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「ねぇ、」
「何?」
「アレ……。」
月乃が言いにくそうに目線で示したのは、廊下側の机の一つ。
その机は他の机とは違い、古そうな木でできた、今にも壊れてしまいそうな代物。
明らかに普段の教室にはない備品だ。
やけに雰囲気のあるその机の上には、見覚えのある紙が。
指を十円玉から動かせない月乃に変わり、恐怖からくる気持ち悪さを抑え込んでそっと紙を見下ろす。
そこには黄色く変色した紙に、真っ赤な鳥居と五十音。
やけにリアルに描かれた鳥居の上には昭和二十六年のギザギザした十円玉が乗っている。
十円玉は私を嘲笑うかのように鳥居の上をぐるぐると回っている。
やがてピタリと止まった十円玉はゆっくりと動きだす。
や、つ、て。
三文字を十円玉がゆっくりと示し続ける。
やつて、やって。
コックリさんをしろ、と言いたいのか?
私が意味を測りかねていると、十円玉はまた違う文字を示し始める。
し、ゆ、う、え、ん、ゆ、ひ、の、せ、て。
しゆうえんゆひのせて、じゅうえんゆびのせて、十円指乗せて。
どうやらコックリさんをしてほしいようだ。
だが、コックリさんは一人ではできない。
コックリさんをやる時のルールに反する。
コックリさんの主なルールは四つ。
一、遊び半分でやらないこと。
二、一人でやらないこと。
三、絶対に途中で手を離さないこと。
四、コックリさんについて聞かないこと。
後始末のルールとか細かいのはまだあるが、コックリさんを行う上でのルールはこんなところだ。
そして一人でのコックリさんはニのルールに引っ掛かる。
さてどうしたものかと考えあぐねていると、月乃の方から声が聞こえた。
「つ、つつじっ!これ、どうすればいい?」
月乃の元まで戻ると、月乃の指が乗っている平成の十円玉が動き回っていた。
えー、と。
ゆ、ひ、は、な、せ。
ゆひはなせ、ゆびはなせ、指離せ。
なるほど、月乃にルール違反させようとしてるな。
「絶対に指離さないで。あと、コックリさんやる上でのルール守って。」
「ルール、って、十円から手を離さない、とかのあれ?」
「そう。多分、コックリさんはルール違反させようとしてる。あっちの十円も、私がルール違反するように誘導してた。」
察するに、私達にルール違反させて、ルールの名のもとに呪いでもかけようとしている。
多分、コックリさんはルールを破った人間にしか手出しできないのだろう。
じゃなきゃこんな回りくどいことしない。
と信じたい。
「そ、それじゃさっき帰ったみんなはどうなるの!?」
「多分、あの人達は大丈夫だと思う。」
「なんでそんなことが言えるの!?」
月乃がかなり焦った様子で私をに怒鳴る。
私はだいぶ冷静さを欠いている月乃を片手で制しながらゆっくりと根拠を述べた。
月乃を落ち着かせるように、ゆっくりと宥めながら。
「あの人たちは能力持ちじゃないからね。多分、コックリさんからは認識されてない、もしくは興味がないはずだから大丈夫。だって、あの人達は閉じ込められてないけど、コックリさんをやってすらいない私がここで身動き取れなくなってるんだよ?もしあの人達を認識してたらあの人達も一緒に閉じ込められるはずでしょう?」
ゆっくりと言い聞かせると、月乃は安心したような顔をして肩の力を抜いた。
その拍子に指が十円玉から離れないか心配したが杞憂におわった。
さて、月乃が落ち着いたところまではいいが、これからどうしたものか。
ルール違反をしなければ大丈夫、と思いたい。
廊下の謎生物、(コックリさんと呼ぼう)が教室に入ってきて鬼ごっこスタート、なんてことになる可能性があるが、今のところそんな気配はない。
