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あたりが真っ黒な光に包まれると同時に、私の目の前には見知った体の一部が現れた。
一瞬自分の手が取れたのかと思ったが、その心配は目の前の手のおかげで消えた。
「起きてるー?」
軽い調子で現れたのは、フェレスだった。
どうしてここに?とかこっちは死にそうなんだよふざけんな、とか思ったが、相変わらず体は痛み、声はでなかった。
だが、先程の光によってさっきまであった眠気のようなものは完全に消え去っている。
周りを見る余裕もできた。
天井にも床にも名前は書かれておらず、さっきまで月乃の前にいた人影もいなくなっている。
私の手や足にあった文字も同じように消えていた。
でも、月乃だけは見当たらなかった。
「もしかしてちょっとヤバイ?」
フェレスはようやく少し焦ったように私の周りをうろちょろし始める。
何か言おうかと思ったが、まだ体の節々が痛くて声が出ない。
とりあえず生きていることを伝えるために手を動かしてフェレスをつつく。
「あ、よかった生きてるね。多分月乃ちゃんはシガンたちが保護してるから安心してね。あと___」
フェレスがなんか色々と言っているが、そのほとんどは耳に入ってこなかった。
なんせ体が全身筋肉痛のような痛みで軋むのだ。
その痛みを自覚した時にはもういかに体を動かさずにいられるかしか考えられなくなっていた。
「じゃ、浮かせるね。」
ふわっと体全体が浮かび上がる。
えっ?
驚く暇もなく私の体は三十センチほど浮かび、スーっとシガンさんたちの家のリビングらしき場所に並行移動していた。
そしていつの間にか座布団が四つほど並んだ上に寝かされる。
「つつじ、何驚いてるの?」
そりゃあ体が突然浮いて並行移動したら誰でも驚くだろう。
「つつじ〜大丈夫か……大丈夫やなさそうやな。」
シガンさんとヒガンさん、月乃がリビングの奥の方から出てきた。
なんで?
玄関からじゃないの?
と思ったが、考えるのはやめた。
もう考えても仕方ない気がする。
だってあの空間明らかにおかしかったし、そこから帰ってきたあとどこに出るのかなんて知らないし。
そもそもどうしてあそこから出られたのかもよくわかんないし。
そういえばなぜか月乃の顔色が悪い気がする。
考えるのを放棄しながらそろそろ声が出せるだろうかと考えている間に、立っていた三人が適当に座布団を敷いて座った。
「シガンさん、どういうことですか?」
家に怪異がいるなんて聞いていないぞ、という意味を込めてようやく出せた声で言うと、シガンさんは若干申し訳なさそうな声で説明をしてくれた。
「あの怪異はな、俺らが住んどった前の家からついてきたやつなんや。そいつは基本的には洗濯やら飯やらの家事を勝手にやってくれるっちゅう怪異なんやけど、ちょいと心配性でな。家に家主以外…特に能力持ちや他の怪異に厳しくて、時々こうやって追い出そうとするんや。」
「めっちゃ危ないじゃん!?」
「どうしてそれを先に言ってくれないんですか……」
「やから言ったやん。来る前に連絡しろ、って。俺かヒガンが一度招き入れたやつなら今後も自由に出入りできるから、俺らがおるときに来てほしかってん。」
「既読ついてましたよ?」
「あれに既読つけたんはこの家や…。」
つまり、既読をつけたのはシガンさんではなく家についている怪異だった、と。
「さっき話はつけてきたから、今後は大丈夫や。……多分。」
「多分ってなんですか、多分って。」
不安になるようなことを言わないでほしい。
「やってまさかお前ら二人でくると思ってなかったんやもん。あの妖狐と人形、あとその手も一緒に来ると思ってたんや、おれとシガンは。」
ヒガンさんは相変わらずふよふよと浮きながらシガンさんの頭上を漂っている。
「まぁ、今後大丈夫ならいいですけど……。」
「普段は優秀な怪異なんやけどな……。」
どこから出したのかお茶を飲みながらシガンさんがため息をつく。
いつの間にかちゃぶ台の上には水と麦茶が人数分おいてあった。
シガンさんとヒガンさんはなんの違和感も持たずにその飲み物を飲んでいるので、これを出してくれたのが家の怪異なのだろう。
そのまま一時間近く雑談(主にフェレスと月乃とシガンさんが喋り、それを笑顔で眺めるヒガンさん、黙って聞いている私という、雑談と言っていいのかは分からない状態だったが。)をして、ようやく本題に入った。
「なぁ、つつじ。今日の怪異について、なんか思う事なかったか?」
そう切り出されて始まったのは、怪異に関する話だった。
そういや元々今日呼び出された理由は怪異に着いて教えておきたいことがあるからだったか。
私は壁一面を覆い尽くす名前の大群を思い出していた。
「名前がトリガーになって怪異が動き出した……気がします。」
「正解。これは早いとこ教えときたかったんやけど、”名前"は怪異に知られん方がええんや。名前は人が思っとる以上に重要なもんで、特に現実や無い場所に飛ばしたりする怪異なんかは名前を知りたがる。なんでか分かるか?」
「名前でその場所に存在を縛ろうとするから。」
私と月乃の代わりにフェレスが即答した。
知っていたなら教えてくれと切実に思う。
知ってたら絶対に名前呼ばなかったのに。
「当たりや。名前以外にも、“そういう”とこでなんか食べるのもよくないな。」
「ヨモツヘグイですね。」
