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「せや、つつじ。」
出口に向かい始め、五分ほどしたところだった。
何の前触れもなくヒガンさんが横目で私を見て言う。
足は止めないまま、普段の無邪気さを捨て去った真剣な瞳が私を見ていた。
「今後実家に行く事があれば、お前も連れて行かんといけんくなる。そうや無くても、実家のがお前んとこに行く事もあるやろうな。」
「それがどうかしましたか。」
二人の実家に行く事なんてまぁ無いだろうし、実家の人に関しては既に何度か会っている。
注意にしては随分と不確定で今更なものに思えた。
そう思われる事がわかっていたのか、ヒガンさんは緩く頷きながら目を前に向ける。
「そん時、絶対にあいつらを信用すんな。特に本家は。」
つめたい、冷たい声。
そしてどこまでも熱の篭った声。
その異質な迫力に思わず隣を見ると、思いの外無邪気な目が前を見ていた。
「……分かりました。」
私の返事に普段通りの子供のような笑顔を向けるヒガンさんを見て、私はお面の中で目を細める。
相変わらず、子供のような人だ。
興味が無い分家にはさした興味も見せず、嫌いな本家が関わるのならどこまでも冷たい空気を出す。
好き嫌いの激しい人。
ヒガンさんが本家をどう思っているのかなんて全く分からないのに、何となしにそう感じた。
「着きました。」
また五分程歩くと、先程の正方形の空間に戻ってくることが出来た。
道が合っているか随分と不安だったが、何とか間違えずに歩けたようだ。
「あれがヒントの提灯です。」
私は頭上で柔く周辺を照らす黄色の光を指さしてヒガンさんに示す。
ヒガンさんは顎に手を当てて見えない壁と提灯を観察していた。
邪魔しても悪いので私は黙って成り行きを見守る。
その間、黙って正方形の中の行燈を見つめていた。
「おん、間違いなく実家連中やな。」
顎から手を離したヒガンさんが月乃に結われた髪を揺らしながら私を見下ろして言った。
「絡繰解けそうですか?」
「どうやろ。とりまヒント見るか。」
そう言うと、ヒガンさんはいつもの様にふよふよと中を漂い始めた。
さっき月乃達と合流した時も浮いているのを見ていた私は驚く事も無くその様子を見ている。
そもそも相談もなしにヒガンさんとフェレスを入れ替えたのはヒガンさんが裏夏祭りでも浮ける事を知ったからだ。
浮けるのであれば、あの提灯に触れて周りの提灯で照らす事ができる。
「暗いなぁ。つつじ。」
「はい。」
「上から猿、鼠、蛇、玄武、羊、馬、虎、朱雀、牛、龍、猪、白虎、兎、犬、鳥、青龍やな。」
ぽんぽんと動物の名前を言われ、脳内で混乱の波が押し寄せてきた。
必死でできうる限りの名詞を頭に叩き込むが、いくつかは聞き逃してしまう。
「も、もう一回お願いして良いですか。」
「ん?バラバラな干支プラス四神やで。」
「そのしじん、というのは……?」
「玄武とか朱雀とか聞いた事無いか?」
「あー……。」
何かの本で読んだ気がしないでも無い。
何かの本で読んだ方角やら季節やらで四体いる神獣の名前に朱雀やら玄武やらがあったかもしれない。
あれは四神というのか。
初めて知った。
「んで、あれが絡繰やな。」
私が新しく得た知見をみて感信じている間に、ヒガンさんは透明な壁に手を当てたりコツコツと音を立ててみたりしている。
「分かったで。」
「……早いですね。」
ニタリと不敵に笑うヒガンさんはあっさりと私とフェレスが手も足も出なかった問題を解いたらしい。
私は四神すら知らず、スタート地点にも立てなかったというのに。
……若干思うところが無いでもないが、解けたのならばそれが一番だろう。
知らなかった事は仕方がないし。
そう自分を納得させておいた。
「解き方教えてもらってもいいですか?」
