番外編4 つつじ編 後編
私と月乃は歩いていた。
目的地は某大型ショッピングモール。
そこで服やらなんやらをまとめて買うつもりだ。
自転車ではなく歩きで行く理由は、自転車が2台もないからだ。
なぜこんなことを考えているのかといえば、気を紛らわすために他ならない。
何から気を紛らわすのか?
もちろん、気まずさから。
私は横目で月乃を見る。
「「……。」」
私は会話がなくても気まずいとは基本的に感じない。
だが、気まずいと感じる時は感じるものだ。
側から見たら、私たちは一緒に遊びに行く女子高生にしか見えないだろう。
しかしそのJK二人は無言。
しかも絶妙な距離感をしているのだ。
私と月乃は横に並んで歩いているのだが、その距離は他人にしては近いし、友人同士にしては遠い距離。
これぞまさに絶妙。
なんともいえない空気がむせかえるほどに溢れている。
ちゃんと気まずい。
「つつじ。」
「何?」
月乃が静かに沈黙を破った。
流石に気まずかったのだろう。
私も気まずかった。
「つつじの親は家に居ないみたいだったけど、なんで?」
月乃はそっと私を見ている。
なぜ、そんなことを聞くのだろう。
普通に疑問に思って聞いているのはわかる。
わかるが、他の誰でもなく、月乃がそんな質問をしてくるのは、なんとなく不穏だ。
…‥別に、やましいことは何もないので話すが。
ここで話さずにまたさっきの気まずい状態に戻りたいとも思わないし。
「海外にいるよ、私の親は。」
「__!」
月乃の顔を覗きみると、目を見開いている。
よほど驚いたらしい。
「自由な人たちでね。半分趣味、半分仕事って感じかな。だから、当分帰ってこない。」
正直、私は両親と折り合いが良くないので非常にありがたいが。
別に、不仲というわけではないし、どちらかといえば仲はいいのだ。
しかし、なぜか折り合いは悪い。
「そっか。」
月乃はなんともいえない顔をしている。
月乃自身の親と比べているのかもしれない。
「つつじの親は、どんな人?」
なぜそんな月乃相手に答えにくい質問をうけなければならないのだ。
しかし、答えないのも違う気がする。
でも、答えにくい。
私はなるべく慎重に言葉を選びながら話すことにした。
……私の『慎重』は当てにならないが。
「普通の人だよ、二人とも。強いて特徴を挙げるなら、なんていうのかな、こう、自我が強い。二人とも自分が正しいと信じて疑わない。あとは…母親は、おしゃれが好きで、髪とか肌に気を遣う人だった。」
挙げ句の果てに私にまでそういうことを押し付けてきた。
髪はちゃんとしなさい、とか、服はどうちゃらこうちゃら。
私はどこか遠くを見ているような心地で話していた。
「父親は、趣味に没頭する人だった。やりたいこととか、楽しいと感じたことに対する行動力がすごい。」
こう考えると、フェレスが言っていた鬼の血筋は父親の方かもしれない。
「いい、親だった?」
月乃の声は掠れていた。
私はそれに気づかないふりをして答えた。
「さぁ、どうだろう。」
私にとっては価値観が合わない人たちくらいの認識だった。
『家族』だから、『親』だからという基準であの人たちを見ていない。
あくまでも一個人として見ている。
『親』という立場にあの二人を立たせていないのだ。
あの二人に『親』は向いていない。
窮屈すぎるのだ、あの二人には。
「なんで?」
「何が?」
「なんで、いい親じゃないの?」
質問の意味がわからない。
私は別にいい親じゃないとは言っていない。
いいとも悪いとも思ってはいないが。
私が戸惑っていると、月乃がまた口を開いた。
「つつじの家は、つつじの部屋があった。親がいなくても暮らしていけるように、必要なものは全部あった。
つつじのための服、部屋、食べ物、お金。全部ある。なのに、なんでいい親じゃないの?」
月乃の声はずっと震えていた。
俯いて今にも泣いてしまいそうだ。
やはり、月乃の家で揉めたのは、間違いなく月乃の両親だろう。
じゃないとこんなに家族の、しかも親の話なんてしない。
さて、なんというべきだろうか。
素直に質問に答えるべきなのか、寄り添うような言葉をかけるべきなのか。
