんです?」
「気づいたら一人でした。」
「方向音痴なんですか?」
これでも一度通った道なら一週間くらいは忘れないと言う微妙な特技はあるのだが流石に怪異の前では機能しなかった。
「本当に帰り道とか気をつけてくださいよ?ただでさえ不審者がいそうなのに……。」
「不審者いるんですか?」
そう言えば月乃が不審者どうこうと言っていたがそれと何か関係があるのだろうか。
小戸路先生は、気のせいかもしれませんが、と前置きをして教えてくれた。
「まだ校舎内で貴方を探している時、グラウンドにチラッと人影が見えた気がしまして…。」
「私かキリカさんたちだとは思わなかったんですか?」
「みたところ二人はいた気がしますが、テスト期間中にみた人達に似ている気がしたんですよ。」
それを聞いて私はとある男女を思い出す。
シガンさんとヒガンさんの実家の人間である男女。
あの日、私に接触をした二人は月乃にもちょっかいをかけようとした結果、私に見つかりあっさりと帰って行った。
小戸路先生やキリカさんにはその事は黙っておいたが、先生からしたらあの二人の認識は間違いなく“不審者”以外の何者でも無いだろう。
「まぁ、この前も何事も有りませんでしたし今回も大丈夫では?」
怪異と関わりが深いであろうあの二人を能力持ちでは無い小戸路先生と関わらせたくは無い。
できるだけ距離を置けるようにするのが最善だろう。
あわよくば小戸路先生にはあの二人の事は忘れていただきたい。
「………そうですね。深く考えるのはやめましょう。見間違いかも知れませんし。」
言いながらまた別の話題で会話をしながらコミズサマ調査を進めて行くことになった。
「で?結局その後は何事もなく終わったの?」
「そうだね。キリカさん達の方も何も無かったって。」
小戸路先生と体育館を見た後、まだ回り切れていなかった場所を見終えた。
キリカさん達と小戸路先生が連絡をとった結果、早めに終わった私と小戸路先生は先に帰ってもいい事になった。
そして送っていくと言う小戸路先生を振り切り報告をしつつフェレスと帰宅している途中が今だ。
フェレスは珍しく頭に乗らずに自分で歩いている。
「条件についてよくわからなかったけど、その不審者は怪しいね。」
「だよねぇ。もしかしなくとも怪異を送り込んできてる。」
出所がよくわからない怪異が学校に出ることが少し不思議だったが、シガンさんの実家が関わっているのならその理由も頷ける。
シガンさんの実家……この前は言わなかったが、正確には実家ではなくそれに連なる親族らしいが、彼らは怪異を使役することが出来るのだろうか。
長く続くと言う視える一族だし、それくらいできても不思議はないけど。
「もしかしたら月乃の不審者も関係あるかも。」
「いや、そっちは違うんじゃない?」
「何で言い切れるの?」
「僕は会ってないから分かんないんだけど、月乃ちゃんが話しかけられたの、二人組じゃなくて男一人だったらしいんだよね。それに、月乃ちゃんが能力持ちだって事にも怪異の事にも一切触れなかったみたい。」
確かに、シガンさんの所の人なら間違いなく月乃に怪異関係の話題を振るだろう。
それ以外に月乃に接触する必要もないだろうし。
「能力持ちだって気づかなかった可能性……はないか。」
「ないね。だって能力持ちは外見の特徴が大きいから。」
「まぁ、目の色がね……。」
能力持ちは能力持ちになった、と言うよりは怪異が“視える”ようになった人間は、自身の目の色が変わってしまうのだ。
例えば月乃なら、初めは焦茶のような一般的な色をしていた瞳がメリーさんやあかねを認識して能力持ちとなる事でその目の色が猩々日に変化している。
能力持ちになったその時に月乃がすごい顔して目の色について聞いてきた事を今でも覚えている。
ちなみにこの目の色は、“視える”人間か怪異にしか認識ができないため周りの人間に厨二病を疑われる事はない。
「そう言えば、前に会ったシガンさんの実家の人、特に目の色は特徴的じゃ無かったような…。」
「多分色が黒とか茶色だったんじゃない?」
「そんなもんか。」
今回の件に対する考察をしつつ家に帰る。
もう七月にも関わらず今こんなにも暗いと言う事はもう随分な時間なんだろうなぁ、なんて思いながら歩いた。