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目が現実を映し出した頃、ソレはゆらゆらと不気味に揺れながら、夢と同じ様に振り返る。
その恐ろしい顔を見ない様にしようにも目を逸らす事はできず、黒い涙で汚れる顔は恐ろしい。
真っ暗な公園でブランコだけが呑気に揺れていた。
「あ!みんな!」
そんな不気味としか言いようのない公園で、月乃だけが明るい声でブランコを漕いでいた。
何してんだよ。
呑気な顔で笑って手を振る月乃に私は胡乱な瞳を向ける。
フェレスも困惑した様に月乃を見ている。
いつはさんはいつも通り退屈そうに笑っているので何を考えているかはわからないが、一番最初に口を開いたのはこの人だった。
「なんせ、能力使いこなせとるしぃ。こりゃあ無駄足かもしれんせぇ。」
なんて言いながら欠伸を一つこぼす。
そうか、月乃の能力は普通に怪異相手に機能するのだったと思い出した。
私の能力は怪異と相対しても無意味に等しいため忘れていたが、本来の能力はこうやって怪異相手に使うのだ。
月乃の能力は怪異と会話ができる。
ならば、この怪異と和解していてもおかしくはない。
緩い安堵と共に息を吐き出し、怪異を見やる。
未だ黒い涙を流し続けるソレは、とても人間に害がないとは思えない。
暗い色を溶かして塗り込み続けた様な闇が、晴れることのないその眼窩には敷き詰められている。
その闇がぼたり、ぼたりと砂を黒く染める。
和解なんてできるはずがない。
直感で察した。
月乃の能力は、怪異と和解できる能力ではない。
怪異と話ができるだけの能力なのだ。
和解ができるとは限らない。
そして、コレと和解するのは無理だ。
話さえ通じないだろう。
思わず抗議の目でいつはさんを見ると、運悪く梔子色と目が合ってしまった。
急いで目を逸らそうとした一瞬、小さく目を細めたいつはさんの顔が見えた。
「この人はローナさん。気づいたら公園にいてビックリしたんだけど、話してみたらいい人なんだよ!家族が欲しいっていうから、あかねやメリーちゃんに紹介しようと思って。あと、できれば一緒に暮らせたらいいね、って話してたの!」
目を輝かせている月乃はソレが無害であると信じて疑っていない様だが、どうみても関わっていいものではない。
おまけにさっきからぼたぼたとこぼす暗闇が増えている。
いつ襲ってきてもおかしくはない。
「あ"あぁ"あ……。」
「なぁに、ローナさん。」
「あ"ああ"う"ぇ……。」
「そうだよ!あのね、______。」
言葉ではない低い呻き声を上げるソレが言いたいことがわかる様で、月乃は会話を始めてしまった。
呻き声はだんだんと大きくなってくる。
月乃は楽しそうに話しているが、声が大きくなっているのに気づいているのか。
呻き声が鼓膜を大きく揺らし始めた頃、ソレは、ユラリとこちらを向いた。
黒しかない闇と目が合う。
こちらを写すことなんて絶対にない闇。
夜の透明な闇の中で一際黒く深いその色から、目が離せない。
恐怖で引き攣った様に声が出ない。
指先を動かすのが精一杯で、動けない。
「ああ"、あ"あ"あ"あ"あ"…!」
ソレは濁った音を響かせながら私を指差す。
月乃が何か言っているのも聞かず、ソレは目に見えない様な速さで動く。
黒が視界から消えた瞬間、近くで大きな音がした。
気づけばいつはさんもフェレスもいない。
いや、多分いるにはいるのだろうが、私の視界には入っていない。
首一つ、動かせない。
さっきから鋭い風圧が髪先を切っているのだ。
少しでも動けば肌にあたる。
動けないが、動揺は少しおさまってきた。
最初から、いや、ソレと話が通じると思えなかった時点で心の準備ができていたのが良かった。
ある程度は身構えていられたから、今落ち着いていられる。
目を瞑って息を一つ吐き出して、月乃の様子を伺う。
驚いた様な顔で制服のスカートを揺らしている彼女は、戸惑いと混乱でいっぱいなのが見て取れる。
「月乃、先帰ってていいよ。」
おそらく、あの怪異は月乃を襲わないだろう。
もし月乃を襲う気だったのなら間違いなく最初に逝かれていた筈だ。
そうなっていないのならきっとアレが月乃に危害を加える事はない。
なら先に帰ってテスト勉強でもしたいだろう。
そんな、完全に善意百パーセントの言葉だった。
だから、月乃が目を剥いた意味が分からなかった。
