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「正気ですか?」
「正気ですよ。」
「いやいや正気ならそんなん引き受けないよ?」
「仕方がないでしょう。」
「仕方がないでしょう、で片付けないでくださいよ。」
「ってか今夜って。急すぎでしょ。」
「仕方がないでしょう。」
「だから仕方がないでしょうで片付けないでくださいよ。」
現在はいつはさんのバイトに行った次の週の月曜日の午後五時。
私はいつも通り学校に行き、最近よく聞く不審者情報を聞き、いつも通り放課後になり図書準備室に行った。
ここまでは比較的いつも通りだった。
ここまでは。
「仕方がないでしょう、押し付けられたんですから。」
「何で愁くん開き直ってんの?」
「というか、押し付けられたからってそんなオカルト話持ってこないでくださいよ。」
そう、小戸路先生がオカルト話を持ってきた。
しかも、かなり強く雨が降るらしい今夜、学校に残ってその話の真偽を確かめると言い始めたのだ。
これを聞いた時私は思わず叫びそうになった。
まさか小戸路先生がオカルト系統のものを持ってくるとは思っていなかったし、きっと今後もない……と思いたい。
意外にも程があるが、小戸路先生はいつもと何ら変わらぬ涼しい顔をしている。
「仕方ないじゃないですか。生徒達だけでなく、先生方まで『コミズサマ』を信じ始めてるんですから。」
大きくため息をつきながらどこか遠くを見ている小戸路先生には申し訳ないが、非常に関わりたくない。
コミズサマは、怪異である可能性が非常に高い。
コミズサマというのは、七不思議では無いが最近高校で流行っている怪談の事だ。
コミズサマは、夕暮れ時から夜中に出てきて人間を襲う、というような噂だ。
襲い方のパターンは様々で、水に沈められる、八つ裂きにされる、悪戯されるなどが存在する。
と言ってもこれらは月乃や今小戸路先生から聞いただけの話で、私自身は何も知らなかったのだが、問題はそこでは無い。
「コミズサマを見た、沈められた、校舎内で溺れた、という生徒が何人かいるんです。さらに、体育の三枝先生と花車先生が『コミズサマ』を見た生徒が全員体調不良になっていると職員会議で報告。その後教頭と丁度今教育実習に来ている大学生二名がコミズサマを見た、と怯え、現在は自宅療養中。生徒達はともかく、先生方の方は会話ができない状態になっているそうです。」
同僚や生徒の話にも関わらず、小戸路先生は面倒そうにコミズサマの被害を淡々と語る。
「この事態を受け、先日行われた緊急の職員会議の結果、僕と花車先生、三枝先生が日暮れ前から夜中まで巡回することになったのですが……。」
「三枝先生が食中毒で休みなんでしょ?」
「そうです。なので君達にも参加して頂こうかと。」
「何でそこで私達が出てくるんですか。」
そう、問題は何故か小戸路先生が私とキリカさんまでコミズサマ調査に参加させようとしている事。
キリカさんはともかく、能力持ちである私が関わるとただでさえ能力持ちでは無い人間にも被害が出ている現状を悪化させかねない。
特に一緒に行動することになるであろうキリカさんと小戸路先生に被害が出てしまう。
出来ることなら私は関わら無いほうがいい。
「予定では、花車先生と三枝先生がそれぞれ別の校舎を、僕がそれ以外の場所を巡回する予定だったのですが、三枝先生がお休みなので人が足りないんです。ただでさえたった三人でこの学校を巡回するのは苦しいのに、人数が減ってしまうと調査が不十分なので。」
「他の先生は?暇そうな先生いるじゃん。」
「皆さん気味悪がって嫌がるんですよ。」
小戸路先生はうんざりしたように丸眼鏡のグリップを片手で押し上げてため息をつく。
「いやいやいや、オレ達だって嫌だよ?」
「私も嫌です。」
私とキリカさんが難色を示すと、小戸路先生は不思議そうな顔をして私達の顔を凝視し出した。
「何ですか?」
