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「ねぇ、何してるんだい?」
笑顔のまま、ムースは小さい子供の様に問う。
屈託なく笑うその姿は前に見た時と何ら変わらず、不安を掻き立てる。
「掃除。」
「そうじ?こんなふっるい神社を?」
ムースは心底不思議そうな顔をしてわざとらしく首を傾げている。
私は彼女から一歩下がって距離を取ってからまた口を開く。
「どうしてここに居るの?」
「ん?キミについて来たからね、ボクがここに居るのは当たり前だよ。」
当然の様に言い放ち、ムースは私が一歩後ろに下がった分の距離を詰めながら私に近づく。
「ほんとはキミともっと早く話したかったんだよ?でも、キミはいつも他の人間か怪異といるじゃないか!それじゃあ話しかけられないからね、何度か怪異をけしかけてもみたけどキミ一人にならないし、なっても邪魔が入ったし。ほんっとーにキミ運が良いというか悪いというか、守られてるというか、ねぇ?今だってほら、ゆっくり話もできやしない。」
ペラペラと饒舌に話し続けるムースは視線だけで私の後方を笑顔で睨みつける。
それだけで私は自分の後ろがどんな状況か何となく察しがつく。
案の定、ムースが言い終わるとすぐに聞きなれた声が頭上から降って来た。
「話がしとぉんら、すれば良いせぇ。」
「ボク、つつじと二人で話したいんだけど。」
ムースが楽しそうに笑っているが、その目だけは笑う事なくいつはさんを睨みつけている。
ムースはいつの間にやら私の肩を持ち、そこに顎を緩く置いている。
そのため今私の顔の真横にムースの顔がある。
いつはさんは何も言わないが、かわりに真上から重い視線を感じる。
おそらく私の真後ろでムースを見下ろす形で睨み合っている。
誠に遺憾の意。
遺憾の意。
本当にとりあえず遺憾の意。
何故か思いついた言葉をぐるぐると頭に回す事で心を無にしようと試みるが、遺憾の意くらいしか思いつかない。
今思えば素数を数えるなり円周率を数えるなりするべきだったのだろうが、この時思い付かなかったのだから仕方がない。
そして今私が何か言わないとこの睨み合いは終わらないから、仕方がなく私が行動を起こす事にする。
「ねぇ、私と話したい事って何。」
私は至近距離にいるムースの動きを注視しながら問う。
もし変な動きをされたら即座に動ける様に意識を張り巡らせる。
しかし、その杞憂は必要なかったらしく、ムースは目に笑みを宿して一歩体を引き、嬉しそうに私をその色違いの目に映した。
「やっぱり、つつじも気になるよね!ボク、つつじと二人なら話してあげるよ?」
「つつじ、やめとくせ。」
いつも通りの気怠げな返事をするいつはさんだが、その手はしっかりと私の制服を掴んでいる。
少なくとも私の力では振り解けない程度には強く。
いつはさんがここまで行動に出すのも珍しい。
やめておくのが無難だろうか。
いつはさんの事だ、あまり無理を言うとあっさり見捨てられる。
止めてくれるうちに止められておこう。
「また今度、機会があれば話を聞くよ。」
ムースに視線だけを向けて短く言う。
ムースは一瞬驚いた様な顔をしたが、すぐに安っぽい笑顔に戻った。
「え〜!?せっかくこんなところまで来たのに!つれないなぁ。」
「つつじ、もう帰るせ。」
そう言うと、いつはさんは私の制服を掴んだまま、器用に柏手を打つ。
ぱんっ、と言う軽い音と共に何処からか風が吹き、さっきまで私が集めていた葉や花弁が一斉に空に広がった。
私はただ唖然として頭上を見上げることしかできない。
植物の欠片達は宙に浮かび上がると、解ける様に細かく小さくその身を削っている。
やがて最後の一欠片も消え去ってしまった。
「さて、後片付けも済んだしぃ、帰るせ。」
「む〜。もうちょっとくらい話させてくれても良いのに………あっ!そうだ!つつじ、これあげる!」
