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トンネルに入って数分経つが、背後の何かに変化はない。
なんとなくなんかいるな、程度だ。
普通に散歩で歩いている人と言われても頷ける。
「通りすがりの人かな?」
小さな声で月乃が囁く。
私も背後の何かに気取られぬよう、小さな声で囁き返す。
「わかんないけど、普段通りすがる人なんていないし、人間だったとしても不審者の可能性は否めないからこのまま振り向かずに行こう。」
もしもどこまでも追ってくるようならシガンさんの家にでも逃げ込めばなんとかなるだろう。
人間でも怪異でも暴力的に解決してくれる。
一旦の方針を固めると途端に話すことがなくなり、足音以外の音がほとんどしなくなる。
トンネルの中は音がよく響いた。
十分ほど歩いただろうか。
もうトンネルも抜け住宅街まで来ているが、後ろの何かは変わらずに一定のスピードで歩いてくる。
途中何度か明らかに通りすがりの人が通らないであろう道を通ってみたがついてくる。
ここまで来ればおそらく普通の通りすがりの人間ではないだろう。
明らかに私と月乃を追ってきている。
「つつじ、どうする?後五分くらいで家に着くけど…。」
「シガンさんの家に逃げ込もう。人間でも怪異でもなんとかしてくれるはず。」
そこまで話したところでふと背後の何かが止まった。
どこかへ行ったわけでは無く、唐突に立ち止まったような感じだ。
急にどうした?
怪訝に思っているのも束の間、背後から音がした。
これは、足を思い切り踏み出す音。
「走るよ。」
「う、うん!」
後ろの何かが走り出すと同時に私と月乃も走る。
不審者にしろなんにしろ走って逃げたほうがいい。
しかし、ここで問題になってくるのは私の体力。
私は学校終わりに重いリュックを背負って全速力で走れるほど日頃から運動していない。
瞬く間に追いつかれる____と思ったが、案外そうはならなかった。
月乃が私に向けて手を伸ばした。
深く考える前に色々な恐怖から手を取る。
月乃は私の手を取ると、そのまま全力で走る。
途端に体が引かれ、先ほどよりもずっと体が軽くなる。
おかげで転びそうにはなるが追いつかれはしない。
周りの景色が恐ろしいほど早く通り過ぎていくのには背後のそれとはまた違った怖さがあるが。
しかし、そのうち体力の限界が来ることは避けられない。
私の足がもつれて月乃諸共転ぶ前に何か考えなければ。
おそらくだが、このまま追いつかれずに家に着くことはできない。
私が体力的な限界を迎えるほうが早い。
それだけは断言できる。
後ろ何かもそれなりのスピードで走ってきているが、私たちを追い越すようなことはなさそうだ。
追いつけないのか追いつかないのか。
前者ならばいいのだが後者の場合、やはり怪異の可能性が高い。
振り向くことで襲ってくるかもしれない。
しかし前者にせよ後者にせよ、なんの前触れもなく突然走り出したのは不自然だった気がする。
なぜあのタイミングで走り出したのだろうか?
歩くペースは変えていない。
会話が聞こえていたかどうかはわからないが、同じくらいの声の大きさで何度か会話をしていたから会話が原因でもないはず。
ただ偶然、なんの意図もなくそのタイミングで走り出した可能性も十二分にある手前、なんとも言えないのだがそれくらいしかヒントがない。
他に何か、手がかりはないか?
