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どれだけ歩いたのか分からないが、慣れない下駄で足が痛くなってきた。
このままでは良く無いことは確かなのだが、かと言ってどうすることもできない現状。
「………どーしよっかな。」
休憩がてら手近な提灯に腰掛けて休憩をする。
動き回って疲れたし、一旦休まないと足が余計に痛くなる一方でいずれ歩けなくなってしまう。
「多分、自力じゃ出れないね。助けを待つくらいしかできることはない。」
この空間を歩き続けて導き出した結論だった。
どれだけ歩いても変わらぬ風景から自力で抜け出すのは無謀だ。
一応休憩が終わればまた歩くが、あまり歩きすぎても体力面と足の事がある手前、動きすぎることはしない方がいい。
「このまま出られないか何かが起きるのか……。出られないとなると餓死かなぁ。」
生来私にはお腹が空く、という感覚があまりない。
だから普段からついつい食事を抜いてしまうし、月乃達が住み着いてからは割と食べるようになった菓子類も以前は口にすることはそう多くなかった。
せいぜい両親が買ってきたお土産のお菓子を食べるくらい。
そのせいか、餓死というものに対する具体的なイメージが湧かない。
「まぁ、どうせ裏では食べられないんだけど。」
ぶつぶつと独り言を言っては気を紛らわせて休憩してみても精神が休まることはないまま、もう一度立ち上がりあてもなく彷徨い歩く。
そろそろフェレスが来てもおかしくは無さそうなのだが、こないとなるとやはりここは特殊な場所なのだろうか。
「いやぁ、遅くなって申し訳ありやせん。」
突然の声にバッと後ろを振り返ると、そこには茶色い毛むくじゃらが大量のお面がかかった桐箱を背負って立っていた。
「案内人さんですか。」
「案内人でかまいやせんよ。」
そこに立っていたのは猿のお面に申の腹かけをした猿のような出立ちをした案内人。
「もう二十五時ですか。」
「へぇ、二十五時はとっくに回っておりやすが嬢さんに限っては不問でやす。」
「それはまたどうして。」
案内人は近くにあった提灯に腰掛けながら私を見上げた。
いつの間にか手に煙管を持ち煙を吐き出させている。
「嬢さんは面を外されやしたでしょう?祭り会場で面を外すのは人間には危ないんでやんす。だからあっしが保護させていただきやした。」
「お面を外したことは自己責任になると思っていましたが……。」
「ええ、基本的には。ただ、嬢さんの場合は面を盗られた。困るんでやすよねぇ、毎年毎年ああして誰かしらが怪異どもに喰われちまう。」
案内人は、ここは餌場じゃねぇってのに、とぼやく。
そこで言葉を区切り、案内人はぷかぷかと煙の輪を吐き出している。
一通り煙を吐き終わると、お面の奥から強い視線を感じた。
「まぁ、そんなわけで今年からは面を盗られた者は保護することになったんでやす。勿論、時間に関しやしては保護の関係で過ぎたので不問となりやす。」
「そうですか。」
「さて、話もこれくらいにしやしょう。嬢さんも帰りたいでしょうし。」
一服が終わったのか煙管を腹かけに戻しながら立ち上がると、桐箱から何かを取り出して私に差し出す。
「提灯ですか。」
差し出されたのは持ち手のついた銀朱の提灯。
ただし周りにある提灯や行燈よりも随分と小さく、私の手のひらほどの大きさだ。
それに十五センチほどの持ち手がついた、随分と可愛らしい提灯。
「それを持って歩いていればすぐに帰れやす。返却のことはお気になさらず。極小ならば効果は一度きり。帰ったのちは煮るなり焼くなり好きにしてくだせぇ。」
「分かりました。ありがとうございます。ところで、一つ聞いても?」
「なんでございやしょう。」
「連れの怪異がいるんですが、合流する事は可能ですかね。」
「ああ、手の怪異でごぜぇやすね。ええ、ええ。あっしが遅れたのは彼に事情説明をしていたからでやす。」
