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「シガン、つつじはお前に似てんねん。」
「………それがなんや。」
シガンさんは似ている、と言う言葉を否定はせず、なんの波もない瓶覗の瞳を弟へ向ける。
視線を向けられた弟は月乃の背をさすりながら楽しげに笑う。
その納戸色の瞳は優しそうな色をしていた。
「お前に似て自分の‘声’が聞こえへんねん。」
「声……?」
思わず小さく聞き返してしまうと、しっかり聞き取っていたらしいヒガンさんが私を見てその納戸色を三日月にした。
声は掠れていてたったの一言だったのに聞こえているとは、これがいわゆる地獄耳か。
ヒガンさんはニヨニヨしながらシガンさんの方を見る。
シガンさんは納戸色の瞳が言わんとする事に気づいたらしい。
不服そうに顔を微かに歪めながら私を見た。
「……雪花が言うてた事やから俺に言われても困るんやけどな。あいつが俺に『シガンはいつも声が聞こえないんだよ。』って言うたんや。」
なるほど雪花さんの言葉の受け売りか。
「それで、どう言う意味なんですか。」
「あいついわく『本音が分からない』らしいで。」
「鈍い……?」
確かに言葉は出てこなかったが、鈍い?
「つつじの場合は鈍いっちゅうよりは計算のしすぎかもしれんけどな。」
「私数学苦手ですけど。」
計算なんて小学校の時点で苦手だった。
特に高学年に上がってからは本当にキツかった記憶がある。
「うわ。」
小学校の算数を思い出して精神的ダメージを負っていると、目の前に突然ゾンビのような顔をした月乃が出てきた。
月乃は鼻水に泣いて腫れた目で顔はぐしゃぐしゃ、声も泣き止んだばかりなのかガラガラだ。
「月乃様に向かってうわとはなんですの!」
「いや、あの顔はうわ、だろ。」
「乙女に失礼ですわよ!!」
メリーさんとあかねが喧嘩を始めたが、気にする人は誰もいない。
ぎゃーぎゃーと騒いでいる二人を無視して月乃が私とシガンさんの前に正座した。
正座はしているが泣き喚いたせいで浴衣が随分と乱れて顔同様にクシャクシャなため威厳はない。
「………。」
「……月乃さん?」
私とシガンさんを睨みながら何も言わない月乃に痺れを切らしたシガンさんが髪飾りを揺らしながら名前を呼ぶ。
しかし月乃は無反応。
これは何か拗ねているのだろうか。
黙って睨まれている理由がわからない私は月乃のことに一番詳しいであろう二人の方を向く。
まだ喧嘩中だった。
一応ヒガンさんの方を見てみると、いつの間に移動したのかフェレスを頭に乗せて遊んでいた。
何をやっているんだ。
「何に怒ってるの?」
「………別に、怒ってない。」
しばらくシガンさんと私でぽつぽつとが話しかけ続け、ようやく小さな返事が来た頃にはすでに午前三時を回っていた。
私はヒガンさんが声がどうとか言い出した時点で割と限界だったため今本当に眠い。
「あー、月乃はお前が嘘ついたのと、それをあっさり信じたシガンに怒ってんだ。」
月乃の声を聞いたからかふと喧嘩を中断したあかねがなんて事のないように言う。
やはり月乃は怒っているらしい。
「なぁ」
「隙ありですわっ!!」
「っぶねぇな!?テメェ何しやがる!!」
何かを言おうとしていたシガンさんの声を遮り、メリーさんがあかねに向かって名前はわからないが多分プロレスの技をかけにいった。
あかねは間一髪でそれを避け、メリーさんを捕まえようと廊下に走っていってしまった。
「えーと、ごめん?」
「なんで疑問系なの!?絶対わかってないでしょ!」
「なんで怒ってるのか全く分かんない。」
フェレス分かる、とヒガンさんの頭によじ登っているフェレスにも聞いてみたが、分かんない!と食い気味に返ってきた。
「シガンさん達わかりますか?」
「つつじに怒るんは分かるけどなんで俺が怒られとるんか分からん。」
どこか不満そうな空気を漂わせながら言うシガンさんは納得がいっていないと言わんばかりに月乃に目で文句を言っている。
それをみているヒガンさんは昔雪花にも言われとったやろ、とあからさまに呆れた顔をしていた。
どことなくだれた空気が漂い始めたところで流石の拗ねた月乃も痺れを切らしたようだ。
