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紫の刹那でひとひらを察するには  作者: こたつ
深紫の学校探検
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 赤ん坊は、未だ泣き止む事なく四つん這いで動いている。

見たところただの赤ん坊に見えるが、こんな所に居る時点で人間では無い。

 赤ん坊はまだ泣いているが、その目は何かを探すように動き回っていた。

獲物を探す目……ではなく、ただただ何かを探しているような感じだ。

 少なくとも、危害を加えるために探しているような気がしない。

 とは言っても、子供なんて無邪気に殺生をするものだ。

見つからないに越したことはないだろう。

なるべく目を合わせないようにして赤ん坊の方を伺いながら息を殺す。

 赤ん坊は近くに私がいることが分かっているのか、私のすぐそこで止まったまま動かない。

隙を見て赤ん坊から離れなければ。


ほぎゃぁぁぁ!ウェッ、んぎゃぁぁぁ!………うぁ?


 あ。

 赤ん坊に気づかれたかもしれない。

 一瞬、時が止まったかのように泣き声と赤ん坊の動きが止まった。

赤ん坊はその体に不釣り合いなほど大きい目を止め、何処か一点を見ている。

その視線は私を突き刺していた。


あー?


 子供らしい甲高い声が空気を揺らした。

その瞬間、重苦しい空気が私の背に伸し掛かり、動きを止める。

体の芯が震えて止まらず、うまく体を動かせないのだ。


「………ぇ‥。」


 声帯も震えてしまい、声すら出ない。

視線一つ動かせない私が見えているのかいないのか、赤ん坊は視線を動かさずにじっと一点を見つめている。

 まるで私に見えない何かが見えているかのようで、その異質さをさらに強めた。

真っ暗で何も見えないはずの空間にぼんやりと浮かぶ赤ん坊は、泣き出す事はなくじっとしている。

 崩れ落ちそうな沈黙が充満した空間は息がしにくかった。

焼けそうなほどに喉が痛い。


う う うぁぁぁぁぁん!


 充満した空気を、泣き声が撹乱する。

ビリビリと空気をふるわす鳴き声によって一気に破られた沈黙と緊張が霧散した。


「あ……、軽い…。」


 それと同時に金縛りのような体の震えも止まり、気づけば廊下に座り込んでスカートが床の水で濡れていた。

 急に空気を重くしたと思ったら、今度は軽くした……?

何のために?

どうしてさっきの間に襲って来なかった?

 噂では溺れたり体調不良になったりするはずだったのに、金縛りにあっただけで能力持ちだからと襲われたわけでもない。

 赤ん坊は未だ威嚇するように泣き続けている。


 ほぎゃぁぁぁ!!


 烈火の如く泣き続ける赤ん坊の声は大きくなっていき、それに呼応するようにまた少しだけ金縛りのように体が震える。

また金縛りだろうか?

だとしたらどうして金縛りを掛け直すのか。

さっきの金縛りを解かなければ私は金縛りになったままだったというのに。

 私に害をなすつもりがあるのかないのか、赤ん坊の目的が読めない。

いや、赤ん坊の怪異ならば思考まで赤ん坊なのか?

わからない。


「____そもそも、何で急にこんな噂が……。」


おぎゃぁぁぁぁ!


 思わず今考えるべきではない事まで思考の根を延ばしてしまったその時、一層大きく水面が揺れた。

 大きな泣き声と共に赤ん坊がその短い腕を私に向かって伸ばして急速に接近する。

私の反射神経では座り込んだまま目を瞑るのが誠意いっぱいだった。

 目を瞑ったその瞬間に、一際大きな泣き声と冷たい水が私を襲う。


「いっ……!」


 冷水は異常なほど冷たい。

寒い。

痛い。

苦しい。

怖い。

もはや冷たい寒いを通り越して色々な場所が痛い。

 しかも、何故か無意識に体が震え出している。

凍死待ったなしといった具合には体が痙攣して心臓が急速に動いている。

 もうコレはダメかもしれない。

保険も機能していないようだし、今は寒さで動けそうもないのだ。

できることがない。

 いよいよ頭がぐらぐらしてきた。

赤と青に点滅する瞼の裏がぐるぐるとと回っている。

床に手をついてゆっくりと閉じていた目を開けてみる。

 ぐわんぐわんと揺れる水面は、本当に揺れているのか私の視界が揺れているのか分からない。

赤ん坊の鳴き声だけは響き続けているが、その赤ん坊が何処にいるのかも分からない。

 視線を上げれば探すこともできるのだろうが、手をついて体を支えることが今できる全てだ。

体を起こせそうにない。

 あー、こんな事なら昨日宿題なんか放り出して読み途中の本読んでゴロゴロして本読むんだった。


おぎゃぁぁぁ!!


