21
「そのお人形、壊しちゃうの?」
月乃は、小さな子供のようにフェレスに聞いた。
「そうしないと誰かが死ぬなら、そうするよ。」
月乃の聞き方のせいか、フェレスも子供に言い聞かせるような口調で返した。
……月乃が何をしようとしているのか、なんとなく察しがついてしまった。
どうせ、“じゃあ誰も死ななければいいのね”とか言って説得するつもりだろう。
「じゃあ、誰も死ななければいいの?」
ほら。
「ねぇ、お人形さん。」
やっぱり。
「どうして人を殺すの?」
……どうして、こんなに肝が据わっているのだろう。
予想しておいてなんだが、理解できない。
あのタイミングで人形を壊すかどうか聞いてきたということは、メリーさんを壊して欲しくないということ。
壊されたくないのなら、人形に人を殺させなければいい。
ただし、月乃にできるのは説得くらいだ。
だから、説得したいと言い出して説得し出すと思った。
月乃の行動から、ここまではわかる。
月乃が“どうしたいのか”はなんとなくわかる。
でも、“なぜ”かまではわからない。
なぜ、危険な人形を壊されたくないと思うのか。
そのためにわざわざ危険を犯すのか。
私にはわからない。
「どうして?」
優しい微笑みと共に、月乃がもう一度問いかけた。
月乃は私が考えている間にメリーさんに近づいたようで、二人の間にはもう1メートルの距離もない。
メリーさんが切り掛かってきたら、間違いなく大怪我だ。
運が悪くなくても死ぬ程度の大怪我。
「イッシっょニ…」
メリーさんはギシギシと嫌な音を立てながら、質問の返答とは言えないような言葉を呟いている。
だが、会話はできるかもしれない。
襲いかかってはきていない。
「いッしょに、___カエル。」
メリーさんは包丁を持ったまま、月乃に近づいていく。
一歩近づくごとに、ズリ…ズリ…と包丁が音をたて、ギシッ、ミシッとメリーさん自身も泣き声のような音を奏でる。
「どこに帰るの?」
それでも月乃は、声をかけ続ける。
顔は恐怖で少しばかり強張っているが、目だけは真摯にメリーさんに向け続けている。
「おウチに、カえル。」
いつの間にか、メリーさんの目から流れ続けていた血の涙が、片目だけ、透明な雫に変わっている。
なんで…?
「じゃあ、わたしといっしょに帰ろう。」
月乃が優しく言う。
「___う」
「え?」
「違う!!」
メリーさんは頭を抱え出した。
苦しそうに、何かを必死で探すように。
その両目から、再び真っ赤で濁った涙が滑り落ちる。
「どうしたの!?」
すかさず月乃がメリーさんに近づき、背中をさする。
流石に危ないと咄嗟に考えた私は、やはり月乃が近づくことが不思議でならない。
絶対に私なら近づかない。
「わ、タし、が、イっしょニ、かエりたい、のハ__」
いっしょに帰りたいのは?
誰かとお家に帰りたかったのか?
帰りたい。
いっしょに。
こんな話、どこかで……
___あぁ、なるほど。
先が読めない恐怖、薄暗くて気味が悪いという恐怖、得体の知れない怪異の恐怖。
全てに動揺して、意識的な思考ができなくなっていた。
でも、無意識下で私の脳は動いていてくれた。
考え続けていた。
『メリーさん』という、怪異について。
察するに。
メリーさんがいま、帰りたいと言っている理由は、“ストーリー”のせいだ。
メリーさんという怪談は、本来なら前置きがある。
その前置きは、どうしてメリーさんが電話をかけるのか、ということを説明する、物語形式で語られることが多い。
その内容は、簡単にするとこんな感んじだったはずだ。
【とある西洋人形は持ち主の少女に“メリーさん”という名前をもらい、大切にされていた。しかし、少女が国外旅行に行った時に、メリーさんを忘れて帰国してしまった。メリーさんは、彼女が迎えに来るのをずっと待っていた。
しかし、どれだけ経っても少女は迎えにきてはくれなかった。
だから、自分で探しにいくことにした。
“一緒にお家に帰る”ために。
電話をかけて、探し続けている。】
確か、こんなストーリー。
このストーリーが『空想を現実にする怪異』によってメリーさん自身に組み込まれたのだろう。
だから、メリーさんは『少女』を探し続けている。
おそらく『少女』は存在していないのに。
『少女』が存在していると、『メリーさん』という怪異が成立しなくなる。
『少女』がどこにもいないからこそ、メリーさんは探し続ける。
一生見つからない相手を探し続け、その過程で人を殺す殺人人形。
つまり、メリーさんを説得するのは無理だ。
メリーさんを満足させることはできない。
「一緒に帰ろう。」
月乃は変わらずにメリーさんに言い続けている。
「もし、他の誰かといっしょに帰りたいなら、いっしょに探そう。」
見つかる筈はないのに。
どれだけ探しても、存在しないものはみつかりはしない。
それをわかっているのかいないのかはわからないが、その優しい優しい言葉に、メリーさんは納得したのだろう。
満足できたのだろう。
メリーさんの両目からは、とめどなく涙が流れている。
その涙は、どこまでも澄んでいて、なんの混じり気もない、透明だった。