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暑い暑い夏休みが明け、ようやく涼しくなるかと思えばそんなことはなく、普通に暑い八月の終わり。
私は盛大に疲れていた。
「つつじちゃ〜ん?生きてる?」
「かろうじて。」
「夏休みあけてまだ一日目なんですけどね。」
心配するような声音のキリカさんと呆れを滲ませた小戸路先生は何があったと言いたげに私を見ているが、説明をするのも面倒だ。
唯一の救いはこの狭く図書委員会以外は絶対に使わないであろう図書準備室にもエアコンが備え付けられていることだ。
流石腐っても私立。
しかも独立したエアコンがついているため温度調節が可能。
おかげで暑くはなかった。
「また赤井崎さん関連ですか?」
「赤井崎?ハラキくんがなんかしたの?」
「小戸路先生が言っているのはハラキさんの妹の赤井崎さんですね。」
そういえば、小戸路先生は赤井崎関連の事を知っていたか。
というか、私が図書委員会の仕事と称してここで駄弁っているのは赤井崎からの避難所としてここを小戸路先生が提供してくれた事が始まりだ。
正確にはもう少し色々とあったが、まぁどうでも良い。
そういうことにしておいた方が楽そうだし。
「そういえば、ハラキくんがお土産をくれたんだ。」
ハラキさんとその妹の話が出たからか、キリカさんは思い出したように手を打って床においていた鞄を机に上に持ってくると、その側面を指さした。
「ユニコーンフィッシュですね。水族館のお土産ですか?」
「さっすがしゅうくん、詳しいね!そう、ハラキくんがくれたんだ〜。夏休み中に兄妹で水族館に行ったんだって。その時、つつじちゃんも一緒だったって聞いたよ。」
「そうですね。」
まさにその時に買ったキーホルダーが原因で私が疲れているとは夢にも思っていないであろう二人は、思わず遠い目をしてしまった私を不思議そうに見ている。
「水族館でなんかあったの?」
「いえ、特に何も。」
色々と面倒だったし水族館なんて行きたくはなかったが、別に今回の疲労とは何ら関係がない。
「では、キーホルダーをめぐって何かあったんですか?」
「それもありますけど、どっちかというとその時に一緒にいた面子が問題でして……。」
「え?ハラキくんとクラスメイトの子達じゃないの?」
それの何が問題なのだという疑問をありありと浮かべているキリカさんに私はおそらく苦々しい顔を向けただろう。
「偶然会った人の一人が、どうやら人気がるらしいんですよ。」
「あーね。キーホルダーつけて来ちゃったんだ。」
「私はつけていませんけど、まぁ月乃はつけてましたから……。」
「ちょっと待ってください君達、僕を置いていかないでください。」
私の一言で全てを察したキリカさんとは異なり、小戸路先生は滑らかに進んでいく会話について来られなかったようだ。
戸惑いながら、しきりに丸眼鏡を押し上げている。
それを見たキリカさんは心の底から楽しそうに揶揄っていた。
「あれ〜?しゅうくん、もしかして鈍いタイプ?」
「普段あれだけ女子生徒から刺されそうな視線集めているじゃないですか。」
何を揶揄われているのかすら分かっていなさそうな小戸路先生が若干哀れになって来たので適当なところで止め、一応説明を加えてみる。
小戸路先生、普段なら絶対に今の会話で全てを理解するはずだから、おそらく休み明けの業務で疲れているのか最近徹夜でもしたのだろう。
「クラスでもてるらしい人がクラスメイトと同じ水族館のキーホルダーをつけて来たのでクラス内の女子達が殺気立ちまして。」
一応みんなで『お揃い』という名目で買ったキーホルダーだが、ハラキさんと粟森の分だけは他のキーホルダーと素材が異なるのだ。
そのため誰がどう見てもお揃いには見えない。
見えはしないが、高校生が一人で水族館なんて行くはずがない。
行くとしたら……というような推理をクラスの女性陣がした結果、相手探しが始まったわけだ。
「それで偶然にも同じ水族館のキーホルダーをつけていた赤井崎さんと月乃が検挙されたわけですが……。」
「どちらも素直に粟森くんと会ったと認めた上に、貴女の関与まで話したんですか。」
小戸路先生は納得、という顔で手元の紙に目を移した。
先生に聞いたところによると、今日か明日の職員会議の議題だそうだ。
「先生も夏休み明けから大変ですね。」
「大変なのは君達でしょう。九月に入ったらすぐに期末テストです。」
「あ〜、もう来週にはテストだね。」