わからない。
わからないが、何か言わなければいけないのはわかる。
だが、気の利いた言葉なんて都合よくでてきてはくれない。
それでも、何か言わなければいけないのだろう。
「お金や物がもらえればいい親、っていうわけじゃない。」
「わかってる。」
だろうなぁ。
昨日一日関わっただけでもわかるくらい、月乃は人に甘くてお人よしだ。
そんな月乃なら、“『物』や『お金』だけが豊かさじゃない。もっと大切な物がある。”みたいな言葉が好きそうだ。
月乃が言いたいのはきっと、それらの『物』や『お金』が“私のための”物なのに、なぜいい親ではないのか、ということだろう。
私の答えは一つ。
そもそも親として見ていないから。
いくら私のためのものとはいえ、いいか悪いかなんてそれだけでは測れない。
そもそも、親という椅子にあの人たちを座らせるのは無理がある。
そういう人たちなのだ。
つまり、月乃の質問に答えることはできない。
なら、適当にそれっぽいことを言って誤魔化そう。
「価値観が合わなさすぎるからかな。」
「どういうこと?」
「私の母親は、髪型とか、肌の手入れとか、そういうのを気にする。でも、私はそういうものに全く興味がない。髪のケアだの肌のケアだのにさく時間は私にとっては無駄な時間だし、それによる成果も私は求めていない。でも、母親にとっては違う。娘の私にも可愛くて綺麗であって欲しいと思ってる。確かにやって損はないと思うよ。それでも私はわざわざそれに時間を割く必要性を感じない。私からしたら興味もやる気もないことを押し付けられているようにしか感じない。でも、母親は『つつじのため』っていう。まぁ、実際に母親の時間とお金を使ってもらってるんだから、本気でそう思ってるんだろうけどね。」
だとしても、私はやはり『私のため』にそう言っているとは思えない。
ただ『おしゃれで可愛い娘』が欲しいだけではないのか。
そう思うことの方がどうしたって多くなる。
それ以外は性格を除き、いい人なのだが。
「答えになった?」
ずいぶんと長く喋った。
もう五分ほど歩けば、目的のショッピングモールに着くだろう。
月乃は何かを噛み砕こうとしている顔をしていた。
必死に理解しようとしている。
答えを間違えたかもしれない。
よくよく考えたら、今の答えは月乃からすれば贅沢な悩みだろう。
月乃の両親がどんな人なのかは知らないが、虐待と呼べることをしていてもおかしくはないだろう。
いじめられても学校に行っていた月乃が帰りたくないというなんて、よっぽどだろうし。
考えている間にも、場の空気は重く澱んでいく。
しばらく無言で足だけを動かし続ける。
「…わかってると、おもってたの。」
消えてしまいそうなほど、掠れた小さな声。
泣く五秒前の子供のような声。
「私の親は、いい親じゃないって、わかってた。ずっと前からわかってた。何回も死にかけた。ずっと、痛くて、苦しくて、辛くて。あの人たちは私を『娘』として見てないって、わかってた。わかって、たのに。」
苦しそうな声とは裏腹に、なんの表情も浮かんでいないその横顔は、ひどく危うく見えた。
「わかってたのに、あの人たちの口から優しい言葉が出たら、そっちに行っちゃいそうだった。」
……虐待されている子供が欲しがるのは、助けでもなんでもなく、親の『愛情』なのだそうだ。
何かの本で読んだことがある。
月乃も、そうなのかな。
人ごとのようにそんなことしか思わない。
「あかねとメリーちゃんが止めてくれたの。そっちに行っちゃダメだって。私も、そう思った。だから、行かなかった。行かなかったら、今度は優しさなんてどこにもない、さっきとは真逆のことを言われた。
わかってたのに。あの人たちが、私をどう思ってたのかなんて知ってたはずなのに__。」
「わかっていたはずなのに、すごく痛いの。」
理解と受け入れはどうとやら、という言葉を思い出した。
私は、いつの間にか泣き出してしまいそうな月乃の顔を見ていた。
今日の彼女はずっとそうだった。
ずっと、泣きそうな無表情をしていた。
何かに縋って泣いてしまいたい。
でも、向き合わなくてはならない。
その葛藤が、月乃の涙を止めていた。