「知りたいなら教えたんで。」
そう言うとヒガンさんはもう一度透明な壁に触れ、とある四ヶ所を一ヶ所ずつ指で突く。
一ヶ所は普通にこつり、と爪で弾いたような音がした。
これがどうしたのかと見ていると、ヒガンさんは別に場所を同じように指で突いた。
するとどういうわけかちりん、と小さく鈴の鳴るような音がする。
さらにもう二ヶ所を突くと、ここも同じように鈴の音がした。
「これが‘方角’や。普通の音んとこは目印やろ。んで、ここに方角入れるだけっちゅうお粗末な絡繰やで。」
ヒガンさんはそれだけ言うとあっさりと説明を終わらせてしまった。
干支と言う要素からして方角が出てくる事は予想ができる。
四神にも方角という要素はあった。
それを覚えていない私にはこの絡繰は解けなかった、という事は分かった。
「目印、というのは‘北’のことですか?」
「せやな。」
ヒガンさんは私の質問に答えながらも、こん、ちりん、こん、と不規則に壁を突いている。
「干支の方角や四神の事は覚えておいた方がいいですか?」
「………せやなぁ。また絡繰箱使われたら敵わんし、覚えときや。ええか?干支の方角は鼠を北にしてあとは時計回りに置いてくだけや。四神は……。」
ヒガンさんが絡繰を解きながら教えてくれるが、全く頭に入ってこない。
せいぜいが干支の方角の覚え方だ。
意外と単純なのだと今知った。
「だから四神の強さは……っと、開いたな。」
私の頭が本気で理解を拒むより前に絡繰が解けた為どうにか四神の解説講座が終わった。
試しに壁があった場所に手を当てようとしてみたがそこには何もなく、ただ私の手と浴衣の袖が空を切っただけだ。
本当にこの短時間で絡繰を解いてしまったらしい。
「この灯籠が出口ですよね。どうやって出るんです?」
「帰る時でええやろ、その説明は。それよりはよシガンら連れて帰んで。」
いつもマイペースなヒガンさんには珍しくどこか慌てたような顔をしている事に今気がついた。
ヒガンさんは、今確実に何かに焦っている。
「時間が、近いですか?」
早足で細い路地を進んでいくヒガンさんの背を追いながら聞く。
実家の人間が裏にいる可能性が限りなく低い以上、焦る理由はそれくらいしか思いつかなかったのだ。
しかし______
「ちゃう。おんねん。」
何が、と聞く前にヒガンさんが一息に言い切る。
「実家の連中が。」
重々しく響いたその言葉は、暫く私の耳を反響していた。
水の中で聴いた音のようにぼんやりと、でも確かに響く。
「………今、あの人達大丈夫ですか。」
「分からへんけど、俺がおる時は様子見しとるだけやった。シガンも気付いてへん。」
「離れて良かったんですか?」
見張られていたと言うのなら、最初から私とフェレスで他の出口を探すか全力で灯りを探すかしたというのに。
少なくとも、シガンさん達からヒガンさんを離すという選択はしなくて済んだ。
「さぁな。吉と出るか凶とでるか、これから見にいくんや。」
言い終わらないうちに歩く速度を普通に戻したヒガンさんは振り向いてこちらを見た。
その顔はどこかワクワクして見えたが、それ以上に焦りが見える。
「こっからは見られとる。まだバレてへんと思わせながら行くで。」
「分かりました。」
どうやら監視圏内に入ったらしい。
聞きたい事はまだまだあったが、聞いている場合ではなさそうだし、とりあえずはシガンさん達と合流して帰るのが先だ。
聞きたい事は後々聞こう。
「おっ!シガ〜ン!」
ヒガンさんはいつも通りの無邪気な声で何かの屋台を見ている月乃達に近寄っていく。
私もそれに続き、自然な感じで輪に入る。
「千本引きできたの?」
「二回目は駄目だった。」
本気で残念そうにしているフェレスを見て、こいつ本当にただただ千本引きをしたかっただけじゃないだろうな…、と言う疑惑を抱いたのはまた別の話だ。