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「私達の後ろにいたのはなんだったんです?」
表情を崩さないいつはさんに問いかける。
いつはさんは含み笑いをするばかりで一向に何かを説明してくれる素振りはない。
むしろはぐらかす気満々、と言う感じだ。
もとより何を考えているのか全く読めない人だけあって、いつはさんの行動が予測できない。
いつはさんが私達を追ってきていた張本人であったとしても、この人ならありえる。
何を考えているのか微塵も分からないのだから。
「とりあえず帰るしー。送ってやるけぇ付いて来ぃ。」
そういうとのんびり歩いていく。
ここがどこだか分からないので送ってくれるのはありがたいが若干怖い。
なんせ何を考えているのか分からないのだ。
「助けてくれてありがとうございます!」
「素直せぇ。どっかの誰かにも見習って欲しいしー。」
そう言いながらもいつはさんが私や月乃に目を向けることはない。
いつはさんが先に歩いて行ったのでいつはさんの背を追う形で私と月乃も続く。
いつはさんは迷うことなく道を進む。
その間にいくつか質問してみたが、全部はぐらかされた。
「せや、つつじ、ここん家はウチの家し。なんかあったら逃げにきぃ。」
十五分ほど歩いたところでいつはさんが立ち止まって示したのは、どこにでもありそうな家の一つ。
誰もここに妖が住んでいるとは思わないような、赤い屋根のさして特徴のない家。
逃げに来いとはどう言うことだろう。
「近くに妙な気配がしたけぇ見に来たらつつじ達が終われとったせ、助けたんしー。今度からはこここりゃあとりあえずなんとかしたるせぇ。」
「いいんですか?」
「特別さぁ。つつじはいい子せぇな。」
何を考えているのかはわからないが、何かあったら役に立つかもしれない。
私はもう一度赤い屋根の家をみる。
ここは家から十分ほどで着く。
しかも通学路にも近い。
登下校の時に何かあったら逃げ込みやすそうだ。
「いつはさん、妖なのに家あるんですね。」
「そりゃあるせ。うちはこれでも働いとぉ。」
「何してるんですか?」
「秘密せぇ。あと、つつじにも言っとぉけど敬語はいらんせー。」
「わかった!」
適応早いなおい。
思わず心の中でツッコミを入れてしまうほどに月乃の適応は早かった。
月乃はまだ二回程度しか会ったことがないであろう妖相手にも遺憾無く持ち前のコミュ力を発揮している。
恐ろしい。
そんな調子で歩いているとすぐに家まで辿り着いた。
家の前には帰りが遅い月乃を心配したのであろうあかねとメリーさんがうろうろしていた。
走っていく月乃を見ながらら私はゆっくり歩く。
さっきの行き止まりからここまで、計二十五分ほど歩いた。
「おかしい。」
「なんせ?」
いつのまにか横にいたいつはさんが目を覗き込む様にして私を見ている。
私は梔子にだけは目を向けずに疑問を吐き出す。
「さっき、私と月乃が走っていたのは多く見積もってもせいぜい五分かそこらです。にもかかわらず、あんなに遠くまで移動しているのはおかしいと思いませんか?」
そう、時間が合わないのだ。
いくら月乃の足が早くとも私を引っ張りながら、それも私が転ばない様に気を遣った速度で走っている状態の五分未満で、あんな所まで行けるはずがない。
そもそもいくら月乃とはいえあんなに突然迷うか?
