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「先生に言えば?」
私は適当に返した。
珍しく真面目な顔をしていると思ったら、何を聞いてくるんだこいつは。
「それができたら苦労はしない!」
月乃はギャーギャーと文句を垂れる。
それが聞こえたらしく、何事かとあかねとメリーさんまで出てくる始末だ。
私は呆れを通り越して無感情で月乃の瞳を見る。
「なんで私にそんなこと聞くの?そんな経験私にあるわけないでしょ。」
なんだその漫画みたいな展開は。
「で、でも実際に言われたし…。」
「誰に?」
「ルウちゃん。」
「誰?」
「蝶野 瑠璃ちゃん。」
確か、化粧がそんな名前だったかようなきがしなくもない。
さっきから少しずつ痛くなってきている喉に鞭打って話す。
「いい?最近の子供はね、多様性がどうとかこうとか教育されるの。だから、若い世代ほど昔みたいないじめは比較的ではあるけど少ない。ネットは別だけど。そんな時代に生まれていじめなんて見たこともされたこともない私に聞かれても困るし、知らないよ。自分たちの問題でしょ。」
「じゃあなんでルウちゃんのこと聞いたの!?」
「近づかないようにするため。今後一生。」
まだ月乃は何か言っているが、勘弁して欲しい。
自分で首を突っ込んで自分が巻き込まれていては世話が無い。
自業自得だ。
私は万に一つでもそんなことに巻き込まれたく無いから距離をとっているのだというのに。
「無視しよう、って言われてるのは、りいふちゃんなんだよ!?」
「別にいいよ。私あの人好きじゃないし。」
そこで月乃がようやく口を止めて静かになった。
しかし、その瞳には燃え上がるような何かが見える。
これはあれだ、怒ってる人がする目。
「もういい!!つつじには聞かない!!」
私が何も言わずに月乃の目を見ていると、さらに顔を険しくして部屋に戻っていった。
何を怒ることがあったのかは知らないが、あれは相当怒っている。
何に怒られたのかいまいちわからないが、月乃の剣幕的に早く謝っておいた方が身のためだな。
「ねぇ、月乃ちゃんすごく怒ってたけど、つつじなんかやった?」
「お前、何やったらあんなに月乃を怒れせられるんだ?」
「さぁ?」
「呑気ですわね…。」
さっきまでいなかったフェレスまで出てきてしまった。
月乃過激派の二人ですら月乃の怒りように驚いているらしく、私に対する棘がない。
やはりさっさと謝っておいた方がいい。
謝罪程度で収まるのならそれでいい。
そのまま時間は過ぎ、次の日になっても、月乃は私と顔を合わせようとはしなかった。
昨日月乃が部屋に引き返してから次の日学校に行くまで一回も私がいるリビングを通らなかったから。
夜中に泣き声は聞こえてこなかった。
幸いなことにシガンさんには月乃が怒っていることはバレていない。
そして月乃達が家を出るのと入れ違いでいつはさんが来た。
「なんせ、つつじ、あん子怒らせてん?」
「怒らせるつもりはさらさらありませんでしたけどね。」
相変わらずいつはさんと目を合わせないまま答える。
いつはさんは自分から聞いておいて興味なさそうにさっさとソファに腰掛けた。
月乃にそこまで興味がないのだろう。
「つつじはほんまに嘘つかへんなー。」
どこか退屈そうに、でも面白そうにいつはさんは私を見つめる。
その退屈そうな作り笑顔に無表情で返す。
「嘘をついたところで意味がないでしょう。」
「うち相手に嘘つく必要はないゆうことけ。まぁ、確かに嘘ぉついたとこで、なぁ。」
興味のかけらもなさそうなその表情は笑みの形を保ったまま止まる。
そして何をいうでもなくまた口を開く。
「なぁ、つつじはよぉ本せ読んどぉいうとったせ。誰の本好き?」
「……有名な人、ですかね、強いていうなら。」
私は嘘をつく代わりにそう答える。
言いたくなければ言わない。
それがこの嘘を見抜く妖に対する最大の欺き方。
言いたくないことは言わない、答えない。
そっと隠す。
隠したこともわからないくらい、自然に。
