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「……時間、時間大丈夫ですか。」
「時間?」
ようやく絞り出した声に立ち止まったシガンさんは、お面のついた顔を傾げながら懐中時計を取り出した。
「今は……」
キョー!!キョー!!キョー!!
ちょうどシガンさんが懐中時計を開いたところで二度目の騒音が鳴り響いた。
どうやら裏の時間で五分が経過したらしい。
「るっさいな。」
キョー!キョー!!キョッガチャッ!
思い切り懐中時計の蓋を閉じて黙らせたシガンさんはお面越しにも分かるほど嫌そうな雰囲気を醸し出していた。
騒音嫌いなのだろうか。
「あー、時間的に戻れるか怪しいな。」
もう一度懐中時計を開けて時間を見ながら苦々しく告げたシガンさんに月乃が子供のように言った。
「リンゴアメは!?」
「ちょっと怪しいかもな。」
「オレがとってこよか?」
ここぞとばかりにヒガンさんが名乗り出たが、話はそう上手く転ばなかった。
「でしたらわたくしとあかねが行きますわ!」
「待て。俺らは裏からの出方を知らねぇんだ。出方が分かってる奴が行くべきだろ。」
「まだ時間あるならわたしが走るよ。」
どうにも上手く意見がまとまりそうに無い。
「もうみんなで急ぐか?どうせ間に合わんでも出れるし。」
「あかん。お前今回で三回目やぞ。」
「やけど月乃さん達巻き込む訳にいかんやろ。」
「あかん!」
シガンさん達の方でも意見が割れ始めている。
どうにかしないとこのまま二十五時になってしまいそうな勢いだ。
「つつじ、どうするの?」
「どうするのって言われてもねぇ。………シガンさんを先に出したいのは山々なんだけど、シガンさんだけ出す訳にもいかないし。」
シガンさんだけ先に裏から出しても、出た先で待ち伏せされていたら元も子もない。
シガンさんが出る前に一人、ヒガンさんかフェレスを出しておきたいのが本音だ。
今この場で怪異達が全員林檎飴を取りに行くと言い出されるとフェレスを先に出す口実が作りにくい。
かと言ってここでシガンさんを戻らせる訳にもいかない。
特にシガンさんは時間が怖いのだ。
できるだけ早急に裏から出ていただきたい。
ただ、出ていただく前にヒガンさんかフェレスを先に送り込みたい。
しかし、ここからの出方を知っているのはヒガンさんとシガンさんだけ。
これによりあかね達が林檎飴を取りに行っている間にシガンさんとヒガンさんに出てもらうことが出来なくなっている。
え〜と、つまり……。
「ヒガンさんが林檎飴を取りに行くのが一番安全では?」
この方法だとフェレスを先に出しにくい気もしないでも無いが、出方がわからない以上誤魔化しが効くかどうかは賭けだ。
「せやな。俺は出方が分かっとるし時間来ても大丈夫や。」
「でも、忘れもんしたのは月乃さんやろ?しかも忘れたんは色で買ったもんや。色の違うお前が行っても渡してくれるか怪しいで。」
首を斜め三十度ほど傾けながらシガンさんがまぁまぁな正論を言い出した。
確かに、持ち主確認は有りそうだな。
「同じ色の奴が行けばいいんなら俺かメリーがついていくか?」
「ええんとちゃう?顔くらい覚えとるやろ。なんせ、ハズレ引いた月乃ちゃんの連れやし。」
「は、ハズレはもうほっといてよ!」
月乃が大声で言って拗ねるのを楽しそうに見たヒガンさんはケラケラと笑いながら揶揄うように月乃の頭上を浮いている。
「分かった。んなら、俺らは先に出とるでな。ほなら行くで。」
「はーい。」
明るい月乃の声と共に二手に分かれ、私達は当初の目的通り行燈のあるあの正方形の空間へ向かう。
林檎飴を探しに行ったのはあかねとメリーさん、出口担当のヒガンさんだけなので今ここにいるのはそれ以外の三人プラス一つだ。
「ついたな。」
