38
「お前、大丈夫か…?」
月乃達三人が帰ってきた時、私は布団の中にいた。
いつはさんは布団の淵で座っている。
さっきの怪異のせいか熱が再び上がり出したのだった。
どれくらい上がったかと言えばあかねがマジトーンで心配するくらい。
「しばらく寝かしとくせ。」
そう言い残してさっきの怪異など微塵も感じさせない足取りでいつはさんはさっさと帰ってしまった。
残されたのは私と月乃とメリーさんとあかね。
帰ったら顔を出すと言っていたシガンさんもフェレスもまだ帰ってきていない。
リビンングには気まずい沈黙が落ちた。
…絶対気まずくなるのわかってて帰ったな、いつはさん。
できることならこの機会を逃さずさっさとこの迫力しかない月乃に謝って事を納めたい。
でも頭痛と倦怠感で動くことは愚か会話すらできる気がしない。
「あかね、メリーちゃん。わたし、荷物置いてくるね。」
そう言って私に目をくれることもなく月乃は自分の部屋へと歩いて行った。
それを見てあかねとメリーさんはほっとした顔で顔を見合わせている。
そしてあかねが苦々しい顔をしていう。
「つつじ、お前さっさと謝れ。」
「分か、ってる、けど、あ、たま、痛くて。」
熱のせいか声が掠れて声が出しづらい。
ねむろうにも頭痛が邪魔して寝かせてくれない。
かといってこんな体調で月乃と話せる気もしない。
「あかね、メリーちゃん。どうしたの?」
いつの間にかすごい迫力の月乃が帰ってきていた。
あかねとメリーさんは引き攣った顔でそれに応じている。
…今日一日ずっとあんな感じだったのかな?
申し訳ないことしたなぁと思いながらゆっくりと月乃の方を見ると、すごい笑顔を返された。
普段なかなか怒らないけど地雷を踏むとすごい怒る人だ……。
しかも、怒ると長いタイプ。
「つ、つきの…さん?」
あかねとかもう怖すぎてさん付けし始めているし、メリーさんは一言も発しない。
よっぽど怖いんだろうなぁ。
「ごめん、二人とも、ちょっと外してもらっていい?」
もはや命令のような口調に二人は敬礼でもしそうな勢いで去っていった。
二人には申し訳ないが、見てて面白い。
そして私と二人きりになった月乃は私を見下ろすように布団に座った。
「な、に?」
「今日、学校でさ、___」
そこから始まったのは今日の学校での話だった。
朝、教室に入るなり月乃は赤井崎に話しかけた。
突然話しかけられた赤井崎はそれはそれは挙動不審だったらしい。
何を言おうにも言葉が詰まって先が続かない。
しかし月乃は赤井崎に話しかけ続ける。
昼休みまでそんなことを続けていたら、例の化粧たちに声をかけられた。
お昼ご飯を一緒に食べようと言われたらしい。
赤井崎も一緒にいいかと聞いたらあっさりとオーケーが出た。
それを不審に思った月乃は、こっそりと化粧に聞いたらしい。
昨日の無視の件はどうなったのかと。
そうしたら化粧はなんのこと?と言って不思議そうな顔をしていたそうで、月乃があれ?と思っていると化粧の取り巻きの一人が顔色が悪いことに気づいた。
その取り巻きは昨日、『赤井崎を無視しよう、と化粧が言っていたよ』と月乃に言った本人らしく、全てはその取り巻きによることだと判明したらしい。
そしてそのことに怒った化粧がその取り巻きと大喧嘩。
結果的にクラスは化粧vs取り巻きという構図が出来上がり、ギスギスしている、というような内容だった。
「で、それ、を、私、に、教え、て、どうする、の?」
「一応、どうなったか言っておこうかと思って。でも、わたし、つつじのこと許してないから。」
「そのこと、については、謝る。ごめん。」
私のその一言に、月乃は拍子抜けしたような顔をした。
それから私は必死に頭を働かせて考える。
今、とりあえず謝ったがこんなおざなりな謝罪で月乃は満足するだろうか?と。
私は月乃が何に怒っているのか全くわかっていない。
わたしが何に怒ってたかわかる?とか月乃に聞かれてもわからないとしか言えないのだ。
さぁ、どう出る?
