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月乃が去ってからも、男と異形の二人の影は動いてはいなかった。
「ねぇ、シガン。さっきの話で終わりじゃないでしょ?」
「本当によぉ見抜くな、お前は。」
「で、話す気は?」
「ない。」
「なら、なんで中途半端に話したの。」
「月乃さんに聞かれとったからなぁ。あそこで何も言わずにはぐらかしたら、月乃さんに不信感を与えるやろ。」
「打算?」
「そうや、打算や。それに、知らん方がええこともあるんや。」
「ふ〜ん。じゃあいいや。」
「なんや、あっさり引くな。」
「別に。ただ、つつじも似たようなこと言ってたから。」
「なんてゆうとったん?」
「『言いたくないことも、言えないこともあるんだよ。詮索してほしくないなら詮索はしない。知らなくてもいいことだって世の中にはたくさんある。』」
「……あいつらしいな。」
シガンが息を吐き出すようにして言うのを最後に、異形の影が消えた。
【つつじ視点】
頭がいたい。
めちゃくちゃ痛い。
いや、やっぱりそんなに痛くないかもしれない。
やっぱり痛い。
う〜ん。
頭が痛くて、なかなか寝付けずにいた、昨日の夜。
ようやく寝られたかと思えば、誰かが私の頬に触れている気がして、目が覚めた。
と言っても、それより前から寝ているといえば寝ているし、起きているといえば起きているような状態だったが。
シガンさんとフェレスが喋っていたような気もするし、メリーさんが騒いでいたような気もする。
そんなぼんやりとした意識の中、誰かが私の頬を触った。
温度は感じ取れなかったが、代わりに声が聞こえた。
話しかけられていた気がするし、何か怒っていたような気も、泣いていたような気もする。
眠くてだるくて目が開けられなかったし、もし現実なら見ないふりをしたほうが良い事だったと今は思っているから、現実でも夢でもどうでもいいか……。
そんなことをダラダラと考え続けてしまう程度には暇だったし、頭が痛かった。
「つつじ、飯食えるか?」
「むり。」
あかねが布団近くまで来てさっきからウロウロしていたが、まさかこれを聞くためだけにウロウロしてたのか?
暇なのか?
私は重い体を無理やり動かして、時計に目をやる。
今は、学校で言うと、お昼休みか。
いつもなら赤井崎にマシンガントークされてトイレに逃げ込んでいる時間だ。
もうそんな時間か。
特にこれといった目的もなく時計を見たが、特に意味もなく頭を使っただけだった。
「暇だ…。」
普段なら暇な時間があれば本でも読むのだが、こうも頭が痛いと本の細かい文字を目で追っていくのはきつい。
でも頭が痛くて寝られる気もしない。
暇だ。
どうしたものか。
「つつじ、月乃が朝ちょっと様子がおかしかったんだが、何か知らないか?」
暇だと言っていたのが聞こえていたのか、遠慮がちにあかねが話しかけてくる。
珍しい。
普段私とあかね、メリーさんの間に会話はほとんどないのに。
「知らない。」
一瞬昨日の手のことが頭をよぎったが、あれはおそらく夢だろう。
夢でなかったとしてもどうせ大したことは覚えていない。
「そうか…。」
そこからはお互いに無言だったが、あかねは相変わらず布団の周りをウロウロとしている。
そんなに月乃が心配なのか。
若干呆れつつ、うろつくあかねを目で追ってみる。
そういえば、私たちが学校に行っている時間帯、怪異たちは何をして過ごしてるんだろう。
流石に普段からリビングをひたすらウロウロしてはいないだろう。
「…なんだよ?」
「別に。暇だなぁ、って。」
「お前体調悪いんじゃなかったのか。」
「あんまり動きたくはないけど、寝るのも無理。」
「そうかよ…。」
あかねは呆れたような顔をして、ようやくウロウロするのをやめて布団の端に座った。
「なぁ、いつは、って言うのが明日来るらしいんだが、どんなやつだ?」
「……。」
いつはさんというのは、サトリの妖だ。
少し前に怪異関係で知り合った妖で、目が合った相手の心を読む。
目が合っていなくても、嘘をつけば嘘を見抜かれる。
身長はあかねよりも背が低く、シガンさんよりは高い。
目は綺麗な梔子色。
