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シガンさんの家でご飯を食べながら月乃に両親が帰ってくることを伝えた二日後、つまり母さん達が帰ってくる日。
私はフェレスの声で目を覚ました。
「ねぇ、起きてってば。怪異だよ。」
「………。」
無言で布団を抱き寄せるが、どうやっているのかフェレスに布団を剥ぎ取られた。
しかし布団がない程度で寝られない私ではない。
黙って二度寝をしようと試みる。
「起きないと耳元で呪いの話するよ。」
「んん、おきる、おきるから、まって………。」
「せめて目を開けてよ。ねぇ、起きる気あるの?」
「じょうきょうせつめい。」
私の体と瞼の上にだけ局所的に重力が通常の倍になっているのではないかというくい体と瞼が重い。
仕方なく起きる努力をしつつフェレスに状況説明を頼む。
とろけきっている頭で理解できるかは分からないが、眠い。
「なんか捻れてる。」
「………へやが?」
「違う。」
「ふぇれすが?」
「なんで僕が捻れるのさ。空間だよ、空間。なんか位相がおかしいの。」
眠い頭では絶対に理解できない話が右から入って左から出ていっている気がする。
そして一向に重力は軽くならない。
「あっ、コラっ寝ないの!」
「からだおもい。いまなんじ?」
普段おばあちゃんかというレベルで早い時間に目が覚めてしまう私がここまで眠いなんて、今は何時なんだ。
「時計だと七時すぎくらいだけど。」
「まじかぁ。」
「だから寝ないでって。ほら、横になってるから眠いんだよ、縦になりなさい縦に。」
言いながら腰の辺りを掴まれたと思えば、いつの間にか座った状態に体制が変わっていた。
でもやっぱり眠い。
「ねーなーいーのぉ!」
フェレスの声と同時に、額に衝撃が走った。
痛みと痛みの位置的にフェレスに力加減を間違えたデコピンをされたのだろう。
脳震盪を起こしかけた気がしなくもない衝撃だった。
「……いたい……。」
「早く目を開けないと、次はもうちょっと強くいくよ。」
脳みそが粉砕する可能性が提示された私は無理矢理瞼をこじ開けた。
今にも寝てしまいそうな程度には瞼が重い。
デコピンされたのに全く目が覚めていない。
「んー、まだ眠そうだね。」
「でこぴんはやめてほしい。」
「そんなに強くやってないよ。」
「めちゃくちゃいたかったよ。あざできてない?」
一応確認のために前髪をかきあげてフェレスに見せる。
私はそっとデコピンされたところを指で押してみる。
熱い上に押すと痛かった。
「なんか変な色してる……!大丈夫なやつ?ねぇ、これ大丈夫?死なない?」
「きゅうにしんぱいしだすじゃん。べつにしなないからだいじょうぶだよ。」
多分青痣ができていたのだろう。
フェレスは珍しくワタワタと焦っていた。
フェレスは痣を見るのが初めてだったのだろう、きっと。
「なんか赤紫。」
「それよりも、なんでおこされたの、私。」
瞼にかかっている重力の重さは変わっていないが、脳味噌の方は少しずつ固体に戻ってきている。
今はフル○チェ程度の硬さ。
「だから、空間がなんかおかしいんだって。」
「何がどうおかしいの。」
「外見てみなよ。」
言われた通りにベッドのすぐ横にある窓を見るが、特になんて事もない暗いご近所が見えるだけだ。
「別に普通だけど。」
「時計は今七時なのに?」
「よるのしち時………寝過ごした?」
まさか丸一日寝ていたというのだろうか。
それならもう両親が帰ってきていてもおかしくはない。
冷や汗が流れて指先から体温が消えていく感触がする。
背中に冷や汗が一筋流れるたびに目が冴えていく感じがした。
「だから、空間がおかしいって言ってるでしょ。」
「寝過ごしてない?」
「うん、寝過ごしてないよ。その代わり何かしらの怪異には遭遇してるけど。」
なるほど、私が寝ている間に怪異がきたからフェレスが起こしに来た、と。
「で、どうやって戻すの?」
「それを今から考えるの。」
