35
ガチャンっ バタっ
玄関が開く音で私は目を覚ました。
じんわりと痛む頭で時計を見ると、七時半前。
外が暗いから午後の七時だな。
月乃が帰ってきたのだろう。
メリーさんがドタドタと走っていく音が聞こえる。
確か、部活が終わる時間が大体六時半。
そこから帰るのに四十分から五十分。
自転車を使えばもう少し早く登下校ができるが、うちには二台も自転車がない。
それに自転車で登校するのはちょっと危ない道を通っているため自転車で登下校するという発想がなかった。
「あ、つつじ、起きてた?」
「今起きた。」
リビングの扉を開けた月乃が私を見て話しかける。
今日は美術部で絵の具を使ったようだ。
手と頬に絵の具がついている。
本人は絵の具に気づいているのかいないのか、絵の具がついた間抜けた顔で後ろを見て、何か言っている。
メリーさんが何か言ったのだろうか。
「つつじ、お客さんだよ〜。」
「お客?」
誰だ?と思うより早くお客が月乃の後ろから顔を出した。
「お〜。意外と元気そうやいな。」
やる気のなさそうな笑顔を浮かべた梔子色が見えた。
まさか私は丸一日寝ていたのだろうか。
思わずまじまじとその梔子色を見つめそうになったが、いそいで目を逸らし、目ではなく首あたりに視線を動かす。
「いつはさんがくるのは、明日では?」
「別にいつ来たってええやんけ?」
私が咄嗟に目を逸らしても笑みを深めるばかりのこの人は、何を考えているのだろう。
そもそも、なぜ月乃と一緒に来たんだ?
そんな私の内心を悟ったのか、ニヤニヤと一層笑みを深める。
説明を求めるように月乃を見ると、こちらは普通に説明してくれた。
「帰りに会ったの。着物着てこんな時間に一人で歩いてるなんて珍しいと思って見てたら、いつはさんが振り返って、見えるのか、って聞かれたから、見えます、って言ったの。そしたら、つつじのとこに行く予定だって聞いて、一緒に来たってわけ。」
話している最中に月乃は何度か示すようにいつはさんを見ていた。
その視線はいつも梔子色の瞳に注がれている。
月乃、もしかしなくてもめちゃくちゃ心を読まれてる気がする。
「いつはさん、説明しなかったんですか?」
「何を?」
わかっているはずなのに惚けるいつはさんを胡乱な目でその首元を見つめていると、再び笑みを深めてから口を開いた。
「うちはつつじに自分から説明した覚えはないせ。」
「じゃあ説明してあげてください。」
「つつじがすればいいそ。」
「な、なんの話?」
月乃はついていけないと言わんばかりに私といつはさんを交互に見ている。
なんの話かわからないのも無理はないが、いつはさんが妖だということを忘れてはいないだろうか。
私は軽くため息を落としてから説明をする。
「いつはさんは、サトリの妖。つまり、心が読める。」
「そうなの?」
そもそもサトリってなに?みたいな顔をしている月乃のためにサトリのことから解説をする。
「サトリっていうのは、心読む妖怪のこと。山に住んでて、猿みたいな見た目をしてると言われてる。で、いつはさんはそのサトリの妖。だから、嘘を見抜いたり、心を読むことができる。」
「へぇ〜。」
「ちなみにいつはさんと目を合わせると心を読まれる。」
「えっ。なんで言ってくれなかったんですか!?」
「もうつつじから聞いとると思っとたで。」
怪しげな笑みを浮かべながらいつはさんがしれっと言う。
そこが見えず、しれっと嘘をつくいつはさんとわかりやすくなんでも真に受けがちな月乃。
この二人は正反対と言えるが、相性的には月乃の方が部が悪そうだ。
いつはさんに翻弄される月乃がありありと目に浮かぶ。
「で、なんの御用ですか?」
「ちょいと聞きたいことがあってぇな。でも、今日聞きたいことはもう済んだけぇ帰るしー。」
そういうと本当に帰っていった。
多分、最初にいつはさんが出てきた時、一瞬だったが、目が合ってしまった。
その時に聞きたかったことの答えを読んだのだろう。
と言っても、あの短さでは断片的な情報しか抜き取れていない…と思いたい。
「なんだったんだろうね。」
月乃は心を読まれたくせにケロッとしている。
まぁ、人に言えない秘密とかなさそうだもんな、この人。
思いながら私は体温計を自分の脇にさす。
熱は下がっていなかった。
「下がらないね、熱。」
「そだねぇ。」
なんとか明日までに下がらないかなぁ。
いつはさんは嫌いでも苦手でもないが、何を考えているのか全くわからない分気が抜けない。
