77
「つつじ、バイト行こう!」
「うちの学校バイト禁止だけど。」
六月も終わり、七月の中旬。
夏休みを目前に三者懇談という魔のイベントが開催される時期。
突然部屋から出されリビングに月乃と向かい合わせで座らせられたかと思えば、また変な事を言い出した。
「バレなきゃセーフ!それに、夏休み遊び尽くすんだから資金は潤沢にしませんと!」
「夏祭りでいくら散財する気なの?」
「夏祭り以外もあるでしょ!プールとか海とかショッピングとか!」
「市民プールは高校生三百円だし、海なんて県跨がないとないし、買い物はいつも行ってるでしょ。」
夏休みだからと言って特に大きな出費はない。
ただでさえ誰かさんがエアコンの設定温度を狂わせたせいでついさっきエアコンが正常に稼働し始めたばかりで暑いというのに、それでも月乃の興奮はまだ収まらない。
「でも遊ぶでしょ!?」
「別にお金には困ってないかな。」
「あって困ることはないよ!」
私はやけに必死な月乃に違和感を覚え始める。
別にバイトしたかったら一人でも勝手に行くのが月乃だ。
ここまで熱心に人を誘うのはらしくない。
「バイトって、何やる気なの?」
「やる気になった!?」
「いや、やけに必死だからバイトの方に本題があるのかな、と。」
バイトの申し込みが二人でないとできない、とかを予想していた。
月乃は一瞬目を泳がせたが、すぐに気を取り直してドヤ顔で発表する。
「いつはさんのお手伝い。」
「パス。」
私はさっさと立ち上がってリビングから出ようとする。
「待って!待って!いつはさんだよ!?大丈夫だって!」
私の服の裾を掴みながら月乃が体重をかけて私が移動できないようにする。
「具体的な仕事内容は?」
「聞いてない!」
「やらない。」
服が伸びるのも構わず私は全力でリビングからの脱出を試みる。
尚も服の裾を引っ張り体重をかけ続ける月乃は必死に私を食い止めようとする。
「怪異関係ではないから!」
「何で断言できるの?」
「わたし達以外の高校生も参加するから!」
「いつはさんのいう事を素直に信じない方がいいよ。」
あの人の事だから嘘の百や千、真顔で、いや笑顔でついてみせるだろう。
そもそもいつはさんがわざわざバイトを必要とするとは思えない。
大抵の事は自分でできるだろう。
「また何やってんだ、お前ら。」
月乃が大きな声で騒いでいるのを聞きつけたらしいあかねとメリーさんに奇怪な目を向けられる。
あかねが若干冷ややかな目を向けてくるが、あかねの呆れ切った目はここ最近珍しくない。
「月乃が闇バイトに手を出そうとしてる。」
「闇じゃないよ!というかいつはさんを何だと思ってるの!?」
また月乃が大きな声で概要を説明しだすとメリーさんがふむふむと相槌を打ち始めた。
あかねはどこか不憫そうな目をこちらに放ってくるが、そんな目を向けるくらいなら月乃を止めてくれ。
恨みがましい視線をあかねに送ると、あかねがため息をつきながらそっと話しかけてきた。
「つつじ、観念してついてった方がいいぞ。」
「何で。」
あかねに釣られて小さな声で返すと、また月乃に聞こえないくらいの声が返ってくる。
「いつはの事だからな、下手に断った後が怖くねぇか?それに、もし本当に能力持ちでもねぇ奴をばいととやらに関わらせたら終わりだろ。能力持ちを増やすかもしれねぇ。」
「あー……。多分いつはさんの事だから、能力持ちは増やさずに怪異に遭遇させて放置しそう。」
能力持ちを増やすメリットなんていつはさんにはない。
もし仮に能力持ちを増やしても多分面倒なだけだとか言って見捨てそうだ。
「もともと何考えてるのかわからん奴だ。下手に月乃だけ関わらせても危ねぇだろ。」
「月乃にバイトを諦めさせるのは?」
「無理だ。ああなった月乃は意地でもばいとに行く。」
「止めてよ。」
「できたらやってるよ。お前こそいつは止めろよ。」
「無理だよ。何考えてるか分かんないもん。」
