選択肢の物語
暗い。暗いというより、黒だ。目の前に裂かれた2つの道の行く先は、黒く塗りつぶされている。
どちらかを選ばなければならないし、選ぶこと意外に出来ることは無い。停滞は死だった。
てるてるぼうずのような形状に、関節が複数あるようなでこぼこした腕が2本伸びている。先端に手指は無いが、地面につきそうなくらい異様に長い。頭部は瓢箪のような形で、そのてっぺんに、ぷくりと吹き出物のように膨れ上がったまん丸い目が1つ付いている。ギョロギョロと落ち着きなく動き周り、見ているのか、見ていないのか視点が定まらない。さらに口に当たる部分は左右に突出しており、錨と例えて良いほどに出っ張っている。不気味なのは、その頭部から受ける印象が笑顔に見えてしまうことである。何も笑う要素が無い状況下で、その表情は薄ら寒い。
スカート状になっている身体部分はアメーバのように半透明で、澱んでいる。青や黄色の色彩が滲む中に、初夏に蠢くタカラダニのように赤い斑点が泳いでおり、遠目にみると一見美しく感じ無くもないが、近づくとそれは色彩をもったカビのように嫌悪感を頂かせる。
総じて気色が悪いその何かが、2つに裂かれた選択肢の前で行ったり来たりをしていた。もうどのくらいそうしているのか分からないが、背後に広がる黒が迫ってきていたので、ふいに一方を選び進み始めた。ナメクジが這った後のように、粘液のようなものが通り道にへばりついている。しばらくいって、ふと振り返ると、その濁った粘液の中から、何かが蠢き、盛り上がり始めた。モゴモゴと色彩が攪拌されながら、地面からある程度の高さまで盛り上がると、その頂点からボコっと、腫れ物のような突起が突出し、そこに粘り気を伴って一筋の線が入ったかと思うと、糸を引きながらビクついた目玉が顔を出した。
瓜二つのそれは、先を行くものに背を向け、道を引き返すと、迫る黒に飲まれる寸前でもう片方の道に折れた。
先のものは、後のものが生まれる一部始終を立ち止まって見ていた。後のものがこちらを一瞥もせずに、別の道を進んでいくのを張り付いた笑顔で見ていた。塗り替えられた己の道筋が、遠目にみるとテラテラと光って見えた。
両者の道はしばらく並行に並んでいた。選択の場所から今や遠く離れ、前方にも、背後にも黒が立ち上がるばかりだった。対岸に後のものが見えるが、その境は黒で断絶されている。先のものは、対岸を進む後のものにギョロギョロと視線を送っていた。が、後のものは一向にこちらに視線をよこさなかった。
いつからか、道との接地面に違和感を感じている。チリチリとというか、ザラザラというか、妙に進みにくい。そして、しばらくすると、その感触は明確に痛みを伴ってきた。触れすぎたものが傷ついてしまうように、最初は奇妙な触感で弄んでいたものが、今は明確に身を削る痛みが走る。
対岸にいる、後のものを見てみる。痛みを感じるそぶりは見られない。むしろ張り付いた笑顔は、意気揚々という風に見える。こちらが間違った方を選んだのかもしれない。先に進もうにも、道との摩擦が痛く身動きがとれないが、かといって立ち止まっても黒に飲まれる。
しかし、対岸にいる後のものはなぜ一度もこちらを気にしないのか。何も問題が無いのか。同じ姿形をしているのに……。と、そこで気がついた。後のものが徐々に大きくなっている。ともすると、こちらの2倍以上に大きくなっている。──なぜ? こちらの道に無いものが、あちらにはあるのかもしれない。こちらの道には何も無かった。やはり選択を誤ったのか。運が悪いことに。
背後の黒が迫っている。立ち止まっているといずれ死ぬ。先のものは、道との摩擦に苦しみながら、しかし張り付いた笑顔で体をねじらせながら進んだ。痛い。痛い。どこまでいっても痛い。進めばどこかで道が開けて、この痛みもやわらぐかと思ったが、痛みは増すばかりだ。それどころか、対岸の後のものがこちらの苦しみを余所にさらに大きくなって、もはや10倍はあろうかという大きさになっている。相変わらずこちらに目を向けることは無く、後のものはただ前だけを見ていた。こちらも、もう対岸を見ることに怯えるようになっていた。さらに大きくなっていく後のものを見たく無かったし、また こちらを見つけられたくもなかった。そして、ついに摩擦の痛みに耐えかね足を止めた。
選ぶ道を間違った。あちらを選んでいれば、今やあれだけの大きさになって、前だけを見て進んでいけたのに。進むことを諦めた先のものは、半透明だった体がさらに濁り、淀み、色を落としていく。もはやこのまま、背後に迫る黒に飲み込まれることさえ待っていられない。しぼみ、老いた体で、それでも笑顔が張り付いていることに耐えられない。いま、いますぐに、この道から外れたい。痛みが麻痺してもはや感触がない。先のものは道の端に広がる黒に足をかけ、力尽きるように落ちていった。
先のものが落ちていく中でかろうじて目の端でとらえたのは、2つに裂かれた道の前で立ち止まっている後のものだった。