「そおか。」
また興味なげな笑みの形のまま表情が止まる。
何がしたいのかわからないが、そのまま緩やかに時はすぎ、昼もすぎ、そろそろ日も落ちかけた頃、再びいつはさんの表情が動いた。
「なぁ、つつじ。つつじの心を読ませてくれいうたら、読ませてくれるけ?」
囁くように流れるような声音だった。
なぜ突然そんなことを言い出したのか、なぜこのタイミングだったのか、よくわからないが、いつはさんは髪を揺らしながらまた囁くように続けた。
「一秒目を見やぁそん時考えとおこと。十秒見やぁなんせそう考えとぉか。一分みやぁ、大事な記憶。五分みやぁここ数年分の記憶。十分見やぁそん人の本質。そっから先はそん人の全部。」
歌うように言ったその言葉達はおそらく“心を読む”ことの意味。
何時間ぶりかにいつはさんの方を見ると、変わらず布団のすぐそばにいた。
着物なのか修行僧が着るようなものなのかよくわからない服の長い裾がしわしわになってしまっている。
その表情は無表情のような微笑み。
「どうしてです?」
どうして、今更私の心を読みたがるのだろう。
読もうと思えば私と初めて会った時にでも読めたはずだ。
なぜ、今更。
「つつじはくえんせぇ。」
微笑んで質問とは全く関係のないことをいう。
答える気はない、ということだろう。
なぜ今更?という疑問はわからないが、どうしていつはさんがわざわざここま出張ってきたのかはわかった。
私の心を読むため。
それ以外、考えられなかった。
「理由を聞いても?」
「秘密けぇ。せども、誠意は尽くしたつもりし。」
私はこの人についてほとんど知らないが、わかっていることが一つ。
それは、嘘をつくこと。
自分の感情を語る時、ほんの少しもしくは全部が、嘘。
誠意を尽くしたというのなら、嘘をついてないと言いたいのか。
それともその後の心を読むことに対する説明には嘘がなかったのか。
はたまた全て嘘なのか。
どちらにせよ、答えは決まっていた。
「いいですよ。」
「意外やな。」
全く以外には思っていなさそうな顔と温度でいつはさんがいう。
その顔と温度が、理由は?と言っている気がしたので、答えることにする。
「いつはさんが本気で私の心を読もうとしたなら、いつでも見えたでしょう。ただ目を合わせればいいだけなんですから。」
別に、私を取り押さえて無理やり目を開けさせればよかっただけの話だ。
それをわざわざ私に許可をとってからという不確実な方法をとった。
それを誠意ととっていいのかは疑問だが、私は別にいいと判断した。
そもそも、私はこの人からの頼み事を断れる気がしない。
私にはこの人がひどく寂しい人にしか見えなかったから。
人と関わる上で嘘がわかる、というのは面倒で仕方がないだろう。
風に揺れる髪を押さえながらいつはさんを見る。
「……いつか怪異に食われまっせ。」
「怪異と妖はもはや別物だと聞いているので。」
呆れを微笑みに上乗せしながらさらに笑みを深めたいつはさんは、無言で私と視線を合わせる。
私も逸らすことはせず梔子色の瞳を直視する。
綺麗な色だ。
私は人の顔の綺麗さや可愛さはよくわからないが、瞳の色や輝きは綺麗だと思う。
どんな色にしても、水と光の反射で輝いて見える。
そのまましばらく、と言っても三分にも満たない時間だった気がするが、いつはさんの視線が横にそれた。
「知りたいことは分かりましたか?」
「よぉわかったで、つつじがうちの目を綺麗やぁ思てんは。」
「それはよかった。」
いつはさんの軽口を無視して私は時計を見上げた。
どこか不確実な笑みを浮かべるいつはさんの顔を見ないように。
あと、十分ほどで月乃が帰ってくる時間。
まだフェレスもシガンさんも帰ってきてはいない。
あまりにも、静かだった。
元々閑静な住宅街。
それほどうるさくはないが、いつもならもう少し車の音がする気がする。
それになりより、さっきから風がある。
窓なんて開けてないのに、今もいつはさんの髪が揺れ続けている。
きっと私の髪も揺れていることだろう。