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「……眠い。」
「今起きたばっかりでしょ。しかも結構寝てたよね。」
夏祭り騒動があってから早数日。
夏休みも中盤に入った今、私はせ盛大に中弛みしていた。
主に生活面で。
勉強に関しては八月の半ばには終わる目星がついているので順調といえよう。
そんな事を考えながら階段を降りてリビングに入ると、甘い匂いが漂ってきた。
「おはよう、つつじ!」
「おはよう。………パンケーキ?」
「違うよ!ホットケーキ!!」
「ならパンケーキじゃん。」
「え?」
何やら困惑する月乃をよそに私は顔を洗い、歯磨き着替えまで済ませてしまう。
諸々終わらせてリビングに帰ってきてもまだ月乃はパンやらホットやらあったかいやら言っていた。
そして机の上にはなぜかホットケーキ。
「えっ、パンならホットなの?」
「何言ってんの。」
「つつじが言ったんでしょ!ホットケーキはパンケーキだって。」
「パンケーキはフライパンで作ったケーキの総称。」
「そうなの?」
「フライパンのパンだからね、パンケーキのパン。」
どこかで聞き齧ったのか読み齧ったのかはわからないがいつの間にか頭にあったパンケーキの定義を教えてやると、月乃はなぜか目を輝かせた。
「じゃあこれパンケーキなの!?」
「パンケーキっていう括りの中のホットケーキと言う名称のケーキだね。ところでなんで朝からわざわざ焼いたの。」
基本的に我が家の朝食は前日に炊いておいた白米に残り物だ。
朝からわざわざ料理をすることなど滅多に無い。
現に昨日の夕飯は朝食の分を分けて保存しておいたはずだ。
「だって休みの日つつじいっつも食べないじゃん。」
あっけらかんと言う月乃はいい笑顔でフォークを差し出してきた。
「朝ごはん、食べて。」
「………。」
黙ってリビングからの脱出を試みたがあっさりと襟首を掴まれ失敗に終わった。
そのまま机の前まで連行され、椅子に座らせられる。
「つつじ!せっかく月乃様が焼いたのですわ!ありがたくいただきなさい!」
「そうだぞー。それ、たった二枚しか成功してねぇからな。」
「他のどうしたの……。」
「食べたよ……。美味しくはなかった。」
「ああ、どうやったらあんなもんできるんだよ。」
何かは知らないが随分と酷い有様だったようだ。
月乃は別に料理ができない訳ではないし、どちらかといえば得意な方だったと思うのだが……。
「わたしおばあちゃんに教えてもらった和食は得意だけど洋食苦手なんだよね。」
「普通和食の方が難しそうだけどね。」
「んな事よりさっさと食えよ。」
なんとか会話を引き延ばして適当なところで離席しようと思っていたのがバレたのか、あかねに軽く睨まれた。
別にお腹空いてないんだけどなぁ。
渋々月乃に持たされたフォークで二枚あるうちの一枚を手頃なサイズに切る。
いつのまにか用意されていたメープルシロップをかけて、一口。
「………。」
「どう?」
「………なんで、メープルシロップ、用意した、の?」
甘いと思って口に入れたパンケーキは、予想の数十倍は甘かった。
絶対にメープルシロップなんてかけてもいい甘さじゃない。
喉が悲鳴すら上げられない甘さだ。
喉が焼ける。
「つつじ甘いの好きだから甘くした方がいいかなって……。」
「これは甘いを超えてるよ………。」
二口目を食べる前に水を飲んで喉の痛みを少しでも軽減しそうとするが、やはり無理だった。
喉痛い。
「つつじ、大丈夫?」
月乃達の口にもパンケーキを突っ込みながらなんとか食べ終えてぐったりしていると、フェレスが心配そうに私の目の前の机に立つ。
私は今突っ伏しているのでフェレスが至近距離にいた。
こいつ、相変わらず爪が長い。
「そういえば、なんで急に朝ごはん作ろうと思ったの。」
今までは朝ごはんを食べていなくとも咎められる事はなかった。
