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【月乃視点】
「つつじ、ご飯食べれそう?」
わたしはリビングに出してきた布団で寝込んでいるつつじに声をかける。
さっき熱を測ったときまでは元気そうに見えたが、あれから熱が上がってきたらしく、今は布団にくるまって横になっているつつじ。
顔を隠すようにふとんにくるまっているため、表情は見えないが、時々咳をしているのが聞こえてくる。
「ありがとう。でもいらない。」
つつじはそっけなく答え、布団の奥に潜り込んでしまう。
「頭痛いの?それとも熱が上がってきた?なんか飲む?」
どうすればいいのかわからず、色々と聞いてみるが、返事はない。
考えてみれば、誰かの看病をするなんて初めてだ。
わたしには兄弟姉妹はいないし、両親とはあまり家族らしい関わりができなかった。
わたしが熱を出した時は、いつも、おばあちゃんのところに連れて行かれたなぁ。
両親とは違い、おばあちゃんは優しく、看病も丁寧で、安心したのをよく覚えている。
わたしは、あの時間が一番好きで、安心できる唯一の時間だった。
「月乃さん、つつじのことは俺が見とくさかい、気にせんでもええよ。」
「そうだよ。僕もつつじを見てるから、大丈夫。」
一向に返事をしてくれないつつじを見つめていたわたしを気遣ってか、シガンさんとフェレスが見ていてくれるという。
…つつじからしても、お兄ちゃんや仲の良いフェレスにいてもらった方が、嬉しいよね。
二人にお礼を言って、わたしはお風呂に入ることにする。
「メリーちゃーん!」
「はい!月乃様!お風呂ですね!」
メリーちゃんがきてから、わたしはメリーちゃんと一緒にお風呂に入っている。
妹ができたようでとても可愛い。
そのままお風呂に入って、髪を乾かして、部屋に戻る。
わたし達が使っている部屋は七畳の和室で、ここで寝泊まりしている。
制服をはじめとする服を入れるためのタンス、勉強などをするためのローテーブル、押入れに入っているおふとん、もらったお小遣いで買ったアクセサリーやヘアアイロン。
あと、メリーちゃんがどこからか持ってきたおもちゃ。
それらが綺麗に散らかっているのがこの部屋だった。
部屋を一瞥した後、壁に目をやる。
和室の壁につけられた時計は、十一時三十分を回ったところ。
そろそろ寝ないとな。
明日も学校だし。
でも…
「つつじのことが気になるんだろ。」
「なんでわかったの!?」
まるで心でも読まれたかのようなタイミングで言いながらあかねがひょっこりとわたしの後ろから顔を出していた。
「月乃はわかりやすいんだよ。」
「だって、つつじ、苦しそうだったし…。」
「別にシガンやあの手にまかしときゃ大丈夫だろ。」
「わたし、二人がつつじのお人形壊したことを謝ってないこと、まだ怒ってるからね。」
わたしを無視してふとんを敷き出してしまったあかねにそう言ってからリビングへ行く。
全く、ああいうとこは子供なんだから。
あの人形は、つつじの大事な物だったはずだ。
じゃないと、あんなに寂しそうな顔はできない。
音を立てないようにそ〜っとリビングの手前のキッチンへ行くと、まだ電気が付いていて明るかった。
まだつつじは寝てないのかな?