「せや。あと、振り返ったり、返事をするのもよくない。怪異にあったら、とりあえず振り返らず、何も言わずに逃げるんが一番手っ取り早いんや。特に妖が相手やとな。」
「妖以外だと振り返ったりしなくてもダメなの?」
月乃がシガンさんにタメ口叩いてる…。
元々人との距離が近いと思ってたけど、シガンさん相手にタメ口はすごいと思う。
当のシガンさんは月乃のタメ口なんて気にせず答えた。
「いや、そもそも妖だったとしても例外なんて山ほどおる。ただ、そういう対応をすると何もせんと帰る怪異もおるっちゅうだけの話や。うまくいけば怪異に襲われんで済むし、うまくいかんかったら相手してやるしかない。運が良ければ怪異に絡まれんですむ、程度に思っといてくれや。」
「怪異にあったらなるべく名前を呼ばへん、振り向かへん、答えへん、食べへん。これを守るだけで多少は生存率が上がると思うでぇ〜。」
怪異との付き合いはこの中で二番目に長いであろう二人が言うなら信頼がおける情報なのだろう。
確かに、今までも何度か振り向いたり答えたりしてはいけなさそうな怪異にあった記憶はある。
ただ。
「なんでもっと早く言ってくれなかったんですか?」
もっと早く言ってくれていればさっきの怪異だってなんとかなったかもしれないのに。
少なくとも名前が知られることはなかった。
“知らない”が命取りになるのが怪異だ。
怪異の中には対処法が存在する場合が多い。
その対処法を知っているかいないかで生死が決まる。
それが話からに人たちではないはずだ。
「…すまんかったけど、こっちも時間がなかったんや。」
苦々しい顔をしているシガンさんを見ると、何か忙しかった理由がありそうだが、話すつもりはなさそうに見える。
そうですか、とだけ返して起き上がって水を飲む。
体が引き攣るような感覚と筋肉痛のような痛みがあるが、起き上がることはできた。
「つつじ、結構危なかったよ。月乃ちゃんが説得して時間作ってなかったら、死んでたと思う。」
「説得?」
「死んでた?」
誰を説得したのだろう、と言う疑問から私が放った『説得?』と、月乃の『死んでた?』と言う声がハモった。
「月乃ちゃんがね、この家の怪異と会話をしてたみたいなんだよ。その会話に気を取られた怪異はつつじの始末にまごついてたから、僕がつつじを回収する時間があったってわけ。つつじ、月乃ちゃんに感謝するんだね、」
じゃあ、あの時月乃の前にいた炎のような影は、家の怪異が実体化した姿だったのか。
そして月乃と会話をしていた。
考えがまとまってふと月乃をみると、真っ青な顔をしている。
…察するに、月乃が私をひっぱたいたせいで私が死にかけたと思って責任を感じているのだろう。
わかりやすい人だ。
「月乃、ありがとう。」
「「「「……………!」」」」
なんか変なこと言ったかな。
私以外の全員がすごい顔をしている。
驚きと意外性を混ぜて笑顔で割って失礼をかけたような顔をしている。
しばらくすると、全員の表情が溶けて小さい子供を見るような顔をした。
「つつじ、珍しく素直だね。」
「えらいで、つつじ。」
「明日槍降るんやないの?」
和み切った表情と空気感の中そんなことを言われる筋合いはない。
月乃なんか青い顔を通り過ぎて土気色な顔をしている。
そんなに私の感謝はめずらしいか?
「私、ありがとうは割と言っていると思いますけど。」
昔、なんでもいいからとりあえずありがとう、と言う癖があると言われた程度には言っていると思う。
三人はそんなわけ…と言う顔をしていが。
納得いかない。
「つつじ、お前冗談はそんなもんにしとき。」
「冗談のつもりはないんですけど。」
「そういや、学校はどうや?」
しらっと話を変えたな、シガンさん……。
「変わりありません。」
「お前学校のことそれしか言わんやん。」
苦虫を噛み潰したような顔をしているシガンさんには申し訳ないが、特筆すべきことが思いつかないのだから仕方がない。
あと多分私より月乃に聞いた方がいいと思う。
なんか大変そうだったし。
「月乃ちゃんはどうなん?」
「ようやく2人が仲直りしてくれました。」
月乃が遠い目をして明後日の方向を見ている。
顔色はまだ若干悪い。
「面倒そうなことに首突っ込むからそうなるんだよ。」
「つつじ以外のクラスメイト総出で仲直りさせたんだよ?むしろなんでつつじはあの状況で普通にしてられたの!?」
「別に普段とそんな変わらなかったと思うけど。」
休み時間のたびに叫び声が聞こえて、お弁当を食べる時間には教室に誰もいなくなっていたと思う。
特に普段と変わりはないと言っても過言ではなかった。
「休み時間になったらお互いの陰口を大声で言い合って、お昼休みになったら二人とも取っ組み合いの喧嘩しそうだったからみんなで宥めすかして教室から連れ出してるのが普段とそんなに変わらないわけないでしょ!?」
そんなことを言われても、私にとっては放課後の方が大事だったのだ。
何が起こるかと恐る恐る図書準備室に行ったが、これといって普段と違うことはなく拍子抜けしたけど。
会話の温度が若干下がったくらいで、いつも通りだった。
「つつじ、お前なぁ…。」
「そんな呆れた顔しないでくださいよ。呆れたいのはこっちですし。」
「こっちは大変だったんだよ!?」
「でも “どっちのメンツも潰さずになぁなぁにした”だけでしょ?また近いうちにおんなじことが起こるよ。」
思ったよりもずっと冷たい声が出てしまったようで、月乃は顔を引き攣らせた。
「つつじ。」