「ああっ!!」
突然真横から大きな声が聞こえ、隣の月乃が足を緩めた。
何事かと思い視界に集中すると、見覚えのない住宅。
さらによく周りを見ると、見慣れない住宅が立ち並んでいる。
嫌な予感に胸を炙られながら横を向くと、案の定青い顔をした月乃がいた。
「ごめん、迷子っ!」
まじかコイツ。
確かにこの地区は細道が多いし似たような住宅街だが。
それでも家にくらいは帰れるだろう。
よりによってこんな時に迷いやがって。
一緒に走っていながら迷っていることに全く気が付かなかった自分を棚に上げて文句を言っている間にも後ろからは変わらぬペースで足音が聞こえる。
足音に急かされるように手を引かれ、また走る。
しかし来た道を戻るわけにもいかず、迷子のままあてもなく走っている分先ほどよりも状況は悪化している。
「____!」
視界の端に、何かが入り込んだ。
思わず視界に入った異物と反対の方向に身をのけぞらせる。
「うおわぁっ!!つつじ!?」
「ごっ、めんっ。」
月乃と思い切り肩が当たったが、異物は私の頬を掠めるにとどまった。
カランと大きく音を立てて転がった異物の正体は、やけに薄い刃物。
素早く刃物が掠った頬に手をやると、案の定血が出ている。
ほんの少し掠っただけでもしっかりと肌を破るだけの鋭さを持つ刃物が後ろから飛んできたのか。
もし頭を直撃していたら大怪我をするどころか最悪命を落とすところだった。
血の気も引かずに淡々と分析を続ける自分に若干引くが、今はそれどころではない。
息が切れて苦しいが、月乃の方を向く。
「つ、月乃、後ろ…気をつけて。」
「わかった!つつじも気をつけてね。」
そろそろ体力がつきかけている。
いい加減どうにかしなければ。
後ろの何かは刃物を投げてきた。
怪異であればわざわざそんなことをしなくてもいいはずだ。
つまり、後ろにいる何かは人間である可能性が高い。
突然追いかけてきて刃物を投げてくる怪異はおそらくいないと思う。
なぜ追いかけるのかは不明だが、相手が人間ならばどうにかなる。
適当な家に逃げ込もうと月乃に提案しようと横を向く。
そこでまた、鈍色の薄い刃物が飛んでくる。
今度は月乃のリュックに直撃。
グッサリとリュックの真ん中に勇者の剣さながらに突き刺さる。
多分教科書何冊か逝ったな。
心の中で月乃の教科書に手を合わせる。
来世はいいとこの紙に生まれ変われ。
そんなことを考えている間にも刃物は飛んでくる。
月乃はまだ私の手を引いて走り続けているが私がもう限界だ。
おまけにもうここがどこだかわからない。
家の近くにこんな所はなかったと思う。
だが、まだそんなに走ってはいないはずだ。
まだ私の体力がギリギリとはいえもっているのだ。
そこまで遠くに来ているとは思えない。
にもかかわらず、周りは見たこともない場所。
月乃はどんな道を通ったんだ。
こんな事なら最初から逃げる事に専念して道を覚えておけばよかった。
私達は飛んでくる刃物を避けるように角を曲りながら走り続けていた。
しかし、もう何度目かわからない角を曲がったところで運は尽きる。
「い、行き止まり……。」
「行き止まりだね……。」
目の前にはどうやっても登るのは不可能であろう家の壁。
後ろからは何かの気配。
詰んだ。
振り返ることもできずに壁の前に立ち尽くす。
「ど、どどどどうする!?ここ登る!?」
「登れないでしょ。」
「じゃ、じゃあ戻るしか…。」
「そうだね……。」
いつのまにか刃物が投げられることは無くなっていたが、すぐ後ろに人がいるのがわかる。
一歩、後ろの何かが動く音がした。
足音はない。
強い風が吹いた。
その風に乗って、意外な人の声が聞こえた。
「何しよるん?」
先に振り返ったのは、月乃だった。
「いつはさん!?」
それに続き、私も後ろを向いてみる。
そこにはやる気のなさそうな笑みを浮かべるいつはさんが立っていた。
不審な人やものは見当たらない。
ただ着物なのか山伏が着る法衣なのか分からない服をなびかせているいつはさんがいるだけ。
私は梔子色から目を逸らしていつはさんの方をむく。
「どうしてここに?」
「なんやぁ、助けたんにそんな警戒せんとええせぇ。」
「やっぱり後ろになんかいたの!?」
「おったせぇ〜。つうても警戒するほどでもないせ。」
いつはさんは無表情の笑顔で顔を満たしていた。