不思議に思いながらつつじが寝ているはずのリビングを覗き込む。
わたしがいるキッチンに背を向ける形で、シガンさんとフェレスがふとんを見て何か話しているのがかすかに聞こえてくる。
「つつ___丈夫?_ん__わない?」
「人はそう_____へんわ。確かにあ_さんから____人__んて脆___ぐ死ん__うように_____しれ___どな。」
「つ__が____こはあんま____できない_____。」
「__つ、___だ_はよう___らなぁ。」
詳しくは聞こえないが、つつじについて話しているのはなんとなくわかった。
つつじは寝てるのか、声は聞こえてこない。
こんな明るいなか寝られるとは思えないが…。
わたしは二人に声をかけようとキッチンから出て二人に近づいた。
いざ声をかけようとしたその時、気になる会話が始まってしまい、わたしは声をかけ損ねてしまった。
「そういえば、つつじがずっと不思議がってたよ。」
「何をや?」
「シガンはなんで雪花が死んだのに山瀬家と関わりを持ち続けてるのか。」
それを聞いた時のシガンさんは、目を見開いたのが後ろからでもわかる。
少し間を空けてから、シガンさんはゆっくりと上を向いた。
「……あいつが、雪花が好きやったからってゆうたら、笑うか?」
「笑いはしないけど、教えたくはないんだな、って思う。」
「ほんまに嫌な手やな、お前。つつじによう似とるわ。」
「で、教える気はあるの?」
「誤魔化されてもくれへんか。別に、教えてもええけど、つつじには秘密やで。月乃ちゃんもな。」
そう言ってシガンさんは後ろを振り向く。
シガンさんのイタズラが成功した子供のような目とバッチリ目が合った。
わたしはさっきまで盗み聞きをしていた気まずさと、今こうして目があってしまった気まずさから何もいえずにいる。
「す、すいません!盗み聞きするつもりは…。」
「わかっとるよ。とりあえず、場所移そか。ここやとつつじが起きる。」
そう言いながらシガンさんは立ち上がって廊下の方へ歩き始めた。
わたしとフェレスもそれに倣い、廊下に出る。
廊下に出る前に、電気を消そうとしたら、シガンさんに止められた。
“あいつは怖がりやから”と言われたので電気はそのままにして廊下に出て、そのまま隣の部屋、物置のような部屋まで移動した。
部屋の壁にもたれながら、
「ええか、つつじには秘密やぞ、ええな。」
と、何度か念押ししてから、話し始めた。
「俺が山瀬家に肩入れしとる理由は、やっぱり雪花やねんな。雪花は、この家の人に感謝しとった。行き場を無くした自分を引き取って、育ててくれたって。血のつながった家族同然に、よくしてもらった、って。自分の生みの親には申し訳ないけど、自分がおばあちゃんになってもこの家の人間だと言えるくらい、この家が、家族が好きだって。それくらい、あいつはここが大好きやった。」
シガンさんは穏やかな顔をして話している。
きっと、シガンさんにとってもいい思い出なんだろうな。
シガンさんは懐かしそうに、雪花さんの名前が出るたびに表情を和らげながら、話し続けた。
「でも、一番の理由は、雪花が、妹ができるんやってつつじが生まれる前からずっと楽しみにしてたことやな。つつじは覚えとらんやろうけど、あいつか生まれてからも、雪花は妹だといって、つつじとよう遊んだり、動物園やら水族館やらに連れてっとてんな。年はだいぶ離れとったけど、本当の姉妹みたいやった。あいつは、この世からいなくなってまう時も、つつじのことを心配しとった。」
いいなぁ、つつじは。
家族からも心配なんてされてこなかったわたし自身と、義理とはいえ兄と姉に愛されていたつつじを、無意識のうちに比べてしまった。
最低だ、わたしは。
最低だけど、考えてしまった。
死んでしまうその時まで、気にかけてもらっていたんだ、つつじは。
わたしは、実の親にすら、心配なんてしてもらえなかった。
きっと、兄と姉だけではなく、つつじは親にだって愛されている。
この家には何ヶ所か写真が飾ってある。
その全てに、つつじが写っている。
わたしの家には、写真なんて置いていないし、写真を撮ってもらったことすらない。
小学校と中学校の入学式も、卒業式も、授業参観も、来てもらったことすら、ない。
高校の入学式にも、両親の姿はなかった。
「やから、俺は山瀬家に関わり続けとる。あいつが、雪花がここを好きで、あいつが大好きだった、あいつの妹がここにいるから。」
シガンさんは、一仕事終えた後のような顔をして、わたしの方を見た。
つつじには絶対に話すな、と、何度目かわからない忠告をしながら。
つつじにこの話をしてほしくない、と言ったのは、つつじのためだろうか。
わたしは、その顔がどこか眩しく見えて、目を合わせられなかった。
ただ、ドロドロとした感情が収まるのを待つしかできない。
つつじへの感情が、ドロドロして、濁って、汚れていく気がした。
羨ましい。
ただ、それだけの感情で、汚れてく。
「さて、もう満足したやろ。もう遅いし、さっさと寝とき。つつじは俺が見とくから。」
幸いにも、わたしの醜い感情に、シガンさんもフェレスも気づいてはいないようだった。
わたしは話してくれたことへのお礼もそこそこに、部屋を出た。
もう寝てしまおうと思ったが、その前に、リビングに行った。
最初の目的はつつじの様子を見ることだったから。
まだ二人はあの部屋で何か話しているようだったし、少しくらい、いいだろう。
待って、こんな気持ちでつつじにあってもいいの?
