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ハラキさんが慌ただしく去っていくと図書室は急に静かになった気がする。
別に静かだからと言って私や先生、キリカさんが会話をしないわけではない。
会話をしていても先ほどとは比べ物にならないくらい個々の声が小さいだけで、小さく聞こえるのは先ほどのハラキさんの声が異様に大きかったからだ。
だから声の大きさに違和感はない。
むしろさっきまでの声の大きさがおかしかった。
今違和感があるのは図書準備室の圧迫感だけだ。
ハラキさんが走り去った後、とりあえず図書室から準備室まで移動したのはいいが、ただでさえ窓もなく薄暗い中本棚が群生しているこの部屋に三人、それも新刊が入ったばかりで本が山積みになっておりいつも以上に手狭になっている状態なのだ。
普段より圧迫感がある。
せめていつもは折りたたんで端に置いてある折り畳みの机がいつも通り折り畳まれていればもう少しマシだったかもしれない。
今は新しく入った本にブッカーがけをするため、机が折り畳まれていない。
どこにそんなものを置くスペースがあったかと言えば、本棚を移動させて床に置いてあった段ボールを片付け配架に使う可動棚を図書室にだして無理やりスペースを作ってねじ込んだ。
私と小戸路先生二人の時はこじんまりとした秘密基地感があって狭さもあまり気にならなかったのだが、人間が一人増えるだけで秘密基地じみた空間が圧迫されるとは思わなかった。
そんなどうでもいい事をボ〜っと考えている間に小戸路先生がいつものパイプ椅子にそっと腰をかける。
そしてそままキリカさんの方を向いて笑顔を向ける。
「キリカ、フルネームとクラス、山瀬さんに教えてあげて。」
「ああ、そういえばまだちゃんと自己紹介してなかったね!おれは百茅 霧日。ハラキくんとおんなじ二年一組。つつじちゃんも一組だよね?ハラキくんが言ってた!あ、スマホ持ってる?連絡先交換しない?」
楽しげに笑って話しかけてくるキリカさんをみていて一つ、気づいたことがある。
この人、陽キャだ。
赤井崎と同じマシンガントークと言っても差し支えないのに赤井崎と違ってキリカさんはニコニコとこちらの様子を伺いながら言葉を紡いでいる。
ただ言葉を垂れ流しにしている赤井崎とは大違いだ。
これが陽キャの実力か。
妙に距離が近いが何故か鬱陶しさを感じずマシンガントークと見せかけてきちんと会話をするあたりを赤井崎に見習ってほしい。
しみじみと赤井崎とキリカさんを比較していると、また図書室の入り口から音がした。
今日はよく人が来る。
「愁先生ー。頼んでいた本、とりにきましたー。」
いつものように花車先生が本を取りに来たようだ。
四月は図書館まで花車先生が来ることは少なかったが、最近はよく図書室に直接本を取りに来ている。
しかし、今日はハラキさんたちが来ていたのでまだ本を探せていないどころか何を探せばいいのかも聞いていない。
「すいません、まだ本準備出来てないんです。今探すのでちょっと待ってください。山瀬さん、お願いできるかな。」
小戸路先生が申し訳なさそうな顔を作って私に本の題名を伝える。
そして私はいつものように本を探して本棚の中を歩く。
キリカさんは小戸路先生と花車先生の会話に混ざっていたので気にしなくていいだろう。
探す本はいつも通り古典や文法の本。
しかし、今日は一冊だけ異質な本が紛れ込んでいる。
題名的にビジネス書の類だと思われるが、何故こんな本を借りるのだろう。
疑問に思いながらも迷うこと無く本を探して引き抜いていく。
全ての本を探し終えるのに五分とかからずにせんせいのところにもっていく。
それで仕事はおしまいだ。