「だってつつじが起きてくる時わたし達朝ごはん終わってるんだもん。なんか食べてると思ってたんだよ。あと、シガンさんにご飯食べさせてって言われたし。」
「シガンさん?」
どうしてあの人が、と思ったが、確かにバレたら食べろと言われそうだなぁ。
でもどうしてまた今頃。
「ほら、夏祭りから帰ってきたあと、つつじ寝ちゃったでしょ。あの時シガンさんがつつじを運んでくれたんだよ。」
「それと朝ごはんなんの関係が……。」
「つつじが思ってたよりも軽くて心配だったそうですわ。」
「多分私が軽いんじゃなくてシガンさんが怪力なだけだよ、それ。」
あの人は夏祭りで大きな鉱床を片手で持ち上げるような人だ。
そりゃあ人間の一人や二人、思っていたよりも軽いだろう。
「そう、だから自分の握力を加味して、つつじの食生活聞かれたから僕が教えたの。人間ってご飯三回食べるのが健康的なんだね。」
余計な事を。
「余計な事を……。」
「今度からつつじがご飯抜いたらシガンに言うからね。」
中立だと思っていたフェレスまでも敵にまわってしまった。
「でも、つつじって別に食べられない訳じゃないんだね。」
「どういうことですの?」
「いつも食べないからあんまり量食べれないのかなって思ってたんだけど、普通にパンケーキ食べきっちゃったから。二枚っていっても分厚く焼いたから結構多かったんじゃない?」
確かにパンケーキは見た目からしてボリューム満点だった。
ただ、私は特に苦労することなく完食しているし、お腹も特に張っていない。
「そういえばつつじ、この消費期限がやばいとか言ってホールケーキ食べてたよね。」
「あー、消費期限当日の誰かさんが安かったとか言ってなぜか四個も買ってきて忘れてたホールケーキね。」
確かその日月乃はみんなでホールケーキを一つだけ食べ、その後お腹いっぱいになってしまい食べる人がいなかったのだ。
「あれつつじが食べてくれたの!?しかも三つ!?」
「ホールケーキですわよですわよ!あんなもの一日で食べきれませんわ!」
「でもつつじ食べたあと普通に夕飯食べてたよ。」
「お前胃袋どうなってんだよ。」
どう、と言われても。
勿体無いから食べただけだが。
「むしろそんだけ食えんのになんで普段食わねぇんだよ。」
「お腹空いてないし……。」
「お腹空いてなくて食べられる量じゃありませんわ。」
かつてないくらい引かれている。
ドン引きされている。
この話題はやめよう。
「そういえば、シガンさん怒り途中で月乃に妨害されてたけどまだ怒ってる?」
「別に怒っていませんでしたわ。」
「完全に怒る気失せてたな、ありゃあ。」
どこか憐れむような表情でメリーさんとあかねがシガンさんの怒りが完全に鎮火した事を教えてくれる。
結構怒っていたが、月乃のおかげで有耶無耶になってくれたようだ。
「シガンさんがどうかしたの?」
「いや、ただ怒ってるかなって。」
本当は大事な話があるから一人でシガンさんの家にいくようにと言う旨のメッセージが届いたのだが、そんな事を今言えば確実に一人では行けなくなってしまうので適当に誤魔化す。
怒っている訳ではないのなら一体どうして呼び出すのか。
しかも私だけとなると、身内の事だろうか。
数ヶ月ほど顔を合わせるどころか電話すらしていない両親の顔や親戚の顔をおもい浮かべるが、特にそれらしい理由は思いつかない。
「あ、もうこんな時間!」
「どこか行くの?」
時計を見て急に慌て出した月乃を見て聞くと、バタバタと鞄に何かを詰め込みながら部活ー、と返ってくる。
「制服は?」
「今日は展覧会観に行くだけだから私服でいいんだって。」
「わたくしたちはそれについていって、ぶかつが終わったら月乃様とショッピングですわ!」
言いながらメリーさんは慌ただしくリビングを出ていった月乃について出ていった。
その後をゆっくりとあかねが出ていく。
リビングは先ほどまでの会話の空気が微かに反響する以外、何の音もしなくなった。