そっと身構える私に月乃は軽く言った。
「わかってくれたならいいの!」
今度は私が拍子抜けする番だった。
月乃は満面の笑みで私を見ている。
私の謝罪の薄っぺらさに気づいた様子はない。
それどころか、
「今日とか昨日とか、シガンさんがご飯とかお弁当とか作ってくれたんだけど、いつもはつつじがやってくれてるんだよね。昨日喧嘩しちゃって言えなかったけど、いつもありがとう!」
とか言い出している。
私は冷めた気持ちで月乃を見ていた。
この人は昨日のアレが喧嘩ですらないことに気づいてはいないらしい。
喧嘩は、双方が同じ熱量でないと起こらない。
私は昨日、ただの一度も月乃に反論していないいし、腹も立てていない。
勝手に月乃が怒って勝手に拗ねただけだというのに、この人は気づいていない。
それどころかあんな薄っぺらい謝罪を素直に信じている。
いつか騙されるんじゃないかとは思うが、今回ばかりはありがたい。
「あかね、メリーちゃん!もういいよー!!」
月乃が大きな声でそういうと、恐る恐るという感じで二人が出てきた。
メリーさんに至ってはあかねの着物の裾に縋り付いている。
いつもあれくらい仲が良ければいいのにな、と思うがそうはいかないのがこの二人だ。
「な、仲直りはできたのか…?」
「うん!できたよ!あかね、すごく心配してくれてたもんね。」
多分、あかねが心配していたのは私と月乃の関係ではなく自分の身の安全だろう。
八つ当たりほどタチが悪く恐ろしいものはない。
笑顔の月乃を見て安心したのか、メリーさんもあかねから離れて月乃にじゃれついている。
一件落着、ということでいいのだろう。
私は月乃とは一生分かり合えないだろうなと思う一件だったが。
「つつじ〜、生きてる〜?」
そんな軽い声と共にフェレスが帰ってきた。
私にかわり月乃が答える。
「生きてるよ〜。」
「それはよかった。」
「シガンさん達遅いね。」
「さっき見かけたからそろそろ帰ってくるよ。」
「おいヒガン!浮いとるからって靴のまま入るなや!!」
フェレスが言い終わるとすぐにシガンさんとヒガンさんが帰ってきた。
シガンさんに怒鳴られながらヒガンさんが勢いよくリビングに入ってくると、月乃の上に浮いた。
「なぁ、月乃ちゃん。トロッコが暴走して待って、二人の作業員を轢いてまう。でも、レバーを引いたらその二人は助かる。代わりに一人轢かれる。月乃ちゃんはレバー引くか?」
「おい、ヒガン。月乃さんがびっくりしとるやろ。」
帰ってきて早々月乃を捲し立てるヒガンさんをシガンさんがつかみ、靴を脱がせて玄関に置きに行った。
月乃は何が起ったかわからないように突っ立ている。
かくいう私も一瞬脳内処理が追いつかなかった。
シガンさんが帰ってくるとヒガンさんがもう一度同じ質問を繰り返す。
「暴走したトロッコが二人の作業員を轢いてまいそうや。でも、レバーを引けば二人は助かる。でもそん代わりに別の場所で作業しとった一人が轢かれてまう。お前らはレバー引くか?」
今度は全員にヒガンさんが質問した。
特に答える義務はなかったが、反射的に回答してしまった。
「「「「「「引く。」」」」」
ほぼ反射と言ってもいい速さで月乃とヒガンさん以外が答える。
ヒガンさんの質問はいわゆるトロッコ問題。
この問題を開発したのが誰かとか細かい事は知らないが、確か『大勢を救うために少数を犠牲にするのは許されるのか?』ということを題材にした問題だったはずだ。
なぜ突然こんなことを聞いてきたのかは知らないが、聞かれたからには答えよう、という意識が全員にあったらしい。
「へぇ、意外やな。つつじは絶対引かへんっていうと思ったわ。」
「どうして、です?」
声は掠れてはいるが、先ほどよりもかなり喉の痛みは引いていた。
それに加え若干頭痛がマシになってきているし、私はこの手の議論は嫌いではない。
多少の不調は我慢して話す。
「お前は絶対自分の非になりそうな事しいひんと思ったからな。」
「ひでぇ。流石につつじでも二人の方助けるだろ。」
「この場合、非があるのは、トロッコの、運営会社、もしくは、トロッコを、作った会社、です。レバーを、引いた場合、私は一人を殺した、ことになります、が、二人、救っている、ので、一概に、私に非がある、とも言えません。あと、トロッコ問題は、周りに人がいない、前提の問題、です。つまり、私がレバーを、引いたから、一人が死んだ、とはわからない、はずです。」
