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「職員室で、少し噂になてしまっているんですよ。」
「愁くんがのぞみちゃんに片想いしてるけどのぞみちゃんが露骨に嫌がってるって?」
「はっ倒しますよ。」
胡乱げな瞳でキリカさんを見ながら小戸路先生は自分の眉間に指を当てる。
こりを揉みほぐすような具合に指を動かしながら続きを始めた。
「何をしたのかは知らないが僕が花車先生に嫌われているにも関わらずアピールしている、と噂になっていまして。」
「さっきのキリカさんの言葉、何一つ間違って無いじゃないですか。」
「大間違いですよ。僕は仕事の報連相がしたいだけで……って今それは別に良いです。何が困るかと言えば、ただでさえそんな噂が立っているのに僕と花車先生が放課後の学校で二人きりになるというのは、だいぶ外聞が良くないんです……。」
ついに頭を抱え出してしまった小戸路先生は見ているこちらが申し訳なくなる程悩んでいるように見える。
主にどうしたら花車先生と二人きりになる事を回避できるかに悩んでいるのだろう。
確かに、先生達の噂では小戸路先生は花車先生に片想いしている。
だが、実際は何故か小戸路先生が花車先生からやけに嫌われているだけ。
事実と噂は異なるが、他の先生達はそんなこと知ったことはないだろうなぁ。
どちらにせよ夜の学校に二人だけ、という状況になるのは外聞と気まずさから避けたい事に違いはないだろうが。
「ってゆうかさ、愁くん何したらそんなのぞみちゃんに絡んでるって思われんの?」
さっきまで哀れなものを見る眼差しで小戸路先生を見ていたキリカさんが不意に口を開いた。
「確かに、さっきの話を聞いている限りでは碌に会話もできていないんですよね。なのにアピールもクソもないはずでは?」
冷静に考えれば、『何故か小戸路先生が花車先生に嫌われている。』とか、『小戸路先生と花車先生が喧嘩でもして口を聞いていない。』みたいな噂の方が立ちやすそうだ思う。
なんせ最低限の業務連絡しかしていないのだから。
「……おそらく、ある程度意図的に作られていると思うんですよね。」
小戸路先生は若干言いづらそうにしながら苦々しく言う。
重々しい気配を察知。
同じこと感じたらしいキリカさんも私と同様に若干表情を翳らせたが、すぐに軽い調子に戻った。
「その心はぁ〜?」
「僕、なんだかんだで割と仕事してるんですよ。」
「はぁ。」
「で、毎日コツコツ仕事していれば自然と結果がついてくるわけでして。」
話している内容は小戸路先生の自慢に聞こえるがさっきの倍以上言いにくそうだったので、何となく察した私は続きを引き継ぐ。
「要は、先生に嫉妬した誰かが意図的に先生に嫌がらせとして噂を作って広めた可能性がある、と。」
「まぁ、はい。」
苦虫を噛み潰したような顔をしながら小戸路先生がまた眼鏡を押し上げつつため息をつく。
それを見た後、キリカさんが何かを心得たような顔を見せた。
ただ、その表情は決して明るくはない。
「あ〜ね。そんなら多分その嫌がらせ、のぞみちゃんも対象じゃない?」
「花車先生?」
「うん。のぞみちゃん、先生達のあいだであんま評判良くないんでしょ?」
キリカさんが小戸路先生に視線を向けると、小戸路先生はまた言いにくそうな顔をしたがキリカさんの言葉に肯首で答えた。
「評判が良くない……と言うよりは、空回りしている感じでしょうか……。」
誰かの妹を思い出したが、頭の外に追いやって小戸路先生の言葉を引き継いだキリカさんの方を向いて話を聞く。
「のぞみちゃん、最近やけに先生達と口喧嘩してるの見るんだよね。あと、先生達にのぞみちゃんの話振ると大体苦笑いされんの。だからなんか評判良くないのかなーって思ってた。つつじちゃんもなんか心当たりある?」
「…………どうでしょう。」
突然話を振られた驚きで一瞬思考が停止していたが、すぐに頭に鞭を打ったので大丈夫だと思う。
多分。
「私、花車先生と接点が殆どないので、心当たりは特にありませんね。」
