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「小戸路先生、いらっしゃいますか。」
「はい、いますよ。」
ニコニコと良い作り笑顔で花車先生を出迎えたのは、私とキリカさんを巻き込みご満悦の小戸路先生だった。
私とキリカさんが強制的にコミズサマ調査への参加が決まった後、各々保護者への連絡等々をした。
その後はいつも通りの無表情気味に戻った小戸路先生も交えていつも通りの時間を過ごしていた。
そのまま時が過ぎ、外が綺麗な橙色に染まり切る少し前、花車先生が図書準備室を訪ねてきたのがたった今。
普段なら早めに部活を終わらせた月乃が迎えにくるくらいの時間だ。
ちなみに月乃には早めに連絡を入れておいたのであの人が私を迎えにくることはない。
「どうしましたか?」
笑顔で小戸路先生が花車先生に問いかけるが、花車先生は明らかに作っているとわかる下手な笑いで事務的に応じる。
確かに、春先に本を受け取っていた花車先生とはまるで別人かと思うほど態度が変わっている。
私の記憶にある花車先生はもっと活発だったはずだ。
「学校の見回りの件で、事前打ち合わせをしておこうかと思ってきたんですけど……。」
花車先生は話しながらも少し困惑したような表情で私とキリカさんを見ている。
それに気づいた小戸路先生はこれまた良い笑顔で応じた。
「ああ、その子達にも見回りを手伝ってもらおうかと思いまして。」
「え!?生徒を参加させるんですか!?」
「はい、そのつもりです。僕と花車先生だけでは校舎の見回りをするのは大変でしょう?それに____。」
小戸路先生は口八丁手八丁で花車先生を説得していく。
最初は驚きと困惑に染まっていた花車先生を、小戸路先生はすぐに納得に染め替えてしまった。
改めて本当に恐ろしいな、この先生。
嫌われている相手を説得して納得させるその口も凄いが、嫌われている相手に笑顔で堂々と話すその豪胆さも凄い。
「わかりました。」
そういうと花車先生は割合真剣な表情で私とキリカさんの方に体を向ける。
「良い?二人とも、絶対に私か小戸路先生と一緒にいるのよ?」
「はい。」
「はーい!」
どうやら単純に私達の心配をしてくれているらしい。
小戸路先生に対する作った態度とは打って変わり、心から心配そうな表情はとても自然で、決して作ったものではないだろう。
私の作り笑いも私達が小戸路先生に強制で調査に参加させられることも知らない花車先生はまだ少し心配そうに私達を見ている。
それを見て花車先生は多分、人が良いとか言われるタイプなのだろうと推測する。
だが、月乃ほど馬鹿で単純ではない。
少なくとも他人を嫌えるのだから。
「のぞみちゃん。打ち合わせって何を打ち合わせるの〜?」
「先生、ね。どこをどうやって回るかとか、何時に始めるか、とかね。」
「じゃあまずはグループを決めましょう。俺と花車先生は別れるとして、キリカ、山瀬さん、どうする?」
しれっと自分と花車先生のグループを分けた小戸路先生は私とキリカさんの方を向いて聞く。
できれば私は小戸路先生の方に行きたい。
花車先生の事はあまりよく知らないし、作り笑顔をし続けなければならないし、他にも色々と面倒だから。
でもなぁ________。
私は無言でキリカさんと目を合わせる。
キリカさんは私の言わんとする事をすでに承知しているようで、花車先生にバレない程度に視線を動かす。
その視線の先にはやはり小戸路先生。
キリカさんも小戸路先生と同じグループが良いようだ。
しかし、今ここで私とキリカさんが二人とも“小戸路先生のグループが良い”とは言えない。
後で花車先生と同じグループになったら気まずすぎる。
人数的に二人ずつ別れなければならない上に、空気読みまで開催しなければならないのだ。
「オレはどっちでもいいよー。」
「私もどちらでも。」
無言の話し合いの結果、先生達に任せようと言う結論に至った。
ジャンケンでもできたら良かったのだが、花車先生の前で押し付け合いのような事はできなかった。
「どっちでもいいは困るんだけどなぁ〜。」