沈黙と視線に耐えかねて小戸路先生に聞くと、案外するりと答えが返ってきた。
「いえ、君達がそこまで嫌がるとは思っていなかったので。」
「誰だって嫌ですよ。」
どうして進んで危険な場所に行くというのか。
「でも君達この前の不審者騒動の時は楽しそうについてきましたよね?」
「「……。」」
あの時は相手が人間かつ急がないと色々面倒そうだったから無理にでもついて行ったが、別に楽しくはなかったことだけは断っておこう。
うん、別にあのハラハラした感じがスリルあって楽しい、とかとは思っていない。
色々と必死だっただけだ。
「というか、君達オカルト系の話苦手だったんですか?普段から割と怪談系の話してますけど。」
小戸路先生の真顔の追求に私とキリカさんは黙り込むしか無い。
確かに、キリカさんは学校の七不思議やら怪談やらに詳しかったから色々と聞かせてもらった。
聞かせてもらったが、全て自衛に使えそうな情報収集の為で娯楽のためでは無い。
何なら知りたくなかった話もある。
「いやいやいや!怪談と肝試しは別物だから!」
「怖いんですか?」
「怖いよ!ほら、つつじちゃんも何とか言って!」
「悪いことは言わないのでやめときましょう。」
「どうしてこういう時だけそんなに頑ななんですか……?」
あまりの剣幕に若干気圧されている小戸路先生は困惑気味に顎に手を当てて何かを考えている。
確かに、小戸路先生からすれば普段から怪談をよくしている生徒達が極度に怪談を怖がっているように見えるだろう。
それが奇異に映っても仕方がないと言えば仕方がない。
かくいう私も様々な怪談を知っているキリカさんはこういう肝試し的なことも好きなのかと思っていた。
都合がいいとは言え、キリカさんがコミズサマ調査を拒否するとは思っていなかった。
「まぁ、そうですね、そんなに嫌なら僕と花車先生で何とかしましょう……。」
苦々しい顔で額に手を当てる小戸路先生は見たことがないくらいに憂鬱そうに見える。
そんなに私達を巻き込みたかったのか?
「愁くん、何でそんなに嫌そうなの?」
同じことを思ったのかキリカさんが不思議そうに頬杖をつきながら小戸路先生の方を窺う。
小戸路先生はまたため息をつく。
「僕、何故か花車先生に嫌われているようでして……。」
「あー、いつも微妙そうな反応されてますね。」
「のぞみちゃん、愁くんの話になると露骨に嫌そうな顔するよねー。」
確かに、花車先生はいつも小戸路先生を避けている節がある。
小戸路先生が何をしたのかは知らないが、あれは相当根が深そうに見える。
「僕、何かしましたかねぇ……。」
心の底から面倒そうな表情をして机に突っ伏している小戸路先生は心なしかしょんぼりして見える。
よほど花車先生と二人きりになる状況が憂鬱なのだろう。
「この前は一年生担当の先生方との会議で僕の意見の時だけ嫌そうな顔されましたし、最近では今回の学校巡回に僕が関わるのを全力で拒否されましたね……。あ、あと____。」
そんな調子で次々と出てくる嫌われてるんじゃないかエピソード、いや、嫌われているエピソードが小戸路先生の口から溢れ出して止まらない。
最初は普通に聞いていた私はだんだんと小戸路先生が不憫になってきた。
眼鏡越しにもわかる光のない目で語る小戸路先生からは生気が感じられない。
あと思っていたよりも露骨に嫌われているようで、ここ最近は最低限の業務連絡しか会話をしていないらしい。
話しかけようとすると別の先生や生徒と話し出してしまうらしい。
「なんか、愁くんあれだね、片想いしてるみたい。」
「だとしたら絶望的ですね。」
若干重たくなってきて空気を少しでも浮かせようとキリカさんと結託して軽い言葉を吐くが、小戸路先生の口からまた重たいため息がこぼれ落ちる。
「別に、花車先生から嫌われているからこんなに気が重いわけではありませんよ……。」
のそのそと突っ伏していた顔を上げながら先生が眼鏡をふく。
小戸路先生は眼鏡をかけ直した後もう一度口を開いた。