キリカさんはテストという言葉に一切の動揺を見せない。
前回のテストでキリカさんは高得点を取っていたはずだし、特にテストに関する心配がないのかもしれない。
「五月女さんはまた勉強しに来ますか?」
「いえ、確かクラスの人と勉強会がどうこう言っていたのでそっちに行くと思います。」
「えー、月乃ちゃん来ないのぉ〜?」
残念そうな声を上げるキリカさんは、声とは裏腹に顔は笑っている。
しかも、その表情は含み笑いのようでどうにも怪しい。
月乃が来ないことで何か問題があっただろうか。
「じゃあ、罰ゲームはつつじちゃんだね。」
「罰ゲームは廃止でいいと思います。」
そういえば、前回テスト勉強の時には罰ゲームがあったか。
それもグラウンドを全力で一周走るという意味不明なもの。
それを今回も適用されると非常に困る。
「キリカさんには勝てませんよ、私。やっても無駄です。」
「キリカ君に勝てるかもしれませんよ。」
「勝ち負けはどうでもいいです。ただ、あの罰ゲームは普通に意味不明なんで要りませんよ。」
せめて課題の追加とかの方がまだ有意義だ。
「じゃ,次は負けたら愁くんお手製の激ムズ対策プリントを……」
「難易度は普通でお願いします。」
「じゃあそこそこの難易度のプリントを用意しておきましょう。」
勉強量が増えたが、どうせテスト勉強の一環になるならばまぁいいか。
そう自分を納得させつつ、机に広げたまま手をつけていなかったテスト対策に小戸路先生が作ってくれたプリントの存在を思い出す。
今は数学のプリントに取り組んでいたところだった。
「でも、つつじちゃんは文系だから愁くんに教えてもらえるのいいよね。」
「理系の方が教えて貰えていいのでは?」
小戸路先生は科学の先生だが、基本的には数学でも生物でも理系教科なら教えられる。
理系の人の方が聞く事が沢山あると思うけれど。
「だって、得意教科は自分でできるじゃん?でも苦手教科一人でやるのはキツイと思うんだよね。」
言われてみれば、得意教科よりも苦手教科の方が人に聞く事が多い。
現に目の前の数学のプリントではすでに何度か先生とキリカさんに公式や解き方を教えてもらっていた。
数学は解き方が思いつかなかったらもう解けないからね。
自分一人ではどうしようもできない。
「そういえば、月乃ちゃんが理系だったのは意外だなぁ〜。ねぇ、愁くん。」
「なんで僕に振るんです?………まぁ、確かに珍しい気はしますけども。」
若干の戸惑いの後に小戸路先生が絞り出した声に、キリカさんは大きく頷いて賛同した。
「つつじちゃんが文系なのはいつも本読んでるから分かるんだけどね。月乃ちゃんは別に本読んでるわけじゃないんだけど、なんか文系のイメージあるなー。」
「あの人、理系っていうよりは公式覚えれば解ける科目に力入れてるだけですよ。」
公式だけ暗記すれば解けるから理系の方が得意とのことだった。
公式を暗記するだけで解けたらこの世に難しい数学は存在しなくなるのだが、月乃には関係ないらしい。
「暗記なら歴史とかのがいーんじゃない?」
「暗記の量が多いから無理って言ってましたかね。」
「へぇ〜っと、もうこんな時間!そろそろ帰ろ。」
キリカさんにつられて時計を見ると、確かにもう解散の時間だ。
何かを忘れているような気がしたが、思い出せないということは大したことではないのだろうと判断して私は机を片付け始める。
月乃は友達と勉強会と言っていたのですでに学校にいないので、今日は一人で帰る予定だ。
「愁くん、じゃぁねー!」
「さようならー。」
やる気のない挨拶をしてから準備室を出る。
小戸路先生から返事はなかった。
その後靴箱までキリカさんと一緒に行き、家の方向が反対なので靴を履いたらその場で別れる。
外はすっかり暗いが、学校を出たところでフェレスが迎えに来てくれていたのでそこまで怖くはない。
そのまま二人で話しながらトンネルに入った辺りで私はあっ、と声を上げた。
「どうしたの?」
「小戸路先生にテスト終わりの秋休みがある週丸ごと休むかもって言い忘れた。」
シガンさんの実家に行くのは九月のニ週目、つまりテストが明けてから一週間後。
ちなみにその時期は学園祭の準備期間であり、私が休むかもしれない日にちに学園祭当日も含まれる
が、そんなことはどうでもいい。
「今度言っておかないと。」
忘れないようにスマホのメモ機能にメモをしようとしたがうまく使えなかったので大人しく忘れない努力をすることにした。
ちなみにその努力は虚しくテスト期間中ずっと伝え忘れた。