ニコニコと全く困っていなさそうに小戸路先生が言うが、その目は間違いなく迷惑そうな色が滲んでいる。
「もうくじ引きでもしようよ。」
小戸路先生の面倒そうな瞳にいち早く気づいたキリカさんの提案により、花車先生が使わない図書準備室のプリントを使って手早くあみだくじを作り上げた。
そこに自分達でいくつか線を書き加えて、雑なあみだくじは完成した。
「じゃあオレこっち。」
「では私はこっちで。」
二本しか選択肢のないあみだくじを選び、ボールペンで書かれた線の先を追う。
まだ線の先は見えないように折り返されているが、多分私は小戸路先生に当たると思う。
根拠はないが、何となくそう思った。
半分以上は願望である可能性は否めないが。
「じゃああみだくじの結果見るよ〜!」
小戸路先生への態度はどこへやら、すっかり快活な笑顔で花車先生があみだくじの結果を見せる。
「おっ!オレのぞみちゃんだぁ!」
「私は小戸路先生ですね。」
見事に願望という名の予想が当たり、小戸路先生と同じグループになった。
心の中では軽く安堵しつつも表には平然とした顔を貼り付けて話を進める。
「それじゃあ、特別教室のある校舎を周るグループと、一般教室を周るグループを決めましょう。」
どうやら周り方は決定事項らしい。
胡散臭い笑顔を花車先生に向けながら話を進める小戸路先生だが、花車先生は先ほど私達に見せた笑顔は何だったのかと不思議になるほど無表情だった。
「でも一般きょーしつって北舎と南舎でしょ?二個も校舎回らないといけないじゃん。」
確かに、一般教室は北舎の特進、一課のクラス、南舎には二課、商課のクラスがあり、どちらも一般教室に分類されるため一般教室を周るグループの方が負担が大きい。
「確かにそうだけど、特別教室を周るグループはその校舎以外にも体育館とかも周ってもらうつもりだよ。」
「どちらの組でも最低二ヶ所は周るんですね。」
これでグループ間の負担は同じくらいになった。
同じくらいにはなったが周る範囲が広い事も事実だ。
もう少し周る範囲を絞れないだろうか?
「ところで、噂のコミズサマはどこで目撃されているんですか?」
「そうねぇ、確か、廊下とかプールの更衣室とか、まちまちよ。」
「規則性ないね〜。」
少しでも周る範囲を絞れないものかと花車先生に聞いてはみたが、特に場所を絞れそうな情報はなさそうだ。
私以外の三人も同じように周る場所を絞れないかと考えたらしく、全員が思考の海を漂っている。
「ねぇ、もしホントにコミズサマが出たら、どうするの?」
それはある意味完璧なタイミングで言い放たれた。
思考の海から浮いてきた私は無言でその声の方を向く。
声の主、キリカさんはパイプ椅子に座り頬杖をつきながら先生達をみていた。
その顔はいつものチャラい笑みではなく、完全な無表情で、何を考えているのか分からない。
ただ、この場の空気を完全に持っていった。
「どうするも何も、そんなの居ないわ。」
「じゃあ何で見回りなんてするの?」
「居ないことを証明するのよ。そうすれば、先生たちもみんな噂なんて信じなくなるでしょう?」
困惑したような声でキリカさんに言い聞かせる花車先生はどこか疲れて見える。
もしかすると今まで他の先生や生徒たちにも同じことを言い聞かせていたのかもしれない。
それでも安心してもらえなかったから今こうしてコミズサマ調査をする事でコミズサマの噂を嘘にしようとしているのか。
お人好し寄りな先生だからなぁ、花車先生。
無表情で花車先生を見つめていたキリカさんの瞳から、ふと目から力が抜けた。
「でも、体調不良者は出てるんだよね?マスクしてく?」
いつも通りのヘラっとした笑みを浮かべたキリカさんは何事もなかったかのようにてで口元を覆う。
「んははは!冗談だよ。みんな黙り込んじゃって、オレそんなに演技上手だった?」
心底可笑しそうに笑うキリカさんは満足そうだ。
よほど驚かしたかったのだろうか。
「ふざけてないで、さっさと決めること決めるぞ。」
「は〜い。」
小戸路先生がわざとらしいため息をつきながら話を戻し、決めるべきことが決められていった。