「はぁ!?」
最初は怒った様に近づいてきたが、危ないと止めるとまた色を変えた。
「………嫌。」
「そう。」
何かを押し殺した様な顔をしていた。
まぁ、私に人を見る目はないので全て気のせいだろうが。
そんなことよりも、いつまで経っても怪異達の姿は見えないまま風だけが鋭く通り過ぎて行く現状を何とかしなければ。
月乃はムスッとしたまま怪異の名前を呼んでいるが、怪異が反応する様子もない。
「つつじ。」
「いつはさん。いたんですか。」
「ウチはずっとつつじの後ろにおったせぇー。」
いつのまにか口元だけ無感情に笑ういつはさんが隣にきていた。
いつはさんは退屈そうに微かに首を動かしながら素早く周りを見ているのでフェレスと怪異が見えているのだろう。
「どうにかなりそうですか?」
「んん〜?あの左手がはじいとるせぇこっちに危険はないせ。そん代わり、決着もつかんしぃ。」
「何故です?」
弾けているのならフェレスは怪異に攻撃できているはずだ。
それなのに決着はつかないとはどういうことか。
「左手は小さいせなぁ。おまけに使える四肢もないせ。体格的に手が足りとらんだけし。」
「手伝ってあげてくださいよ。」
「うちがおらんくなるとつつじが危ないしぃ。」
「死ななきゃ何でもいいです。」
「ほぅか。ならちいと行ってくるしぃ。」
そういうとのんびり歩いていった。
いつはさんが離れると、さっきまでの風とは比べ物にならない風圧が体を叩く。
風が重く、今にも体勢を崩してしまいそうだ。
立っていたら危ない、咄嗟に判断してその場にしゃがみ込む。
頭の上を通る風の重さに首が曲がる。
ピリピリと体を冷やす冷気がここら一帯の空気を飲み込む。
目を瞑り、冷たい突風から目を守る。
しばらくこのまま耐えればあとはフェレス達がどうにかしてくれるだろう。
そう思っていた矢先、私の鼓膜を冷気が揺らした。
「ローナさん!!」
風の間に無理矢理ねじ込まれた様な音が鋭い冷たさと共に耳に入り込む。
重い首を微かに上げて乾く目をこじ開けると、焦った様な顔で走る月乃と目が合った。
「つつじっ!!」
やけに必死そうだなぁ。
呑気にそう思っていた刹那、月乃の後ろに冷たい白が見えた。
月乃が私に飛び込む様に宙に浮いた。
その間に重さに軋む体を何とか動かし、月乃を受け止めようと少しでも体勢を整える。
衝撃。
人一人分の重さを受け止め、その衝撃を利用して体を捻る。
周囲がやけにゆっくりと回る中、闇を煮詰めた様な黒が間近に迫る。
白いドレスだけが鮮明に、遅々と動く視界で素早く動いたのが見えた。
あか、赤、紅、赭、緋。
なんと形容すればいいのか分からないが、私がこのあかをここまでたくさん、一度に見たのは初めてかもしれない。
「月乃…?」
「つつじ!?」
二人して制服のまま仰向けに倒れて顔を見合わせる。
月乃の目は、いつもの猩々緋とは似ても似つかないあかに見えた。
「つつじ、大丈夫、っていったぁぁぁ!?」
起きあがろうとした月乃が絶叫をあげ、右の脇腹を押さえている。
ああ、ダメだったか。
せっかくありもしない運動神経を総動員して身を捻り月乃に当たりそうだった怪異の腕を避けさせようとしたが、どうやらうまくいかなかったらしい。
その証拠に月乃はまだ呻いている。
あまりの呻き声に近所の人が出てこないといいが。
「つ、つつつつきのちゃん、大丈夫!?」
「アレくらいなら死にゃあせんし。」
近所間のトラブルを心配していると、慌てるフェレスと落ち着いているいつはさんがブランコの方から歩いてきた。
私は体を起こしながら体を起こす。
………捻った腰がとても痛い。
更にあの怪異の攻撃は私にも当たっていた様で左の脇腹も痛む。
しかし、いつはさんの言う通り死ぬことはなさそうだ。
骨も折れていないだろう。
骨折とか粉砕骨折とかしたことがないので分からないが。
「アレは?大丈夫?」
「うん、大丈夫。故郷まで戻したから。」
「もう一回封印とかできないの?」
「できたらやってるね。」
どうやら怪異はもう大丈夫そうだ。
月乃も元気そうだし、一件落着だろう。
放課後から色々あったのでかなり疲れたが、明日は土曜日。
テストは月曜日からとはいえ、多少ぐだぐだしてもいいだろう。
明日はできるだけ寝ようと心に決める。
月乃は痛そうに顔を曇らせていた。
フェレスといつはさんはまたよく分からない話をしだす。
暗い中、みんなで並んで家路に着いた。