「っ____あっ…。」


 一際大きな泣き声で揺れた空間のせいか、ずるりと冷たい水の奥の床についていた手が滑った。

 あ、顔面から逝く……。

先ほど開けたばかりの目をもう一度閉じ、冷たさに備える。


「ぐえっ!」


 冷たくは無かったが、吐きそうになった。

思わず目を見開いて違和感のあった腹部を見るが、特に変なものはない。

代わりに腹部を強く押された感覚だけが残っていて吐き気が漂うだけだったが、私にはそれで何が起きたか何となく分かった。


「危ないから目は開けといた方がいいんじゃない?」

「もうちょい良い助け方無かったの?」


 何処からか聞こえる声は間違いなくフェレスの声で、ようやく保険が適応されたのだとさとる。


「しょうがないでしょ!だってシガンから連絡が来たと思ったら月乃ちゃんもなんか不審者がどうとか言ってたんだから。」


 もしかして、赤ん坊が急に攻撃的になったのはフェレスが自分の領域に侵入したからだったのだろうか。

 その辺りのことも月乃の不審者も気にならないではないが、今は赤ん坊に集中しよう。

とは言っても、フェレスが来た以上私はただ見ているだけだが。


「赤ん坊は何処にいるの?」

「わかんない。でも、僕が助けてからは威嚇も攻撃も止んでるんだよね。」


 フェレスの言葉でさっきまでの威圧感や異常な水の冷たさ、体の震えが止まっていることに気づいた。

体が軽いし眩暈もしない。

 でもまだ濡れてるから寒いっちゃ寒いなぁ。

 寒いこと以外は喜ばしいことだが、やはり赤ん坊の目的ははっきりとしないままだ。


「どうする?もう出る?」


 フェレスがファミレスで食事を終えた後の人のようなことを言っているが、ここは異界である。


「出れるんなら出るけど。」


 当たり前のように即答すると、フェレスはいいの?と私にもう一度聞く。

別に出ない理由がないと思うのだけれど。


「だって、あの怪異の調査で肝試しみたいな事してるんでしょ?ちゃんと始末つけとかないとまたこうなるんじゃない?」

「あー、確かに、また調査、ってなる可能性もあるね。」


 水で濡れたスカートを絞りつつ立ち上がるが、赤ん坊の姿は見えない。

 フェレスの言う通り、今ここで赤ん坊をどうにかしておかないと学校に流れている噂は消えず被害が拡大し、また巻き込まれる可能性がある。


「でもなぁ……。」

「どうしたの。」


 怪訝そうな声を出しながら私の頭によじ登るフェレスに向けて私は腑に落ちない点を説明する。


「この怪異、出所がよくわかんないんだよ。」

「噂じゃないの?」

「それにしては不自然な気がするんだよねぇ。」


 フェレスのいう噂が出所の怪異は、『空想を現実にする怪異』によって噂が実現した怪異の事だ。

つまり、噂が元となって怪異ができる。

 しかし____


「今回の怪異、コミズサマは、噂が広まってない上にコミズサマを見たって言う人は全員漏れ無く体調不良になっている。小戸路先生達が噂を聞き漏らしてなければ、因果関係が逆だと思う。」

「そうだね。本来なら噂が先に来て、その後に体調不良やらなんやらが出てくるもん。それに、能力持ちでもない人間にまで実害を及ぼす怪異が大した噂もなく現実にはなんないか。」


 私の違和感を理解したらしいフェレスも私同様に頭を悩ませ始める。

コミズサマはおそらく噂でできた怪異ではない。


「噂以外で怪異が突発的に現れる事ってあるの?」

「あるにはあるけど、あんまり無いと思うよ。」


 そう言ってフェレスは私の頭上で講義を始めた。

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