もしそんなことになったら私は過呼吸と心臓の血管の破裂で死ぬ。
そんな怖いことになる前にシガンさんに来てほしいが、シガンさんはウズさんと一緒にいるはずだ。
そしてウズさんは盲目。
シガンさんが目の見えないウズさんを放って私達を探しにくるとは思えないし、かと言ってウズさんをここに連れてくるとも思えない。
一番あり得るのはウズさんをどこか人のいる安全な場所においてから私達を探しにくるパターン。
だがそれは前者二つのどちらよりも私達を探すまでに時間がかかる。
つまり、助けは当分来ない。
しばらくこのまま待たないといけない。
気づけば古い紙が載っていたあの机だけでなく、教室中の机が古い木製の机になっていたり床がこれまた古そうな木になってきている。
段々と原型をなくしていく教室を落ち着かずに見渡していると、またあの机でギザギザの十円玉が動いた。
私は文字を確認するために恐る恐る廊下側の机に向かう。
それだけで床はギシギシと嫌な音を立て、埃と木屑が薄く舞う。
長く感じられる時間をかけ、たどり着いた机では、案の定昭和の十円玉が文字を示していた。
ち、よ、う、だ、い。
ちようだい、ちょうだい、頂戴。
十円玉が辿ったであろう道筋には真っ赤な何かがこびりついている。
何がほしいのかは知らないが、これはやばい。
十円玉はずっと紅を吐きながら紙の上を動き続ける。
もうこれは見ない方がいい。
そう思い、紙から目を離そうとした瞬間。
声が聞こえた。
禁忌を犯す声が。
「あなたは、誰?」
掠れた声は、確かに私の耳に届いた。
月乃が、ルールを破った。
床が軋む音がした。
それは床が軋むほど早く重く十円玉が動き出した音だった。
「えっ。」
惚けた顔をしている月乃のところまで走り、すんでのところで手を掴む。
月乃は自分が何をしようとしていたのかわかると、驚いたような顔をするが、それでも手の力は弱まらない。
変わらずに窓枠を掴んでいる。
月乃は窓枠を掴んで、窓枠に乗って、飛び降りようとしていた。
「わ、たし、なんで!」
「ルールを破るからだよ。」
思いの外冷たくなった言葉に、月乃は焦ったように声を返す。
「破ってない!だって、手を離してないもん。」
「コックリさんのルールには、コックリさんのことを聞いてはいけないっていうルールがあるの。」
まさか、知らなかった、なんてことは…‥。
「そんなの知らないよ!それに、私はコックリさんに言ったわけじゃ……。」
「今はそれどころじゃないよ。」
呆れとちゃんと説明しておくんだったという後悔に駆られながら飛び降りようとする月乃を押さえつける。
だが、もとより運動不足でここ最近は教科書の入ったリュックよりも重いものを持っていない私が特進クラスにも関わらず体力テストでAを取る運動バカに勝てるはずもない。
私の手は今にも振り払われそうだ。
ガチャンっ!
教室前方の扉が大きな音を立てる。
それに驚き、私は手を離してしまった。
やらかした、と思うよりも早く、先ほどよりもずっと大きい音が響き渡る。
ズガァァァン!!!
大きな音と共に教室の扉が大きくひしゃげる。
そこから顔を出したのは、歪なかたちのコックリさん(仮)。
それは何をするでもなくただ教室と廊下の狭間で座ってこちらを紅い双眸で眺めている。
襲ってこない?
特に何をするでもなくただそこにいるコックリさんはただ不気味にこちらを見つめ続ける。
その間にも床はギシギシと鳴り響き、十円玉は高速で紙の上を走り回る。
あ、月乃。
私はついさっき手を離してしまった月乃を思い出す。
手を離したら今にも飛び降りてしまうであろう月乃の手を、自分は離してしまったのだった。
思い出した瞬間に、振り返って月乃がいた窓の方を見る。
そこには開いた窓と窓から通る風に吹かれるカーテン______だけだった。
月乃の姿はない。