今思えば歩いても残り五分ほどで着く家までの短い距離で迷うわけがない。
なんらかの怪異が関わっていた可能性が出てくる。
「つつじは鋭いせー。」
いつはさんは顔を歪める様にして笑うと、あん子らには内緒な、と言って話し出した。
「つつじらを追っとったんは、人間し。」
「ただの人間ですか?」
「まぁ、普通ではないわな。アレは“見え”とぉ。んでも、つつじとはちゃう。ありゃあシガンに近いせ。アレはマヨイガの住人し。」
「マヨイガ……。」
私はシガンさんの家の怪異を思い出す。
あれも一種のマヨイガと言えるだろう。
マヨイガとは、迷い家とも書き、関東地方あたりに伝わる山奥の家のことだ。
確か、見つけた人間に幸運をもたらすとか食べ物や金銀財宝が思うままに出てくるとか、色々とある。
そんなマヨイガの人間が、私たちになんの用だろうか。
「せや、やせぇシガンに聞いてみ。」
「シガンさんですか?」
まさに今連想していた人物を言い当てられ、少し動揺する。
しかし、いつはさんがシガンさんの名前を出したのは私が思っていた様な理由からではないらしい。
「あいつも微かにおんなしマヨイガの気配が見ぇるしぃ。もっとゆうんなら、さっきのとシガンは多分そう遠くない血縁者やも。なんやしら知っとぉせ。」
「じゃあ、シガンさんには今回の件黙っておいてくれませんか?」
「なして?」
「シガンさんはあまり自分の家系のことを話したがらないので。できればあまりそこらへんの事に突っ込みたくないんですよ。」
「……。」
全部を見透かす様な視線に晒されつつも私はいつはさんの顔を見る。
口元に少しだけ浮かぶ作り物の笑みだけがいつはさんの顔を薄らと彩っている。
やがてヘラリと笑ったかと思えばすぐに口を開く。
「つつじは優しいせぇ。まぁ、黙っといたるしぃ。」
「自分のために首突っ込みたくないんですがねぇ。」
別に優しいと言われる筋合いはない。
それでもいつはさんはもう一度優しいと囁いたあと、私の少し後ろに視線をやる。
私も同じ様に視線を向けると仏頂面のシガンさんが家から出てくる所だった。
シガンさんは月乃と二、三言葉を交わしたところで私といつはさんを見つけ、ツカツカと歩いてくる。
ヒガンさんはいない。
最近はフェレスと散歩をしていることがあるので今もそれだろう。
あの人達の散歩はいつも暗くなってからだから。
「今度はなんやぁ?」
「つつじ達が妙なんに追いかけられとぉたから送りに来たし。もう帰るせ。」
「そうか。おおきに。」
いつはさんは退屈そうな笑顔をしたままふと思い出した様にこちらを向いた。
「つつじ、今日怪異にあったけ?」
「追いかけられた以外は特に何もありませんが……。どうかしましたか?」
「いんや、あっとらんのならええしー。忘れてええせ。」
それだけ言うとフラフラと煙の様に歩いて行った。
なんだったんだ?
怪訝に思っているとシガンさんが横に立っていた。
いつの間に。
「二人とも怪我とかないか?」
「多分二人とも無傷です。」
「ん、ええ事や。今日は早よ寝とき。」
少しだけ話した後、すぐにお互い家に入る。
そういえば今日やろうと思っていた宿題が一切終わっていなかったからやらないと、後風呂掃除に明日のお弁当の準備……まだまだやる事がある。
シガンさんには早く寝ろと言われたが、今日は少し寝るのが遅くなりそうだな。
色々考えながらリビングに入ると、月乃達が楽しげに話している。
月乃よ、暇ならば風呂掃除でもしてくれ。
そう言いたくなったが月乃がいなければ早々に追いつかれていたし、わざわざ文句を言うのも面倒なので黙って夕飯の準備をする。
「ねぇ、つつじー?」
「何?」
あれから何度か下校時につけられたのでいつはさんの家に逃げ込むと言う習慣が固定した頃、顔色が悪そうな月乃が恐る恐る、と言った様子で私の部屋をノックした。
とりあえず扉まで行くと、月乃は目を細めてモゴモゴしながら切り出す。
いつもギリギリうるさくない程度に話す月のには珍しかった。
「来週のテスト範囲、教えてくれない……?」
「プリントとタブレットにあるでしょ?」
最近の学校はすごいもので、一人一台タブレットを配布してくれる。
そこのアプリの一つに中間テストの範囲が投稿されていたはずだ。
「いや、中身を教えてほしくて……。数学とか……。」
私は黙って扉を閉める。
「待って!見捨てないで!」
「こっちも勉強あるから。」
「ほら!人に教えると復習になるって言うじゃん!」
月乃のあまりの必死さにわざとらしく大きなため息をつく。
渋々もう一度扉を開けてやる。
「教えてくれるの!?」
「……何を教えて欲しいの?」
私は英語とか数学はあまり得意ではないし、自分の勉強や息抜きの時間も必要だ。
そのため教えられる時間と内容には限りがある。
「………数学と、生物基礎と、英語、化学基礎、言文、現国、地理、歴史、家庭科。」
私はもう一度扉を閉める。
「待って!見捨てないで!」
「見捨てる。」
「ほら!人に教えると復習になるって言うから!」
さっきと同じ様なやり取りをしながら私は今度こそきっちりと扉を閉めた。