案内人はええ、ええと何度も呟きながら教えてくれた。
「彼、嬢さんのいるここまで来るために空間ごと壊すつもりだったようで。それを止めて事情を説明するのに時間がかかりやしてね。いやぁ、あれは骨が折れやした!」
「なんかすいません。」
フェレスの説得でいい汗をかいていそうな案内人はなぜか清々しい風を吹かせている。
とりあえず謝っておいたが、空間ごと壊すとはフェレスは一体何をやらかしかけたのか。
「まぁ、そんなわけで彼には先に帰るよう言ってありやす。」
「分かりました。重ね重ねありがとうございます。」
胡散臭いという印象は最後まで変わらないが、色々とお世話になったのでしっかりと頭を下げておく。
「いえいえ、ぜひ来年もいらしてくだせぇ。嬢さんなら歓迎しやす。」
案内人も桐箱を背負ったまま頭を下げ、お互いに頭を下げ合う形となる。
顔を上げるともうそこに案内人の姿はなく、赤い提灯やら行燈やらが並ぶ空間に私一人が立っていた。
「さて、帰りますか。」
私は貰った提灯を片手に歩く。
これでそのうち帰れるはずだ。
しばらく歩いていると、だんだんと頭と足が重くなっていく。
歩く速度がだんだんと落ち、足が上がらなくなってくる。
少しずつ息が上がり、ついに私の視線は地面に落ちた。
チリン
どこかで鈴の音がした。
「つつじぃぃぃ!!」
「うっるさ。」
聞き慣れたフェレスの声が鼓膜を突き刺してきた。
私は提灯を持っていない方の手で耳を抑えるが、フェレスに気にした様子はない。
私は一旦フェレスを無視してどこに出たのかを確認する。
場所は夏祭りが行われていた小学校の祠。
時計がないので詳しい時間はわからないが、まだ暗いのを見ると夜中だろう。
「本当にびっくりしたんだよ!突然知らないところに連れてかれるし気づいたらつつじの気配が無くなってて、いつはのヒモがなかったらどこにいるかわかんなかったもん!」
「あー、でもそこらへんのことは聞いたんでしょ?」
私は即座に頭の上に飛び乗ったフェレスを引っぺがしながら会話をする。
「うん。聞いた。」
「なら説明はいらないね。それより、シガンさん達は。」
「まだ合流してない。」
「もう帰ったかな。」
「さぁ。すまほは?」
フェレスに言われ、私は浴衣の袂を探る。
裏では使えないが、ここでは使える。
スマホを見ると、いくつか通知が来ている。
「月乃からだね。」
「月乃ちゃんとシガン以外持ってないもんね、それ。」
月乃からのメッセージを開くと、明らかに月乃ではない誰かが書いた文章が出てきた。
多分スマホを持っていないヒガンさんだろう。
私とフェレスは歩きながら一緒にメッセージを覗き込んだ。
『シガンはあんばいようなだめといた。月乃ちゃん達回収して先に帰んで。せやけど多少怪しまれてるから気ぃつけろ。』
「もしかしたらもう全部シガンさんにバレてるかもね。」
「そうだね。でも僕はそろそろ潮時だと思うよ。」
そう、とそっけなく返したのが良くなかったのだろうか。
フェレスは今までに聞いたことのない声をしていた。
「『そう』じゃないよ。僕言ったよね、もしもの時は話すって。」
「今がそのもしもの時だと?」
「今というか、絡繰のあたりから。つつじと別れた時点で僕はもう話そうかと思ってたよ。」
「心配症だねぇ。」
「つつじには言われたくないよ。シガンは十分強いんだから。自衛手段がないつつじと月乃ちゃんが巻き込まれた方が色々危ない。」
「まぁ、その話は一旦おいておいて、他のメッセージを見ようよ。」
長くなりそうなフェレスの話を切り、別のメッセージを開く。
フェレスはまだ何か言いたそうだったが、大人しく黙ってくれた。
もう一つのメッセージ、これも月乃からだが、やはり書いたのは月乃ではないのだろう内容。
メッセージを開く時に丁度トンネルに差し掛かったせいでブルーライトが目に痛かった。