ムースは私に指の間に挟んだ球体を見せる。
「何、それ?」
私は見せられた球体をまじまじと観察する。
球体は何処までも澄んだ透明で、一言で言い表すのならビー玉だ。
だが、ビー玉に比べて圧倒的に透明感が強い。
そこに有るかどうかも分からないくらいに透明で輪郭がない。
そこまで観察したところで、なかなか受け取らない私に焦れたのかムースが無理矢理球体を私の手に捩じ込んでくる。
「それ、三、四回くらい上書きできるから。じゃぁね〜。」
ムースは、好きに言いたいことだけ言って緑色の泡に消えていった。
いつはさんはムースが消えた事を確認するとすぐに制服から手を離し、何かを確認する様に私の前にまわった。
「どうしました?」
「別に。んなことより、ありゃああんましええ気配せんしぃ〜。」
さっきまでの睨みは何処へやら、いつも通りやる気のない笑顔を浮かべている。
「ところでいつはさん。これ、何だと思います?」
私は手の中の球体をいつはさんに見やすい様に手をいつはさんに近づける。
透明すぎて見えずらいが、確かに透明なビー玉は手の上で重さを主張している。
「わからんしぃ。んでも、悪いもんでもないせぇ、気にせんでええ。」
いつはさんは軽く一瞥した後にそれだけ言ってすぐに視線を逸らしてしまう。
「そうですか。」
「そうせぇー。んじゃあ、娘っ子たちももう帰ってくるせぇ、帰るし。」
無表情な笑顔でそう言った後、また風が吹いた。
風で目が乾くので目を瞑っていれば、いつの間にか何かに手を引かれ、風は止む。
そして目を開けばやはりそこは元いた小さな祠の前だった。
「せやぁ、つつじ。」
お堂に戻る道すがら、いつはさんは急に何かを思い出したかの様に振り返った。
「バイトの報酬はつつじにわたしとくせぇ、あとで娘っ子にも渡しとくし。」
そう言っていつはさんが差し出したのは狐と猫のお面。
どちらも木でできた物で、お面の横に紫と赤の飾りが付いている。
「粟森さんのはないんですか?」
「あれは現金でいいせ。その面は能力持ちでもなきゃぁただの面せ。」
「つまり、能力持ちにとってはただのお面では無い、と。」
怪異絡みだろうか。
「そりゃあ夏祭り会場への切符せ。」
「夏祭り会場?」
確かに今月末には小学校の校庭で夏祭りがあるが、もちろん無料で入れる。
「夏祭りいうても、人間のじゃ無いせ。それはあっち側の夏祭り会場に入れるしー。」
「危なく無いですか?」
「面を着けとぉ人間は襲われんし、問題ないせぇ。詳しいことは行きゃあ教えてくれるせぇ、心配いらんし。」
いつはさんは退屈そうに言ってから私の横に並ぶ。
私はもらった二つのお面を見比べてみる。
狐と猫のお面はどちらも古そうではあるがどちらも愛嬌のある顔をいていて、猫の方は特に可愛らしい。
狐の方は何処か凛とした静謐さと力強さがあった。
多分月乃は猫の方を選ぶだろうな。
何となくそう思った。
「気に入ったせぇ?」
「はい、ありがとうございます。」
「ほうか。」
短く会話をしながら歩く。
「あの神社、何を祀っているんですか?」
「神さんし。」
「何の神さんですか?」
「何の、言われるとむずかしぃせな。今は、まぁ色々し。」
「昔は?」
「オタネサマ。」
「おたねさま?」
「妖の名前せぇ、覚えんでよろし。」
相変わらず適当なのか本当なのか分からない調子で答えが帰ってくる。
そう言えば今まで、この人が質問に対して沈黙で答えた事は一度もなかった。
常に嘘か本当かわからない言葉を使う。
不思議な人だ。
得体が知れない。
それなのに、いや、だからこそ、私はこの人に嘘をつく事ができないのかも知れない。
得体が知れない上に嘘がわかるいつはさん相手に嘘をつくのは得策では無い。
だが、それだけでは説明できない何かが、私に嘘をつかせてはくれない気がする。
どうしてだろうか。
考えるうちに、山の麓のお堂まで戻ってきていた。