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【月乃視点】
目の前に広がっているのは、きれいな赤と白のテントだった。
大きなドーム状のテントの中心に、ポツンと空中ブランコがぶら下がっている。
空中ブランコを丸くとり囲むように並ぶ座席の間に、わたしは立っていた。
「ここ、どこ?」
わたしは、美術部で時間いっぱい絵を描き、つつじを迎えにいくところだった。
なのに、気づけば見覚えのない場所にいる。
美術室を出たところまでは覚えているが、その後のことが何にも思い出せない。
明らかに学校ではないこの場所はどこでなんなのか。
何もわからずにただ一人ポツンとここにいるのは、とても心細い。
いつも、こういう怪異に遭遇した時は、あかねかつつじがいた。
二人とも冷静に状況を判断して、その場を切り抜けていく。
特に、つつじはすごかった。
怪異に抵抗する術がないわたしとは違い、つつじはいつだってどんな怪異にも対応していた。
口では怖い怖い言いながらも、よく考えて動いているというか、とにかくすごい。
それは先週一週間でも十分にわかるくらい。
小さな怪異にしか遭遇しなかったけど、それでもつつじの冷静さはわたしも驚かされたんだっけ。
だけど、今はそんなつつじはいない。
いつも隣にいてくれるあかねも、メリーちゃんも、今はいない。
完全にひとりぼっち。
「どうしよう…」
わたしはまだ自分の能力がなんなのかわかっていない。
つまり、この状況を回避するための手段がない。
つつじのように未来を知ることも、あかねやフェレスのように戦うこともできない。
わたしは今、完全に無力だ。
ここから出ることも、ここがどこかもわからない。
とりあえず、落ち着こう。
まずは、周りを観察だ。
と言っても、周りに見えるのはドーム状の白と赤の縦縞が入ったテントに空中ブランコ、それをぐるりと一周するような形に配置された座席。
それだけだ。
照明のようなものは見えないが、周りは明るく、テントの反対側までしっかりと見渡せる。
出入り口のようなものは見当たらず、完全に閉じ込められている。
テント内は見通しがよく、他に目につくものは何もない。
一応しばらくテント内を歩き回ってみたが、やはり座席と空中ブランコ以外何もない。
「なぁんにもない…。」
流石に疲れてきた。
わたしは近くの座席に腰をかけ、俯いて自分の足を見る。
ここから、出られるだろうか。
不安がじわじわと湧いてくる。
もし、出られなかったら。
そんな想像が頭から離れない。
その不安がわたしを俯かせていた。
キー、コー
何か、音がする。
微かな、音。
金属が擦れるような、か細い音。
キー、コー
やっぱり、音がする!
さっきよりも大きい音が。
俯いていた顔をあげると、空中ブランコが動いていた。
一人でに、動き続けている。
まるで人がぶら下がって空中ブランコを動かしているようだ。
キー、コー
ブランコが、一際大きく揺れる。
大きくブランコが揺れ、一周しそうになった時、“何か”がブランコにぶら下がっていた。
人のような何か……。
だが、人ではない。
その姿はクレヨンで塗りつぶしたかのような黒。
黒い人影が、空中ブランコにぶら下がっている。
あれは、何?
気づけばブランコはぐるぐるとその場で縦回転するほどに勢いがついている。
すると、人影がパッ、と片手を離した。
「危ないっ!」
思わず、声を出してしまった。
まだ、あの人影が安全かもわからないのに。
つつじなら、絶対にこんな迂闊なことはしなかった…。
しかし、わたしの心配など無用だったようで、人影は片手のまま回転しているブランコに逆立ちをした。
そのまま両手を離したり、くるりと回って見せたり、いつの間にか出てきたもう一つの空中ブランコに飛び乗ったり、目まぐるしく動き続ける。
「わっ!また回った!」
この頃にはもう、次は何をするのだろう、というワクワクでいっぱいだった。
気づけば不安などとうになくなっていて、ただこの時間を楽しんでいる。
だが、そんな時間も束の間、急に照明が落ちたかのように真っ暗になってしまった。
なんの前触れもなく何も見えなくなった。
再び不安が押し寄せてきたが、自分の手すら見えない暗闇の中、下手に動くこともできない。
パチンッ
指パッチンをした時のような軽やかな音とともに照明が戻った。
いや、戻ったのは空中ブランコがあったステージのような部分だけだ。
そのステージには、先ほどの黒い人影とは違う誰かが立っていた。
その誰かはきちんと色があり、輪郭からしてさっきの黒い人影とは明らかに違う誰か。
ここからは後ろ姿しか見えないが、真っ黄色のタキシードのようなものを羽織っていて、頭にも真っ黄色のシルクハットのようなものを被っている。
鮮やかな緑色の髪を大きなツインテールにしているのを見ると、女の人かな?
何が始まるのだろうかと思っていると、くるりと女の人が振り返り、堂々と言い放った。
「レディースアンドジェントルメン!!奇術師ムースの奇術をとくとご覧あれ!!」
そういうと誰か__ムースはシルクハットをぬぎ、黄色のステッキで帽子の縁を叩く。
叩いた瞬間、帽子の中から勢いよくシャボン玉と鳩が飛び出してきた。
バサバサと羽音を立てながら勢いよく飛び出た鳩は、まっすぐにわたしの目の前まで飛んでくると、パッ、と消えてしまった。
わたしが驚いて目を白黒させている間にも、ムースの奇術は続く。
どこからか黄色のトランプを出したり、そのトランプをテント内に放っただけで、明らかに放り投げたよりも多くのトランプがテント内全てに降り注いだり。
花を出したかと思えばシャボン玉になったり、シルクハットやステッキが消えたり現れたり。
とにかく派手であっと驚くような手品の数々。
しかし、そんな手品を見ても、先ほどの空中ブランコのようにワクワクしない。
それどころか、言いようのない不安だけが積もっていく。
“ここにいてはいけない”
わたしの中の何かが、そう警告している。
一秒でも早くこの場所から__いや、この奇術師と名乗る女性から離れなければ。
なんとも言えない不安感と不快感で、席を立とうと、足に力を入れた、その時。
再びムースが口を開いた。
「それでは、本日最後の目玉ショーをご覧に入れましょう!!」
そう言ってムースがタキシードよりも長いタキシードのような形の裾を大きくはためかせると、そこには人が現れていた。
「つつじ!!」
つつじが、ムースのタキシードもどきの裾から現れた。
つつじは何が起きたのかわかっていないのか、目を見開いてムースを凝視している。
わたしの声は、ステージまで届かなかったようで、ムースもつつじも気づいていない。
つつじの驚きもわたしの困惑も気に留めず、ムースは大きな声で次の手品の説明をする。
「今から行うのは水中脱出!!沈められた哀れな人間のもがき、苦しむ姿こそ最高のエンターテインメント!!」
言い終わるや否や、大きな水槽がどこからか運ばれてきて、ステージのど真ん中に鎮座した。
中にはたっぷりの水が入っている。
パチンッ
ムースが指を弾く。
その途端に、つつじの姿が消えた。
いや、違う。
つつじが水槽の中に瞬間移動した。
「つつじ!!」
つつじの足には大きなおもりがつけられている。
あれじゃ沈むだけで、浮き上がれない。
つつじはもがいているが、浮き上がれない。
あのままじゃ死んじゃう!
わたしはステージに向かって走り出した。