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【つつじ視点】
「つつじ!!」
「え?」
彼岸花の人___確か、月乃。
月乃の声に、首に押し当て、少しだけ引いた硝子を持つ手を止める。
また、月乃の声が聞こえる。
「ちょっと!何やってるの!?」
何をやっている?
それはこっちのセリフだ。
なんで…。
いや、それよりも。
「走って!!」
今なら、まだ間に合うか?
いや、まにあってくれ。
恐怖に呑まれつつ、後ろを振り向く。
「ヒュウ、ヒュッ」
___見なければよかった。
最初に目に入ったのは、赤。
次に、血の涙でドレスを真っ赤に彩った、異形。
奇しくも月乃はその異形と私の間に立っている。
だが、まだその瞳に異形を写してはいない。
まだ、間に合う。
まだ、足を踏み入れてはいない。
「早く!!」
カヒュッ
「トンネルを抜けて!!」
なんのためにわざわざスマホを奪いとったと思っているんだ。
「何言って…」
月乃は困惑しているようで、動く気配はない。
頼む。
急いでくれ。
「ねェ」
壊れたオルゴールのような声が、した。
ほら、早く。
逃げて。
「あナたワ、きイテ、くレるよね¿」
「え___?」
異形、いや、メリーさんは、月乃にゆっくりと、近づいていく。
月乃の瞳も、ついにメリーさんを写してしまった。
「人形…?」
メリーさんはどこから取り出したのか、体に見合わない大きな包丁を持っている。
その刃先は、乾いてドス黒い血がついている。
ヒューヒュー
メリーさんは、ついに、月乃の足元までたどり着いた。
たどり着いてしまった。
「ねェ、 い っ し ょ に イ コ う?」
「だめだよ。」
メリーさんが、錆びついたパーツを無理やり動かしているような動きで、声を発したものの方を向いた。
「月乃ちゃんもつつじも、君といっしょにはいけない。」
体の芯から凍るような声。
しかし、今の私にとっては、限りなく頼もしい声だった。
「フェレス」
よかった。
くるのがギリギリすぎなのではないか。
なんとかなりそうだ。
もっと早く来てほしかった。
安堵と強がりの文句で思考が満たされ、体の力が少し抜けた。
フェレスは手首だから小さい。
だからフェレスが近づいて来ているのに気が付かなかったのだろう。
今はメリーさんの後ろにいる。
「ジャま、すルナ。」
メリーさんが振りかぶり、フェレスに向けて包丁を振り下ろす。
しかし、フェレすはさっさと避けてしまった。
あのサイズの人形に果物ナイフでもない包丁は重すぎるからだろう。
フェレスに比べて動きがかなり鈍い。
とはいっても、どちらの動きも非常に早い。
人間が相手だったら、メリーさんの今の動きでも確実に当たっていたと思う。
「さっさと壊そうか。」
フェレスはそう言うとメリーさんにすごい速さで近づいた。
メリーさんは、次の瞬間には壁に激突していた。
ミシミシと嫌な音を立てて、錆びついた体を無理やりに動かそうとしている。
「あれ?まだ、壊れてないの。壊すつもりだったのに。」
そういうと、手首の断面を地面につけ、指先が真上に来るような非常にグロッキーな体制になり、指をデコピンの形にした。
さっきもデコピンでメリーさんをふっとばしたのかもしれない。
しかし、生手首の指先がデコピンになって地面に転がっているという光景はなかなかにシュールだ。
こんな状態じゃなかったら間違いなく笑っていた。
ヒューヒュー
メリーさんは、先ほどよりもずっと血濡れた自身の体を動かそうともがき続けている。
その光景は、人形とは思えないほどに生々しく、凄惨さが際立っている。
その姿は、どうしても私の目から離れてはくれない。
見たくない、一秒でも早く目を逸らして忘れてしまいたい。
そう思うのに、目がいうことを聞かない。
永遠に記憶が残りそうなくらい、目にその姿が焼き付けられていく。
誰一人として声を発せず、ギシギシとなる人形の悲鳴のような音しか聞こえない。
ひどく、静かな、時が止まったような地獄のような時間。
「待って。」
そんな中、声を発したのは、やはりというべきか、月乃だった。