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「おい、つつじ。」
平和な土曜日の正午、それはなんの前触れもなくリビングで本を読んでいた私の目の前に立った。
私の顔に薄い黒を作る長い影と小さい影は真剣そうな顔をしてこちらを見やる。
「月乃の誕生日プレゼントを買いに行くぞ。」
「は?」
思わず間抜けな声を出すと小さい方の影の主、メリーさんが甲高い声で私の目の前にあるローテーブルに身を乗り出す。
「月乃様のお誕生日が明日なのですわ!」
「はぁ。」
「人間は生まれた日にプレゼントを贈るんだろ?だから月乃に内緒で買いに行くんだ。」
「いってらっしゃい。」
あかねとメリーさんにむけていた視線を本に落とす。
「つつじも行くんですわ!」
ガタガタと低い机を揺らしながらメリーさんが唸る。
机は揺れるたびに僅かに軋みを上げていた。
私はもう一度顔を上げて二人を見ながら逡巡する。
おそらく、この二人は月乃の誕生日プレゼントを贈りたいのだろうが、何を送ればいいのかわからないから同じ年頃かつ人間の私に白羽の矢を立てたのか。
ついでにこの二人が金銭を持っているとは思えないことから私にたかる気持ちもあると思う。
むしろそちらが本命な気がする。
「シガンさんと行けば?」
外出するのは面倒だし、お金をたかられるのも困る。
シガンさんならお金の心配はないし、快く付き合ってくれるだろう。
「アイツらは今日いねぇんだよ。それに、お前の方が月乃とよく一緒にいるだろ。」
「別にそんなことはないと思うけど。というか、なんで前日に買いに行くの?もっと早く行っとけばよかったのに。」
「月乃様がお出かけなさっている今しかチャンスはないのですわ!」
確かに今月乃は化粧達と、…………どこだっけ………どっか行っている。
そのため今家にいるのは私と二人だけだ。
フェレスは見ていないが、どうせどこかをほっつき歩いているだろう。
「でも二人なら月乃が学校行ってるうちに行けたでしょ。」
「金がねぇ。」
やっぱりお金が目的か。
分かってはいたがここまで隠す気もないともはや呆れる気も起きない。
「こっちも金欠だから無理。」
「嘘ですわ!つつじはここ一カ月何も買っていませんもの!」
確かに最近は月乃や怪異達が食材などの買い物をしてくれているため買い物はしていない。
していないが、私のお金まわりが把握されていることに驚きが隠せない。
「つまり、金はあるだろ。」
「あっても出さない。」
「頼む。」
そう言ってあかねが頭を下げた。
えっ。
予想外な行動に何も言えずにギシッと自分の関節が錆びつく。
その間にメリーさんも頭を下げてお願いですわ、と言っている。
明日は雹、いや、槍でも降るのか?
この二人が月乃以外に頭を下げるとは。
しかも私に。
動揺のあまり本を持つ手も軋み、パサリと本がカーペットに落ちる。
その音を聞いてようやく軽く正気に戻った私は二人の縹色と深蘇芳の瞳を下から見る。
どちらも真剣な色味を帯びている。
私に頭を下げることはそれなりに嫌なことだったらしく、若干色が歪んでいるがそれでもそれを態度に滲ませないあたりは流石としか言いようがない。
長年生きたあかねはともかく、本当に子供そのものだったメリーさんまでそうしていることからも二人の本気度が伺えてしまう。
「お願」
「分かった。でも予算は限られてるからね。」
大きなため息を落とす代わりにそう言ってやれば、二人は驚いたような顔で勢いよく顔を上げた。
「良いのか!?」
「うん。」
「後から無しとか無しですわよ!?」
「言わない。」
「本当か!?二言はないな!?」
「自分たちで頼んでおいて何でそんなに疑うの?」
そこまで疑うなら別の人に頼めば良いのに。
そんなことを思いながらとりあえず出かける準備をする。
今日は外出するつもりがなかったためすぐには出掛けられないのだ。