白髪にも金髪にも見える不思議な色合いの髪をしていて、髪の長さは胸元くらい。
高くもなく低くもない声で色々な方言をごちゃ混ぜにしたように話す、奇怪な人。
性別は、不明。
「なんでいつはさんが来るの?」
「明日は俺もシガンもメリーもいねぇからな。その間、お前の面倒を見れる奴がそいつしかいなかったんだと。」
明日には熱が下がっている、という可能性は考えなかったのだろうか。
そもそも、よくあの人がオーケイしたな。
てっきり引きこもりだと思っていた。
明日は誰もいない、か。
そういえば、今もメリーさんとシガンさんは出かけている。
シガンさんとヒガンさんは仕事とかあるだろうしまだわかるのだが、あかねとメリーさんは一体どこへいくと言うのだろう。
フェレスは割といつもいないが、怪異にも出かけ先というものはあるのか。
「明日はな、月乃が俺とメリーを学校に連れてってくれるんだと。」
「はぁ?」
「明日は学校で芝居をやるからこっそり見にこねぇか、って誘われたんだ。周りにバレないようにこっそりみるならついてきてもいいって。」
「まじか。」
私があまりにも驚いた顔をしたのを見て満足したのか、あかねはニタリと笑う。
そう言えば、明日は美術への造詣を深めるとかどうとか言って劇団を呼んでオペレッタだかミュージカルだかを鑑賞する、という時間が丸一日取られていたっけ。
二つ、劇を見るとか。
「ちなみにメリーは最近ずっとこっそり月乃について行ってる。」
「何やってるの?」
「で、途中でバレて帰ってくる。」
「本当に何やってるの?」
「ただいま戻りましたわ〜。」
「ちょうど帰ってきたな。」
朝からメリーさんがいないとは思っていたが、まさか学校についてきていたとは。
全く気づいていなかった。
メリーさんはリビングに入ってくるなりソファにどてっと寝っ転がり、あかねに命令するように言った。
「あかね、アイス。」
「自分でとれチビ。」
あかねはメリーさんに一瞥もくれずに返す。
「ケチですわね〜!そんなだと月乃さまに愛想尽かされますわよ!!」
「なんだとぉ!」
「アホなの?あんたら。」
売り言葉に買い言葉で喧嘩が始まった。
二人は月乃にもらった狐を、あかねは着物の帯に、メリーさんはドレスの腰部分に器用にくっつけているのを揺らしながら、お互いを罵り合っていく。
流石に煽り耐性が無さすぎないか。
いつもこんな調子で喧嘩が始まっていたらそりゃあものも壊れる。
なんせ二人とも売り言葉に買い言葉のやり取りが早い。
口を開けば喧嘩になる理由がよくわかる気がした。
要は二人とも三歳児くらいの精神年齢ということだ。
「おい、お前ら喧嘩すんな。」
「シガンさんいたんですか!?」
二人の喧嘩を呆れ気味に見ていたら、シガンさんがいつの間にか背後にいた。
怖っ!
玄関の音はしなかったのに、どうやって入ってきたんだ?
「おれもおんでぇ〜。」
ヒガンさんもふよふよとあたりを漂っている。
窓から入った光が反射してヒガンさんの瞳に一瞬、柔らかい水色の色彩を作り出した。
ラムネの瓶を薄くしたような色。
確かあんな色を、瓶除きという。
昔読んだ色彩図鑑に載っていた色。
能力持ちになると、瞳の色が変わるのだ。
それと同時に、自分以外の能力持ちの瞳の色も変わって見える。
さらにその変わった瞳に光が当たるとまた少し違った色合いに見えた。
ヒガンさんの瞳を見つめていたが、ヒガンさんはすぐに動いてしまい、瞳に光は当たらなくなってしまった。
綺麗な色だったのに、残念だ。
「つつじ、具合はどうや?」
「変わりはないです。」
「そうか。明日は」
「いつはさんがくるんですよね。」
私はシガンさんの言葉を遮って割り込む。
あかねからくる理由は聞いていたから、その意思表示も兼ねて。
「わかっとるんならええわ。」
「私はもうこの歳ですし、別に留守番くらいできますが。」
「一応病人やからな。念の為や、念の為。」
念のため、と言われればまぁ納得はいく気がするが、やはり腑に落ちない。
何か裏があるのでは?と勘繰ってしまう。
まぁ、深く考えるのはやめよう。
多分悪いようにはならない…と信じよう。
ただ私が熱で疲れているだけ。
さっきから頭の痛さに加えて吐き気もしてきている。
そろそろ寝よう。