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長い。
とても長い。
異様に長くて暗い廊下の突き当たりの扉を目指して私と月乃が走っている、走っている。
視界の端の壁には私と月乃の名前が大きくびっしりと歪な文字で書きなぐられている。
「なんか、嫌な予感がするんだけど…。」
今日はシガンさんに呼び出されている日。
私はフェレスから今日見ていた夢の内容を聞いているところだった。
そしてこの後シガンさんの家に行かなければいけない。
廊下と家。
シガンさんの家に廊下があるかは知らないが、もしあったら確実に巻き込まれる。
行きたくない。
だが、いつかは夢は現実になるし、シガンさんの家にもいつかは行かなければならないし。
諦めるしか道はない。
だが、今日見た夢がその日のうちに現実になったことは今のところないから大丈夫。
大丈夫、大丈夫。
しばらく自分に言い聞かせながら準備をして、一階に降りる。
「つつじ!届いたぞ!」
「あかね、うるさい…。」
珍しくあかねが大きな声ではしゃぐような素振りを見せた。
その手にはなにかの包みがある。
それに届いた、と言うことは…。
「しろくまたん?」
「そうですわ!」
いつの間にかメリーさんと月乃もしろくまたんが入った包みをもつあかねの近くにいた。
どうやら修理に出していたしろくまたんが帰ってきたらしい。
あのバラバラになったしろくまたんはすぐに修理に出された。
そしてそのお金はなんとメリーさんとあかねがシガンさんに頼み込んでくれて、シガンさんが払ってくれるということになったのだった。
何があったのかは知らないが、おそらく月乃がすごい剣幕で怒ったんだと思う。
しろくまたんを壊したことについて。
「つつじ?何を遠い目してるの?」
「なんでもないよ。それより、しろくまたんちょうだい。」
「ほらよ。」
そう言ってあかねが放り投げた包みを見事キャッチして中を見る。
そこには綺麗に四肢がつながり、わた一つでていないしろくまたんが横たわっていた。
布を縫い合わせた跡もほとんどなく、元通りのしろくまたんだ。
私はしろくまたんを部屋に置いてくると告げ、階段を登って自室へと向かう。
しろくまたんをおいてリビングに戻ろう、と思ったその時、ふと目を引くものがあった。
それは手のひらサイズの手鏡で、赤一色のシンプルな見た目をしている。
そういえば、これ月乃がこの前貸してくれたんだっけ。
どうして借りたのかは全く覚えていないが、借りたのは確かなので返さなければ。
私は鏡を手に取ってからリビングに向かった。
「お待たせ。月乃、これ返すね。」
手鏡を手渡して受け取ってもらうと、もう出かけることになった。
シガンさんにはさっきメッセージを送ったし、既読もついていたし、大丈夫だろう。
私は玄関で黒のキャスケットをかぶってから外に出る。
正直帽子なんて必要がない距離ではあるが、月乃がその服ならキャスケットをかぶれとうるさかったのだ。
絶対にこの距離なら帽子なんていらないと言ったのに、コーディネートがどうたらこうたらとうるさかったの仕方なく被るハメになった。
三十秒も経たずにシガンさん達の家に到着。
インターホンを鳴らして誰かが出るのを待つ。
「「……。」」
一分以上待ってから、もう一度インターホンを鳴らす。
「「…………。」」
もう一度、今度は月乃がインターホンを鳴らす。
「「………………。」」
痺れを切らしたらしい月乃が玄関扉を雑に引くと、ガチャリと小気味のいい音とともに扉が開いた。
どうやら扉は開いてるらしい。
これは、シガンさんの不注意なのか、たまたま玄関を開けられない状況だったのか、怪異か。
どれだろうか。
前者の二つならまだいい。
ただ、もし後者だった場合、確実にさっきの夢が実現する。
入るべきか一旦帰るべきか…。
「お邪魔しまーす。」
そうこう考えているうちに月乃が元気に中に入った。
私はなんの躊躇いもなく中に入って行く月乃を呆然と眺めるしかできなかった。
ガチャリ、と無慈悲に玄関が閉まる。
嘘だろう?
なんで入った?
遠慮とかなかったのか?