「もぉぉぉぉー!まずつつじ!なんで思ってもないこと言うの!」
「…………一番説得力あったから……?」
別に嘘はついていない。
ただ、言い訳だった。
なんのための言い訳かは分からないが、何かの建前だった気はする。
気はするがそれが悪い事だとは微塵も思わないのだから月乃の怒りの理由なんて当然見当もつかない。
なにより眠くてもう頭が回らない。
「月乃ちゃん、つつじには多分まだ難しいで。」
「難しいってなんですか!だって、」
「つつじの顔見てみ。確実に頭回ってへんで。それに、これに関しては同じ事を何十回何百回言われとんのがそこにおるからな。」
いまだに治らへんけど、と言いながらシガンさんの方を見るヒガンさんは兄が弟を見るような、普段とは真逆な顔をしていた。
「なんねん。あんなん雪花が勝手に言っとるだけやないか。」
「事実やろ。ほれ、月乃ちゃん、シガンには思いっきり言ってええからな〜。」
フェレスを頭に乗せてあぐらをかいたままふよふよと飛んで月乃の頭上で静止したヒガンさんは楽しそうに笑っている。
「シガンさんは!なんで!つつじの嘘を!信じたの!」
泣き喚いたせいで気が大きくなっているのか、月乃はいちいち抑揚をつけながらシガンさんへの不満を叫び始めた。
喋りにくかったのか抑揚をつけたのは最初の一文だけだったが。
「つつじは優しいんだよ!なのにあんなこと言うわけないじゃん!そんな理由ならわたしもあかねもメリーちゃんも協力しないから!」
「自分の身を守る事を第一にするつつじがわざわざ体張ったんやからあんなくだらん理由なわけないやろ。そもそもそんな理由で月乃ちゃん達が協力すると思っとったお前は月乃ちゃん達をみくびっとったんや。」
なぜか月乃の言いたいであろう事を明確に伝えてくるヒガンさんはついに逆さになって浮き始めた。
フェレスが蛙のような声を出してぼてっと落ちたが見なかったことにした。
ざまぁ。
「よく分かんないけどなんかつつじに馬鹿にされた気がする……。」
「………気のせい気のせい。」
てこてこと私の膝まで帰ってきたフェレスは文句を垂れながら指をちょいちょいと動かしている。
「つつじ、つつじ、乗せて。」
「え?ああ、うん。」
フェレスを頭に乗せている間、シガンさんは納得がいかないのか月乃とヒガンさんに何か話している。
シガンさんの怒りが収まったのならもう寝てもいいだろうか。
「やぁかぁらぁ!お前もいい加減声を聞けや!」
「声ってなんやねん!」
「ふ、二人とも落ち着いて!」
何やら喧嘩に発展しそうな双子をさっきまで怒っていた月乃が諌めると言う珍しい光景が目の前で繰り広げられている。
あまりの声の大きさにあかねとメリーさんまで喧嘩を終わらせてリビングに戻ってきた。
何やらまたギャーギャーと騒いでいる。
そんなことよりも眠い。
「お前やっていもうとに心配してもらえて嬉しかったやろ!?やのにお前はわざわざ自分が嫌やと思う方を信じるんや!」
「はぁ!?嬉しいってなんやねん!俺はただあいつの言った事を信じただけや!」
「本当に信じとんならあんなもん嘘やって分かるやろ!」
「分かるわけないやろ!」
「いやお前はわかっとった!ただ自分に都合のええもんを信じられへんのや!」
だんだんとヒートアップしていく喧嘩に、普段喧嘩ばかりしているあかね達も止めに入る。
「お、落ち着けよ。」
「月乃様の前でみっともないですわよ!」
「け、喧嘩しないで〜!」
「「喧嘩や無い!!」」
しかし、その抑制もヒガンさん達には届いていない。
普段は喧嘩なんてするようには見えないが、案外そうでは無いらしい。
むしろ頻繁にこう言う喧嘩をしていそうな感じだ。
ただ、頻繁に喧嘩をしていた時には無理にでも止める人がいたのだろう。
いま、二人を止められる人間はいなかった。
そのせいで月乃達が困り果てているのを見ていたフェレスは、なんの気無しに騒がしい空間に声を投げる。
「ねぇ、喧嘩でも喧嘩じゃなくてもいいけどさ、つつじを部屋に連れてきたいんだけど。」
フェレスの声にバッと喧嘩をしていた二人を含めた全員がフェレスを見ると、フェレスが立っている指先で静かに寝息を立てるつつじがいた。