少しだけ行ってはいけない気がしたけど、結局、今わたしはつつじのふとんの前まで来ていた。
つつじの顔は相変わらず見えなかったから、掛け布団を少しだけずらして、顔が見えるようにする。
目を瞑って、どこか苦しそうに、それでもやはり気持ちよさそうに寝ていた。
わたしはふとんの前にしゃがみ込み、つつじのほっぺたに触れてみる。
熱かった。
「ねぇ、つつじ。」
隣の部屋の二人に、いや、つつじにも聞こえないような小さな声で、つつじに囁くように話しかける。
そうせずにはいられなかった。
「つつじは、なんでいつも、笑わないの?」
あんなに、いろんな人から愛されているのに。
親からも、血のつながらない兄と姉からも、愛されてるのに。
「何が不満なの?」
写真もあるのに。
その中には、入学式も、卒業式の写真もあったのに。
家族で写っていた、入学式と卒業式の写真。
八つ当たりだと、わかっていた。
それでも、何もせずにはいられなかった。
つつじは、わたしが欲しいものを全て、持っている気がして。
この前、買い物に行った時も、こんな感情が出てきた。
家に親がいないから、つつじもわたしと同じような子供なのだと思っていたから。
でも、つつじには愛してくれる親がいて、愛されて、不自由なく生きてきた。
全部、持っている気がしてしまう。
少なくとも、わたしが『これだけは欲しい』と思っていたもの、全部。
持っているような気がして。
わたしが欲しいものは、わたし以外の人は皆当たり前に持っていると、知っているのに。
「ねぇ、なんで、わたしは持ってないのかなぁ?」
こんなことを、眠っている相手に言っても、しょうがないのに。
しょうがないけど、どうしても、羨ましかった。
あかねとメリーちゃんは隣にいてくれる。
でも、それはわたしの欲しかったものじゃない。
わたしが欲しいのは___。
「月乃様!まだ起きてらしたんですね!」
突然メリーちゃんの声が聞こえたことに驚き、慌ててつつじのほっぺたから手を離す。
き、聞かれてた…?
「月乃様が部屋にいらっしゃらなかったから、探しにきたんですわ!」
誇らしげに胸を張るメリーちゃんは、やはり可愛い。
さっきのわたしのつぶやきは、聞かれてはいないようだ。
よかった…。
胸を撫で下ろしながらメリーちゃんに向き合う。
「ありがとう、メリーちゃん。つつじのことが気になっちゃって。」
「つつじのことなんて放っておけばいいのに、なんてお優しい!」
…わたし、本当に良くないな。
メリーちゃんは、こんなにわたしを慕ってくれてるのに、わたしはそれを“欲しかった物じゃない”って考えて、つつじを羨んだ。
家族もあかねもメリーちゃんも、なんら変わらないはずなのに。
血が繋がっているかどうかなんて、些細な事のはずなのに。
最低だ、わたし。
「月乃様…?」
メリーちゃんが、精一杯背伸びして上目遣いでわたしの瞳を覗き込んでいる。
その顔は心配そうにわたしを見つめている。
その姿に、わたしは思わず頬を緩める。
「?どうなさったので?」
怪訝そうな顔でメリーちゃんが聞いてくる。
その幼い顔で神妙そうな顔をしているのがおかしくて、わたしはまた笑う。
再び怪訝そうな顔をするメリーちゃんに言う。
「なんでもいよ。明日も早いし、もう寝ようか。」
「はい!」
その夜はなかなか寝付けなかった。