フェレスは私の目の前でぴょこぴょこと珍妙な動きを繰り返しながら言い放つ。
簡単そうに言っているが、寝起きのフルーチ⚪︎程度の強度の私の頭ではおそらくろくな案は出せない。
今パッと出たものは
「フェレスが力技解決。」
「できたらやってるよ。」
以上が私が今思いついたことの全てだ。
もうこれ以上に名案は出ない。
「寝たい……」
「デコピンされたいの?じゃあもうちょっと弱く……あれでも大分力抜いたんだけどなぁ。」
「あー、なんか今すぐ起きたいな〜!」
脳髄破裂の危機をなんとか回避しつつ、眠い頭で部屋の中を確認する。
しかし、特におかしいところもなく、ただ外が暗いだけだ。
「外が暗い以外に、なんか変わってる事は?」
「なんか空間が気持ち悪い事になってる。」
「それ以外は?」
「なんか怪異っぽい気配がするんだけど、よく分かんない。」
要は怪異によって空間が捩れ、時間がズレた、というところだろうか。
「じゃあみんなはここにいるか分かんないね。」
「気配はないよ。そもそも昨日からあっちに泊まり込んでるからどっちみちここにはいないと思うけど。」
確かに月乃達は昨日からシガンさんの家に泊まっているので巻き込まれてはいなさそうだ。
それはいいとして、眠い。
「家の中見てこようか。なんかあるかもしれないし、その方が目が覚めるでしょ。」
「うん……。」
あまりにも目覚めの悪い私を気遣ってかフェレスが提案をしてくれるが、正直立ち上がる事ですら辛いレベルで眠い。
異様に眠い。
「ほら、頑張って。」
とん、と浮き上がったフェレスに手を引かれてなんとか立ち上がる。
フェレスの爪がしっかりと手首に刺さったので少しだけ目が覚めたが、それでもなかなか意識がはっきりとしない。
「まずはリビングから行こうか。」
「うん……。」
フェレスは浮いたまま私の手を引く。
手が浮いて手首を掴んでいる様はかなりホラーだが、そんな事を言っていられないほど眠い。
普段なら悲鳴を上げかけている。
ふらつきながらもなんとかリビングまで辿り着いたが、特に変化はない。
「外出てみる?」
「そうだね。危なくないといいけど。」
フェレスの提案に従い、外に出ようと玄関に向かう。
リビングを出たらすぐの場所にある玄関には、いくつかの靴が並んでいる。
私はその中で一番履きやすいサンダルに足を入れ、鍵がかかっている玄関を開けた。
「絶対にこっち行っちゃダメだと思うんだけど。」
「でも家の中は寝ている間に全部見てきたよ。」
「仕事が早いね。」
玄関の外には、なんとも形容し難いふわふわした空間が広がっていた。
暗闇のようで雲のような物でいっぱいの空間。
明らかに現実ではない。
「この奥になんかあるの?」
「行ってみないと分かんない。」
試しに指先を外に出してみると、やけにひんやりとした空気が漂っているのがわかる。
「うわっ!」
「あっ!ちょっと!?」
少しだけ出した人差し指がすごい勢いで引かれ、一歩、二歩と踏み出してしまった。
それにより突き指をしたらしい人差し指が痛む。
今までろくに運動してこなかったせいで人生初の突き指だ。
多分突き指。
なったことないから確信は持てないけど。
「もぉ〜、ダメでしょ、急に入っちゃぁ。」
「えぇ?」
なぜか、目の前にフェレスがいた。
さっきまで後ろにいた気がするのだけれど。
人差し指の痛さとフェレスの瞬間移動に思わず間抜けな声が出た。
「ほら、出口探しにいくよ、つつじ。」
「あるの?出口。」
聞きながら後ろをみると、まだ玄関の扉がポツンと立っており、まだ我が家のリビングが見える。
まだ帰れそうだな。
「あるよ。」
「どこに?」
「この奥。」
「根拠は。」
「気配。」
フェレスからぽんぽんと明確な答えが返ってくる。
ただ、この空間はなんというか、黒い雲の上にあるような、ぼんやりとしているような、妙な感じがする。
下手に歩いて玄関を見失ったら詰む気がしてならない。
そこまで考えたところで、また眠くなってきた。
痛みで緩和されていた眠気が戻ってきたようだった。