あの人は常に嘘が見抜けるからわざわざ嘘をつかなくていいから楽ではあるのだが。
「そういえば、今日、るうちゃんが____。」
そこから始まったのは月乃が学校で仲良くしている人たちとの話だった。
月乃はよく学校の話をする。
月乃が仲がいいのは驚くことに厚化粧のいじめっ子。
何が原因でいじめが始まったのか知らないが、こうもあっさりと仲良くなるとは思っていなかった。
と言うわけで、月乃はそういう人たちと一緒にいる。
「で、奨真君が___」
最近、月乃の話題によく恋愛のことが上がる。
そのことで何人か揉めていると言うことも。
さらにその揉め事の解決に月乃が奔走していること。
よくそんな面倒なことに首を突っ込むよなぁと思いながら月乃の話を聞いていた。
もっと楽に生きればいいのにな、と思うが、月乃には言わない。
やりたいようにやるのが結局一番だろうし、口を出してもしょうがない。
「でね、すがっちが____」
なんか、今日は一段と月乃の話が長い気がする。
私は月乃の話を聞く時、基本的に相槌を打たない。
クラスメートの話ともあれば、視線すら向けないことも多々ある。
そんな私の対応を月乃がどう思っているのかは知らないが、いつもなら私が退屈しているのに気づいて早々に話を変えるか話すのをやめるかする。
しかし、今日の月乃は話を止めるどころか話題を変える気配すらない。
何か、学校でやらかしでもしたのだろうか。
「月乃、学校でなんかやった?」
「なっ、何にも話してないよ。」
月乃のわかりやすい反応からみて何かをバラしたのは確定だ。
問題は、何をバラしたのか。
私は自分の目が細くなっているのを自覚しながら眉間を押さえる。
「何を話したの?」
「えっ。」
「何を話た?」
「……つつじとおんなじ家に住んでること……。」
「それだけ?」
「……つつじが家と学校で性格が変わること……。」
はぁぁ、と自分でも驚くほど大きなため息をついた後、月乃を真正面から見据える。
その表情はこわばっていて、今にも泣きそうだった。
が、私はそんなもん知らんと言って文句を言う……と言いたいところだが、過ぎたことを責めたところで意味がないのは重々承知しているし、最初から期待をしていなかったのもあり、月乃を責める時間の方を惜しむことにした。
「何をどんなふうに話したの?」
「恋バナをしてるときに、つつじのことが話題に出て、みんながつつじを悪く言ってたから、その、言い返したくて、つつじはいい子だって言ったの。そしたら根拠は?って聞かれたから、一緒に住んでる、って、言っちゃって…。」
なんだその善意100%のバラし方は。
でも月乃ならやりかねない気がする…。
そもそもなぜ私のことが恋バナなんていう私とは無縁オブ無縁の話題で出てきたんだ…。
頭痛とともにめまいまでしてきた気がする。
私は青ざめた顔をしている月乃に続きを促す。
「性格の方は、その話が終わった後、つつじの家での様子を聞いてた子がいて、わたし、嬉しくなっちゃって。それで、ちょっとならいいかな、って思って。言っちゃった…。」
こちらもまた無邪気な理由だ。
わかった、と短く返事をして会話を終わらせ、考える。
まず、私と月乃の同居の件。
これはバレたら質問攻めに合いそうで面倒くさそうだな、と思っていただけだから、別にいい。
質問攻めにあい読書時間が潰れるだけだ。
問題は、後者。
私は学校ではとことん目立たず隅っこにいると決めている。
理由はいろいろあるが、そのほうが面倒ごとを回避しやすいというのが一番だ。
そのためには、ある程度の愛想の良さがいる。
例えば愛想を悪くして一人で行動をしていると目立つ。
そうやって目立つとどこぞの化粧や教師に絡まれる。
かといって目立ちすぎるとしがらみが増える。
そのちょうどいい塩梅が、あの作り笑顔。
あれが嘘だとバレるのはイタイ。
いや、まだバレてはいないか?
月乃が学校でどれくらい信用されているのかは知らないが、私は学校で素を見せた覚えはない。
つまり、月乃が嘘をついている、と周りに思わせられれば私の作り笑顔に言及されることはない。
今回は月乃に落とし前をつけてもらおう。
「ところで、つつじ。」
「何?」
月乃はまだ私の布団の隅に座っていた。
その顔はまだ泣きそうな顔をしている。
そして珍しく真剣で切羽詰まった顔をしている。
「誰かを無視して欲しいって頼まれたら、どうすればいい?」