「つつじの方が酷かった。打算しかないね。」
「な、なんでみんなそんなに早く決めれるの…?」
月乃は困惑したように私たちをみているが、逆に私たちも困惑の視線を月乃にむけていた。
だって、一人と二人なら、二人の方を助けた方が生きられる人が多い。
少ない方が犠牲となるべきだとは言わないが、少数の人が生きるために大勢を犠牲にしてしまったら、少数の生き残った人たちは一体何人分の人生を背負わなければならないのか。
正直で誠実な人ほどその重圧に苦しむことになる。
苦しまない、いや、苦しめない、背負えない人間なら私は躊躇いなく二人を助ける。
「なぁ、月乃ちゃん。なんで月乃ちゃんはどうするか選べへんの?」
責めるような口調ではなく、単純な疑問を口にする子供のようにヒガンさんが聞いた。
他のみんなも興味があるらしく、全員が黙って月乃の方をみる。
月乃は困ったような顔をしていたが、やがておずおずと答えた。
「だって、人が死ぬんだよ?そう簡単に決めれるわけないじゃん。」
「でも、早く決めないとトロッコがいってしまいますわよ?」
「でも、レバーを引いたらわたしは人殺しになるんだよ?」
「レバーを引かなかったら二人を見殺すことになるんだぞ、月乃。」
「でも、レバーを引いても人が死んじゃう。」
「引かなくても死ぬよね?」
「そ、それはそうだけど、だからって即決できないよ!」
「じゃあ、月乃ちゃんの回答は決められずに二人死ぬ、やな。」
「逆になんでみんな即決できるの?しかも一番責任感じる選択の方に。」
これにもまた月乃以外がすぐに答えた。
「一人よりも大勢とは言わんけど、悲しむ人は少しでも少ない方がええ。」
これはシガンさん。
「一人よりも二人の方が多く生きれるだろ。」
これはあかね。
「あかねに同じですわ。」
これはメリーさん。
「あの時自分が鬼になってれば、っていう後悔したくないから。」
これがフェレス。
「一人を助けたとして、その人が幸せとは限らないから。」
これが私。
「なんでみんな人殺しになることには躊躇いがないの?」
「二人救えるから?」
「あくまで仮定の話だから?」
「やっぱり月乃ちゃんはおもろいなぁ。おれらとは違う思考や。」
ヒガンさんは満足そうに笑っている。
そしてその表情をみて、その言葉を聞いて、私は確信した。
察するに、ヒガンさんが月乃に興味を示した理由は、“思考のズレ”。
トロッコ問題に即答した私たちと、即答できなかった月乃。
そこには明確な思考の違いがある。
話は変わるが、トロッコ問題はサイコパス診断に使われることもある。
この診断の肝は“レバーを引くか引かないか”ではなく、“即答するかどうか”。
即答した場合、命を天秤にかけることに躊躇いがないからサイコパスに当てはまる可能性がある、と診断される。
これが正しいかどうかは別として、即答するかしないか、できるかできないかと言うのは案外別れるらしい。
今回は月乃以外が即答かつ一人殺める方を選んだわけだが、そういう意味でも私たちと月乃はどこかしら違う。
考え方かもしれないし、価値観かもしれない。
ヒガンさんはその明確な“違い”に興味を惹かれ、月乃のことを気に入っているのだろう。
「ねぇ、つつじ。」
考えに没頭していると、月乃がこちらを見ていた。
どこか不安そうに揺れるその瞳が何を言いたいのか、私には察しきれないほど何を考えているかわからない。
単純で分かりやすい月乃には珍しい。
「怖くないの?」
「何が?」
「もし、今後怪異に巻き込まれて、さっきの質問みたいな状況になったら、って考えたら、怖くない?」
「…私はそれよりも見た目が怖い怪異に追いかけられる方が怖い。その怪異が私を殺す気だったら、尚更。」
「わたしはそれよりこの質問みたいになった方が怖いな…。」
月乃の瞳はまだ不安そうにゆらめいていたが、話はそれだけのようだった。
……怖い、か。
私が怪異関係で怖いと感じるのは、自分の命が危険だと感じる時、怪異がすごいホラーな時。
大体はこの二つだが、月乃は違うらしい。
何か大きな、後戻りできない選択をする事か、人の命を握る事か、その命を握りつぶす事。
この三つのどれか、もしくは複数が怖いのか?
やっぱり考え方、感じ方は人それぞれなんだなぁ、と妙に感心してしまった。