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まだまだ暑い夏休みに歩きで外出するのは自殺行為だったかもしれない。
私は久しぶりにいつはさんの家を訪ねるためにアスファルトが焦げそうな炎天下を歩きながらぼんやりと思う。
両親が再び海外に旅立つために家を出てからすでに数時間が経過していた。
この一週間はちょくちょく怪異に遭遇したがそれ以外は特に何の問題もなかったから、怪異の事など何も知らない両親も安心して空港に向かった。
いや、やっぱり心配そうだった。
娘の一人暮らしだしそんなものだろう。
両親がいる間はフェレスも月乃達と一緒にシガンさんの家に行っていたので今もまだそっちにいるだろうから、今私は一人で歩いている。
暑さやら蒸し暑さやら何やらで思考がまとまっていない気がするが、思考を放棄してただただゾンビのようにいつはさんの家を目指す。
到着する頃には汗で前髪がびたびたになってしまった。
せめて日傘でも持ってくるんだったなぁ。
いや、日傘持ってないな、そう言えば。
日傘の購入を真面目に検討しながらピンポンを押そうと指を伸ばしたところで、庭先で何かがにゅっと動いた。
「こんな暑い中、ようきたし。」
「いつはさんこそこの暑いのに良く外で待っていましたね。」
暑いなんて全く思っていなさそうないつはさんは涼しい顔で梔子の瞳を私に向ける。
汗ひとつかいていないいつはさんはしゃがみ込んで庭いじりでもしていたらしく、立ち上がったところがにゅっと何かが伸びてくるように見えたらしい。
「まぁ、暑いし一旦上がるせ。」
ちろりと私を見たいつはさんの梔子の瞳を見ないようにしながらいつはさんに続いて室内に入れてもらうと、エアコンの冷たい風が体を一気に冷やしてくれる。
私は涼しさの根源であるエアコンから離れた位置に座らせてもらった。
エアコンが直撃していなくとも汗がすぐに冷えてしまいそうで、この調子だとすぐに寒くなってしまうだろうな。
いつものように二階のいつはさんの自室に通され、少し待っているように言われた。
暑いので休めるのはありがたいが、組紐を渡しにきただけなのが申し訳ない。
「待たせたしー。」
「お気遣いなく。」
氷とほうじ茶が入った硝子のコップを二つと涼しげな色をしたゼリーを机の上に置いたいつはさんは私の目の前、エアコンの風が一番強いところに座った。
「んで、何のようやったせ。」
「お土産です。」
そう言って持ってきていた小さな紙袋をいつはさんに手渡し、私の任務は完了だ。
いつはさんは軽く目を開けた後、中から組紐を取り出してまじまじと眺めていた。
「これ、つつじが選んだしぃ?」
「いえ、フェレスに選んでもらいました。………どうかしましたか?」
好みに合わなかったかと思い、視線をいつはさんの首から額あたりに移動させて見るが、相変わらず退屈そうな笑みを浮かべるいつはさんの表情は読み取れない。
ただ、ほうか、と言って自分の手首に結びつけているので気に入らなかった……訳ではないと信じよう。
「んで?」
「何ですか。」
「他にも用があるんせろ?」
「………。」
まぁ、ない訳ではない。
ない訳ではないが見抜かれていたとなるとバツが悪かった。
「今度、シガンさん達の実家に行くんです。」
「んで、相談にきたいうわけせ。」
流石いつはさん、話が早い。
怪異関係に詳しいいつはさんに報連相をしておきたかったというのも、私がわざわざここに足を運んだ理由だった。
「他にも何やありそうせ〜。」
「……何もありませんよ。」
全てを見透かしたような梔子を見ないようにしながらも、やはり全てを見透かされているような気がしてならなかった。
何をどこまで読まれているのかまるで分からないこの感覚はいつになっても慣れそうにない。
「まぁ、秘密という事で。今聞きたいのはシガンさん達の実家の事なので。」
「ほ〜ん……。まぁ、いいし。んで、何が知りたいん?」
「知りたいというよりは相談がしたい、というところですかね。」
実家に関する情報がほとんどない以上、もしもの時のための対策を練りたい。
そのためには怪異、今回の場合はマヨイガなど実家に関係する怪異について、いつはさんの予想する範囲で構わないから実家に行った時の行動について相談しておきたいのだ。
「ウチやってシガンらの実家については知らんせぇ、あんまし役立たんしぃ。」
「それでもマヨイガの事が分かったでしょう。」
あの後フェレスやあかねにも聞いてみたが、シガンさんからマヨイガや怪異の気配がするという事はないと答えた。
一方でいつはさんは実家の人間に一度会っただけで怪異の存在と種類を当てて見せた。
「いつはさんは私が思っている以上に長生きそうですので。」
「………まぁ、それなりに生きてきてはおるせ。んでも、マヨイガの一族に関してはさして詳しくないしぃ。」
「マヨイガの一族?」
「あー、昔ウチの………上司に当たる妖が取引をした一族があるし。確かそん時にマヨイガへの永住権がどうこうと言っとったせぇ、多分それしー。マヨイガは無限に広がるんせ。やし、昔は住むには色々と手順やらなんやらが合ったんなぁ。そん一族の事せぇ。」
その一族の末裔がシガンさん達なのだろうか?