いや、先に夢のことを話しておくべきだった。
もしかしたらシガンさん達の家やばいかもしれない、くらい言っとけば良かった。
いや、でもまだ怪異と決まったわけではない。
……そろそろなかなか入ってこない私を急かすために月乃が出てくると思っていたが、一向に出てくる様子はないけど。
「はぁぁぁ。」
ここで考えていても仕方がない。
このままではシュレディンガーとか言うやつだろう知らんけど。
覚悟を決めて玄関扉を引く。
扉はすんなりと開いたが、玄関に月乃の姿はない。
玄関の先は廊下になっていて、左右に横開きの扉が二つずつ、突き当たりにも一つ扉が見える。
月乃の姿こそ見当たらないが、靴は玄関にあるので先に中に入ったのかもしれない。
とりあえず中に入ろうと扉を閉めてからしゃがんで靴を脱いで適当に揃える。
立ち上がって廊下の方に向き直ると、左右にあった扉が消えていた。
あれ?と思う間もなく誰かの叫び声が耳に入った。
「良かったぁぁ!一人じゃなかったぁぁ!」
月乃が“後ろから”飛びついてきた。
後ろは玄関しかなかったはずで、そこに月乃はいなかった…。
私はそっと息をついてもう一度廊下の方を見ると、異様に長かった。
敷地面積を明らかに超えている長さだと思う。
振り向いて月乃の方を見ると、長い廊下が後方にも広がっていた。
後方の廊下の突き当たりには扉がない。
あぁ、終わった。
確実に怪異だコレ。
なんで家に怪異がいるんだよと言いたいところだが、あいにくここに家主はいない。
あとで絶対文句言ってやる。
心の中で悪態をつきながら月乃と向かい合う。
まずは情報交換だ。
「大丈夫そうだね、なんか。」
月乃に怪我をしていそうな感じはない。
怯えるでもなくおどけるように叫んでいるあたり割と余裕そうに見える。
「怖かったよ!だってつつじもあかねもないんだもん!」
「で、ここにきてからなんかやってみたこととかある?」
「無視?酷くない?」
なんか月乃のテンションが若干おかしい気がするが、そもそも月乃がどう言う人間なのかあまりよくわかっていないので今は気にしないでおこう。
「わたしは、家に入って靴を脱ごうとしたら急に目の前が真っ暗になって、気づいたらここにいた。目の前に長い廊下があったから、とりあえず突き当たりの部屋に向かおうとしてたら、つつじが出てきたの。」
「なるほどねぇ。」
大した情報はないらしい。
だが、突き当たりの部屋に向かう途中で私が出てきた、と言うのは少し気になる。
もし本当なら私と月乃ではスタート地点が違うことになる。
月乃と私がこの長い廊下の空間に移動させられたのは同じ玄関からだ。
つまり、転送先も一緒じゃないとおかしい。
そんな理論が通じるのかは分からないが……。
「ここにきた時、後ろには何があった?」
「え?後ろ?廊下だったよ。」
後ろも廊下なら、今私がいるこの場所に飛ばされた可能性が高い。
「どっちに進んだ?」
「あっちだけど…。」
月乃が指を刺したのは玄関とは反対方向。
最初に家に入った時に廊下があった方。
それなら___
「ねぇ月乃、ちょっとあっちに走ってみてくれる?」
「えぇ?」
「出たいなら走ってみて。」
「……わかったよ。」
月乃は軽く屈伸してから私が指差した方向、突き当たりに扉がある方向に向けて走り出した。
ストレッチもしていただけあってか、めちゃくちゃ早い。
そういえば体育の授業の時先生に褒められていたっけ。
そんなことを考えているうちに、月乃の姿が消えた。
そして後ろから走ってくる。
「え!?つつじ!?」
「やっぱりここ、一定の距離移動したら戻されるみたいだね。」
この廊下は殺風景で目印になりそうなものが何もなかったから月乃一人の時には気づかなかったのだろう。
さて、どうしたものか。
一定の距離移動すると戻される。
だがこの廊下には出られそうな扉も窓もない。
地道に壁とかを触りながら違和感を探すしかないか。
そもそも出口があるのかすらわからないが、何もしないよりはマシだろう。
早速提案しようと月乃の方を向くと、違和感があった。
なんだ?
さっきより廊下が、暗い?
いや、暗いんじゃない。
これは___文字だ。
壁にびっしりと文字が書きなぐられている。
「走って!」
真っ黒で歪な文字が壁に浮かび上がることで廊下が暗く見えているのだろう。
……ここで走ったとして、どうせ戻されるなら走っても仕方がないのではないか?
いやでもあれに追いつかれるのも良くない気がする。
冷静に考えながら走っていると、またいつものように夢がトレースされる。
異様に長くて暗い廊下の突き当たりの壁を目指して走っている映像で、頭が満たされている。
そうか、これは私と月乃の名前。
わかったところで出来ることは走ることだけだったが、そろそろ戻される距離は移動している。
どうしようか。
「つつじ!」
月乃に思いっきり手を引かれて、前のめりにすっ転ぶ。
「ったぁ……!」
月乃はいつの間にか私の前を走っていたらしい。
多分私が文字に追いつかれそうだったから引っ張ってくれたのだろう。
だが、その優しさが仇となった。
月乃に引っ張られたことで、“戻された”。
一定の距離を移動し切ってしまったのだろう。
気づけば月乃と扉はかなり遠くに見える。
周りの壁、床、天井。
見渡す限りに真っ黒な文字が浮かび上がっている。
しまった、と思う頃にはもう遅い。
足に激痛が走る。
「___!」
体を動かすことも躊躇うほどの痛み。
なんとか自分の足を見ると、床に書かれていた私の名前が足に移っていた。
床と接触した部分から体に文字が移っているのか。
視線を足から床についていた手に戻すと、手にもびっしりと文字、文字、文字。
それをみて咄嗟に手を床から離すが、やはりもう遅かった。
少し遅れてやってきた痛みは、絶え間なく続く。
もう移動できるだけの力もない。
かろうじてできるのは遠くに見える月乃の姿を見ることだけ。
いつの間にか月乃の目の前には人影があった。
だがその見た目は明らかに人ではない。
人形の炎のような形をしているそれは、月乃と何か話しているようだった。
だがその声は聞こえないし、もうそろそろ体の限界がきている。
さっきから視界の端の方が黒くなってきている。
足先の痛みも、消えたのか私の感覚がおかしくなってきたのか感じなくなってきている。
これは死ぬのか気絶するのか、どっちだろう。
もはやろくに何かを考えることすら難しくなってきた。
だんだんと瞼が落ちていく。
抵抗するのも面倒だ。
このまま寝てしまおうか。
そう思い目を閉じかけたところで、真っ黒な閃光が視界を包んだ。