「貴方いつも花車先生の本を探しているでしょう。」
「そう言えば最近来ませんね。」
ハラキさんが図書室に来るようになった時くらいから花車先生の本を探すことは減った気がする。
春先は殆ど毎日何かしらの本を借りに来ていたと言うのに。
「愁くんが嫌われてるから来なくなったんじゃない?」
軽い調子でキリカさんが小戸路先生に無意識であろう攻撃をする。
小戸路先生に推定五のダメージ。
「僕何かしましたかねぇ。」
「いつから、とかないんですか。」
なにかしら嫌われる前触れや心当たりがあっても良いと思う。
しかし、本当に心当たりがないのか、小戸路先生は腕を組んだまま動かなくなってしまった。
「ま、そのうち落ち着くっしょ。」
「そうですね。すぐ噂も落ち着きますよ。」
周りをよく見ているはずの小戸路先生が心当たりがない、と言っているにも関わらず嫌われていると言うことは、本当にただただ嫌われているのだろう。
それは流石に不憫に思えてキリカさんとフォローを入れた上で小戸路先生の様子を伺う。
小戸路先生は腕を組んだまま、どこか一点を見つめていた。
かと思えば、すぐに目を瞬いて私とキリカさんに目の焦点を合わせる。
「そうですね。きっとそのうち落ち着くでしょう。」
ため息もなく普段と同じ調子で声を吐く小戸路先生の様子に少しキリカさんが安堵の息をつく。
しかし、小戸路先生は私達が思っていた以上に強かだった。
「ですが、今はまだ噂が落ち着いていないので、今日花車先生と一緒なのは避けたいんですよね。」
気づけば口元に笑みを浮かべた謎に迫力のある表情で小戸路先生が私達の目を射抜いている。
さっきまでの重苦しく哀愁漂う雰囲気はどこへやら、確実に私達を巻き込むつもりのようだ。
それに気づいたキリカさんも口元を引き攣らせている。
さっきまでの私達の心配と気遣いを返してほしい。
そしてこう言う時に使うのだろう。
遺憾の意。
「いやでもおれらホラー苦手だから………ね、つつじちゃん。」
「はい、ホラーはちょっと……。」
「普段はよく怪談を楽しんでいますよね?」
最初は口元だけだった笑みがだんだんと顔全体に広がり、それに比例して小戸路先生の迫力も増していく。
「別に一人で行動しろとは言いませんよ。僕か花車先生と一緒なので。」
「で、でものぞみちゃんと二人は気まずいし……。」
「僕と君たち二人でも良いですし、君たち二人だけで動いても構いません。」
にこぉ、っと湿度が高そうな笑みを浮かべて逃げ道を一つ一つ塞いでいく小戸路先生は今まで見たことがないくらい笑顔だが、それと同時に邪悪さを感じる。
「きょ、今日予定が……。」
「あるんですか?」
「………。」
「あるんですか?」
咄嗟に嘘を吐こうとしたが、小戸路先生の圧により圧縮される。
いよいよ逃げ場が無くなってきた。
「愁くん今日どうしたの……?」
「そんなに嫌なんですか……。」
恐る恐る先生を伺うも、先ほどと変わらぬ笑顔がそこにあるだけだ。
正直今何を言っても小戸路先生が逃してくれるとは思えない。
かと言って、私がコミズサマ調査に参加してしまえば高確率で怪異が出てくる。
腹を括って小戸路先生を振り切るか、腹を括ってコミズサマ調査に参加するか。
どちらにせよ腹を括らねばならない。
「さて、二人とも、まだ何かありますか?」
笑顔を浮かべたままの小戸路先生と向かい合うように座っていたのがよくなかったのだろう、キリカさんは首を縦に振った。
しかし、私はここで諦めるわけにはいかない。
「キリカさんが参加するのなら小戸路先生と花車先生の二人きり、と言う状況は避けられるので私は不参加でよくないですか……?」
「つつじちゃん!?」
「ああ、確かにそうですね。」
「待って待ってずるいずるいずるい!ならオレつつじちゃんも参加しないと参加しないから!」
「やっぱりつつじさんも参加で。」
「強制ですか。」
「何か問題が?」
「………はい。」
焦ったキリカさんがつけた条件だったが、小戸路先生があっさりと飲んだせいで私の抵抗は呆気なく終わった。