「先生、本探し終わりましたよ。」
「え!?もう終わったの?結構本あったと思うけど……。」
「ここ狭いので。」
花車先生に作り物の笑顔を向けながら本を渡す。
花車先生は若干戸惑いながら本を受け取って職員室に帰って行った。
ちなみに小戸路先生が本を運ぶ手伝いを申し出ていたが、強引に断られていた。
何をしたかは知らないが多分あれは花車先生に相当嫌われていると思う。
「つつじちゃん、悪いね〜。」
「何がです?」
私は花車先生が図書準備室を出て行った瞬間に真顔になったであろう自分の顔に触れながら答える。
キリカさんには完全に作り笑顔をしていたのがバレたが、別に他学年だしいいかと思い開き直った。
どうせ特進だし部活もやっていないだろうし、うちのクラスと接点はないはずだ。
「悪いと言えば、先生もなかなかですよねぇ。」
そう言ってキリカさんは小戸路先生を見て笑う。
小戸路先生はまた怪訝そうな顔をした後にスン、と真顔になった。
「そんなことはないでしょう。処世術ですよ。」
いつも通りの低温の小戸路先生が丸眼鏡をかけてパイプ椅子に座っている。
作り笑顔の消えたその顔を見てキリカさんが小戸路先生の素を知っている事を察する。
そうでもなければここまで取り繕いようのないミスはしないだろう。
どうして知っているのかは知らないが別に詮索することでもないし。
「つつじー!!帰れるー!?」
「じゃあ、月乃が来たので帰ります。」
「また明日ね〜。」
時は過ぎて七時過ぎ。
いつも通り部活が終わったらしい月乃と一緒に図書室を出て帰路に着く。
四月に比べると若干明るくなってきたが、まだ薄暗い帰り道はなかなかに不気味だ。
月乃は全く気にしていないようだが。
常々思っているがこの人の度胸はどうなっているのだろうか。
今まで何度も怪異に巻き込まれているはずだが、私は月乃が怖がっているのを見たことがない。
慌てているのはよく見るが。
前を歩く月乃の黒髪をぼんやりと見つめながら思い返してみるが、やはり怖がっているようなそぶりを見た覚えはない。
ふと、思考を止めて目線を上げると月乃の黒髪に目の焦点が合う。
あれ?
「月乃、彼岸花の髪飾り外したの?」
月乃の髪にはいつかの彼岸花が咲いていなかった。
「え?今更?」
月乃は驚いたような顔をして振り向く。
そんなに驚かなくてもいいだろう。
朝なんて頭が働いていないし、学校で月乃と話すこともないのだから気づかなくても不思議はない。
「つつじの家に住み始めてから一回もつけてないけど。」
「………ほんと?」
「ホントホント。だって、あの髪飾りつけて歩くと怪異に巻き込まれた拍子に壊れそうだから。」
そんな真っ当な理由でつけてなかったのか。
いやつけてない理由なんてどうでもいい。
問題はそれに一ヶ月近く気づいていなかった私の観察眼の方だ。
最近疲れてるのだろうか。
今日は早く寝よう。
「ねぇ、つつじ。」
不意に月乃が真面目そうな顔で歩く速度を落として私の隣に並ぶ。
目の前にあった頭が消え、その先のトンネルが見える。
トンネルの中は電気が付いているとは言え十分に暗い。
「最近帰り道の予知夢見た?」
「見てない。」
「じゃあ後ろのはひと?」
「さぁ?黙って歩くしかないね。」
トンネルに足を踏み入れながら私と月乃は静かに話す。
後ろに何かしらいるのは気づいていたが、怪異か不審者かと言われるとわからないのでとりあえず黙って歩く。
ただの不審者だった場合はさっさと走って撒くまでだが、怪異相手に走って逃げるのは怖い。
走ったら追いかけられそうで怖い。
二人並んで誰もいないトンネルを歩き続ける。
私達の足音と後ろから微かな衣擦れのような音がする。
足音のような音もする気がするがよくわからない。
トンネルはまだまだ続いている。