コソコソとやっている間にも月乃は私の袖から手を緩める事なくバイトについて熱弁している。
メリーさんは何やら熱っぽい様子で月乃の言葉に相槌を打つばかりで止めてくれるような様子はない。
「つつじぃ〜!お願いだから!一緒に行こ!」
「え〜。」
「つつじ!行ってきなさい!月乃様が言ってるんですわよ!?」
「でも、月乃の命が危ないかもしれないんだよ?」
こう言っておけば月乃命のメリーさんは味方にできると思っていた。
現にあかねは月乃の身の安全を考慮してバイトには反対派だ。
月乃を一人で行かせるくらいなら私を巻き込もうとはしているが。
そんな理由でメリーさんは味方にできたと思った。
しかし、メリーさんから発された言葉は予想外だった。
「大丈夫ですわ!いいから行ってきなさい!」
「……月乃が怪我するかもしれないんだよ?」
「大丈夫ですわ!」
「その自信は何なんだよ…。」
あかねまで呆れたようにいうが、メリーさんは女の勘ですわ、と取り合わない。
「お願い!つつじ、一緒に来て!」
「………つつじ、行ってこい。」
「あかね、説得を諦めないで。」
「こうなったら無理だっつったろ。諦めろ。」
「せめて怪異の持ち込みを許可してほしい。」
「普通のバイトだってば!」
「根拠は。」
「わたし達以外の高校生が……。」
根拠はなさそうだが、月乃の必死さと怪異絡みではないバイト、という点に関する謎の自信は一体どこから来ているのだろうか。
月乃の事だから素直にいつはさんの言葉を信じた、という事もあり得るが。
それにしても妙だ。
「つつじ、頼むから諦めてくれ。」
先日の月乃の誕生日以来、風当たりが弱くなったあかねが申し訳なさそうに深蘇芳に私を映す。
メリーさんと月乃は何故か必死で、逃げ場がない。
……よし、とりあえず行くことにして今この場を納め、理由をつけて当日バックれよう。
いつはさんがそれを許すとは思えないが、そうでも思っておいた方が精神的に楽だ。
「……そのバイト、いつなの。」
「つつじぃぃ!!」
「うるさいよ。その代わり土日の家事やってね。」
「お安い御用だよ!」
顔いっぱいに歓喜を詰め込んだ月乃とメリーさんが弾けるようにはしゃぐ。
対照的に私とあかねの目は遠く据わっている。
と言うか、何故メリーさんまでそんなに喜んでるんだ。
「バイトは今週の金曜日、わたしとつつじの懇談日だね。」
「あー……。」
「どうしてそんなに憂鬱そうですの?」
「三者懇ってなかなか嫌な行事だと思うけど。」
まぁ、今の私はそれを差し引いても憂鬱さが残るが。
幸か不幸か、私と月乃の三者懇談は担任の糸草先生ではなく副担任の小戸路先生なのだ。
確か出張だとかどうとかで今週は二日しか糸草先生は出勤しない。
そのため大半の生徒は小戸路先生が代わりに三者懇談をするわけだ。
「懇談が終わったらそのまま集合場所に集合!あと、バイトの説明は当日するって。」
「わかった。」
仮病でも使わない限りバックれるのは難しそうだ。
念の為怪異達を連れて行けるようにするか。
「ちなみにそのばいと、シガン達の許可は取ったのか?」
「いつはさんが許可取っといてくれたよ!」
若干不安が残るが、当日の三者懇に私と月乃の保護者としてシガンさんとヒガンさんが来るので嫌でもバイトの存在はバレるだろうし、まぁいいか。
「じゃああかねとメリーさんはどこで合流する?」
「わたくし達は行けませんわ!」
「俺は行けるぞ。」
「だ、だめですわ!」
何やら慌ててメリーさんがワタワタとしだす。
あかねも胡乱げな瞳を向けている。
「わ、わたくしその日はパトロールしますの!」
「一人で行けよ。」
「か弱い女の子に一人でいかせる気ですの!?あかねも一緒ですわ!」
「あ、あかね、一緒に行ってあげてよ。わたし達は大丈夫だから。」
何故か月乃まで慌てだし、あかねは困惑しながらもメリーさんについていく事になった。
もちろん私は止めた。
止めたが月乃とメリーさんに押し切られた。