「つつじが今考とぉ事は外れせ。そん一族は遠に滅びとんし。」
「では一族が滅びた後に住み着いた一族ですか?」
「まぁ、大方合っとお。ちょいと訂正すると、マヨイガに住んだ一族が何度か入れ替わった後に住み着いて生き残った家系せ。んで、その家系の末裔にあたるんがシガンたちなんろ。」
なんてことのないようにほうじ茶を啜りながら言ういつはさんは雑に言葉を切ると、ゼリーを食べ始める。
私もつられてお茶を飲んだが、お茶の味がさして感じられない程度にはいつはさんの言葉を反芻していた。
確かにこの人に相談しに来たのは私だが、まさかシガンさん達の実家のルーツがわかるとは思っていなかった。
さらにマヨイガに関する取引をしたのはいつはさんの上司に当たる人だと言う。
この人の言う事がどこまで本当かは分からないが、それでもこの人が一才の真実がないちゃちな嘘をつく事はない。
つまり、半分程度は信頼ができる。
「………前々から思っとったけんど、つつじはウチがそんな嘘つくと思うとん?」
「思っていますね。」
「悲しいし〜。」
全く悲しいなんて思っていなさそうな顔で笑ういつはさんのお皿の上にはもうすでにゼリーはない。
悲しいだの何だの言っている間に食べたのだろう。
「なんせそんな警戒しとぉ?」
「経験則ですかね。」
「ウチ結構助けてやっとぉせ。」
「最近はそうですね。」
白々しい、という思いを乗せていつはさんの方を流し見ると、楽しそうに弧を描く唇が見えた。
本当に何を考えているのか分からない。
「娘っ子はあんなし警戒のけの字もないんに、つつじは慎重せ。」
「そういえば月乃を揶揄って遊ぶのやめてくれません?」
たまにではあるのだが、なぜか月乃がいつはさんに連絡をとり、その度に妙な入れ知恵をされているあの人の相手をするのは大抵私なのだ。
入れ知恵の内容によってはあかねやメリーさん達怪異陣も騙されるので非常に面倒くさい。
「ウチ、ああいう眩しいんは好きやないせ、揶揄ってまうんよ。」
そういういつはさんの顔は、珍しく感情のようなものが読み取れそうだった。
僅かに下がった眉と目線が、どこか寂しげに見える。
「意外ですね。いつはさんなら騙されているのを見て退屈そうに傍観しそうなのに。」
「ウチはそんな性格悪くないせ。」
揶揄っている時点で性格は悪いよりにはなりそうではあるけれど、気にした様子がないいつはさんに勧められ、私もゼリーに口をつけ始める。
この頃にはすっかりいつもの無表情のような笑顔に戻ったいつはさんとその後しばらく実家に感する話をして、あたりが赤く染まった時間には少し寄り道もしてから家に帰った。
すでにシガンさん達の家から戻ってきていた月乃達のせいで両親がいた時よりも家が数倍うるさい。
さらに月乃がいつはさんに組紐を喜んでもらえたかと散々聞かれ、普段よりさらにうるさかった。
ちなみに、いつはさんはあの組紐を割と気に入ってくれたらしい。
後日送られてきた水族館の入場券四枚に添えられたメモ書きがそれを物語っていた。