雑談を交えながら歩いていると、途中また懐中時計が騒がしく泣き叫びながらもすぐに行燈の場所にたどり着いた。
道中は相変わらず違和感が過重労働をしている複雑な路地が続いていたが、なんとか辿り着けて良かった。
「んじゃ、早速帰るか。誰から行く?」
「そもそもどうやって出るんですか。」
私はもう自由に行き来できるようになった正方形と路地の境界を跨ぎ行燈の前にかがみ込んだ体勢のまま、立っているシガンさんを見上げる。
肝心の行燈の上にはフェレスが、私のすぐ隣にはまじまじと行燈を観察している月乃がいた。
「出方は簡単やで。ただ行燈に触れて目を瞑るだけや。」
「簡単だねー。」
「やってみるか?」
「うん!」
そう言って月乃が行燈に触れようとした、その瞬間。
「シガン、お前らすまん!!」
「は___?」
どここからか目にも止まらぬ速さで降ってきたのか走ってきたのか飛ばされてきたのか、ヒガンさんが早口に何かを叫びながら出現した。
誰も一言も言えない内に、ヒガンさんはシガンさんを巻き込んでフッと消えてしまう。
ヒガンさんの姿はもちろん、一緒に消えてしまったシガンさんの姿も無い。
「え、何今の。」
真っ先に正気を取り戻したフェレスが困惑しきった声で呆然と行燈を見下ろす。
それを見てようやく冷静さを取り戻してきた。
「ヒガンさんが出てきてシガンさんと消えた……?」
「い、いま、ヒガンさんが上から降ってきて、そのあとなんか謝りながらシガンさんの背中を押してソレに触ってたんだけど……。」
「よく冷静にそこまで見えたね。」
私は全く見えなかった。
声がしたと思ったら二人とも消えていた。
「いや、ふつうに見えたけど。」
「動体視力どうなってるの。」
「僕も見えはした。ただどうしてああなったのかが全くわかんない。」
「というかあかねとメリーちゃんは?一緒じゃないのかなぁ。」
「そういえばそうだね。」
月乃の言う通り、ヒガンさんと一緒に林檎飴を取りに行った二人の姿は見当たらない。
一緒にいなかったのだろうか?
「いや……二人は今近づいてきてる。あと五歩くらい。」
「月乃!」
「月乃様ー!」
フェレスが言い終わるのに被さる形であかねとメリーさんの声が正方形の中に響き渡った。
声の方を見ると、やけに必死そうな顔をした二人が息を切らせて立っている。
この二人が息を切らせているのを見るのは何気に初めてかもしれない。
呑気な事を考えている場合では無いのだろうが、一気に色々と起こったせいで飲み込みが追いついていない。
私の脳内はすでに消化不良を起こしていた。
しかし、そんな私にも容赦なく呑気な事を考えてはいられない情報が叩き込まれた。
「実家の人間ですわ!」
メリーさんの一言で事情を察した私とフェレスは即座に頭を抱えた。
事情を察することが出来なかった、もとい色々と知らなかった月乃はポカンとしている。
今ばかりはその能天気そうな顔が羨ましい。
できれば知りたく無い情報だった。
「さっさと出ようか。」
「そうだね。」
私とフェレスは“即座に裏から出る”と言う判断をした。
ここにいるのは随分と危険だ。
それと同時にヒガンさんがシガンさんだけを連れて先に出た理由もよく分かった。
「ソレが出来ねぇんだよ。」
「どうして?」
何事もない内に帰ろうと行燈の方に体を向けたあたりであかねに止められた。
お面越しに見えるあかねの顔はカカオ八十パーセントのチョコレートを食べた月乃の顔に似ている。
「細工、その絡繰とやらだけじゃ無かったんだよ。」
「それと今ここから出ない事、関係があるの?」
「大アリですわ!」
「ちょ、ちょっと待って、なに、さいく……?とかからくりって……。」
何が起こっているのか微塵も理解できていない月乃が頭の上に特大のクエスチョンマークを浮かべているが、どうせ後で説明するので一旦宥めて移動しながらあかね達の話を聞くことになった。