二人にとりあえず準備をしてくることを伝え、身支度を整える。
面倒で仕方がないが、仕方がない。
「そう言えば、どこで何を買いたいの?」
「それが何も決まってねぇんだ。」
「前日なのに?」
「つつじだって何も準備していないでしょう!?」
「何で私が準備しないといけないの?」
「シガンとヒガンは月乃の誕生日教えたら色々準備してくれたぞ。」
「そうですわ!明日の月乃様のお誕生日パーティーのケーキやご馳走を用意してくださるのはシガン達ですわ!」
「私月乃の誕生日なんて知らないし。」
知らなかったものは準備できない。
知っていても何もしなかっただろうが。
とりあえず身支度を終え、家から出てデパートの方へ歩く。
あそこなら何かしら良いものがあるだろう。
「そう言えば、妖とか怪異には誕生日っていう概念はないよね。どこで誕生日を祝う文化を覚えてきたの。」
「月乃が言ってた。」
「あかねが言っていましたわ。」
「へぇ。」
「お前ほんとは興味ねぇだろ。」
「あ、そうだ言い忘れてたけど周りに見えても大丈夫なようにしてね。」
「分かってますわ!」
「何にために事前にシガン達に服借りたと思ってんだ。」
「え?メリーさんのそのワンピースもシガンさん達に借りたの?」
「これは自前ですわ。」
そんな会話をしながら歩いているうちにデパートに到着。
とりあえずバラバラに店を見て商品に目星をつけておこう、という話になっていたため到着後早々に解散。
そのまま一時間ほど店を回ったところで熱心に何かを見ているメリーさんを見つけた。
その店は可愛らしい桃色の色彩が目に優しくない雑貨店。
雑貨の一つ一つがとても可愛らしく、女性、特に中高生に人気らしいお店だ。
そう言えば昔ここで友人の誕生日プレゼントを買ったことがあったなぁ。
懐かしいことを思い出しながら店に入り、メリーさんに声をかける。
良いものがあったのなら買っておいた方がいいだろう。
「あ!つつじ!これ、どちらがいいと思いますの?」
メリーさんが熱心に見つめていたのは、二種類のハンドクリーム。
片方は鮮やかな赤色ポピーのパッケージをしたもの。
もう一方は華やかな三色菫のパッケージ。
香りはどちらも無臭で、保湿のためだけの実用的な品らしい。
「ハンドクリームを贈りたいの?」
「はんどくりーむ?わたくしはこのお花がいいのですわっ。」
そう言ってパッケージの花のイラストを指さす。
なるほど、花の贈り物を用意したいのか。
「花ならあっちの棚に花をモチーフにしたのがいっぱいあるよ。」
「本当ですの!?」
ぱぁぁぁと顔を明るくしたメリーさんがパタパタ走っていくのについていきながらそっと店の様子を観察する。
客層はやはり中高生が中心となっていて、時々大学生以上の女性も混ざっているが年齢層はそれでも若い方だろう。
月乃の年齢や好みにもあっていそうだし、メリーさんが何を選んでも大丈夫そうだな、と安堵の息を漏らす。
下手なものを渡すよりメリーさん達は月乃に喜んでもらえるものを贈りたいだろうから、もし月乃が喜ばなさそうな変なものを持ってこられたらどうしようかと若干心配だったのだ。
「つつじ!これ!これがいいですわ!!」
「なに、それ?」
メリーさんが低い身長で必死に指さしていたのは、花が美しく咲き誇る折りたたみの傘。
どの傘にもイラストの花がプリントされていて、デザインは全体的に落ち着いている。
和傘テイストの折り畳み傘から日傘、雨傘まで種類は豊富だ。
「どれがいいの?」
「あれ!あれかそれがいいですわ!」
「これ?」
メリーさんが指し示した傘はどちらも和傘のような大ぶりの折り畳み傘。
一方は黒地に紫陽花に似た薄紫の花が咲き誇る傘。
もう一方も黒地だが、こちらは傘の一部分にだけ真っ赤な大輪の花が咲いている。
「どっちにするの?」
「迷いますわ……。」
真剣に悩み出したメリーさんは二つの傘を手に持って見比べている。
私は黙って選び終えるのを待つことにした。