チキンハート 1/20
参考書籍
A・ブッチャー 氏 著 プロレスを10倍楽しく見る方法
不知火 京介 氏 著 マッチ・メイク
井上 譲二 氏 著 昭和プロレス版 悪魔の辞典
参考サイト
ミック博士の昭和プロレス研究室
世界有数の視聴数と観客動員数を誇るプロレスリング興業組織、UFEI本部の次期イベント企画会議は神妙な空気に包まれていた。背広組のトップ、オール・インベイトは手にしたファイルを振りながら言った。
「アレックス……アンタは確かにウチの団体、いや、業界全体に多大な貢献をしてくれた重鎮だ。それは認める。アンタの発言は業界としても無視はできない。それも分かっている。個人的要望にもできうる限り応じるのがこの業界の仁義ってもんだ。特にアンタほどの実力者は団体としても敬意を払うべきだとも思う」
インベイトの諭すような口調に、対面に座る往年の名レスラー、アレックス・ホワイトハートは落胆の色を隠せない。インベイトは続ける。
「しかしこれはいくら何でも無理ってもんだ。私はアンタのためにも言ってるんだ。そりゃアンタのことだ。子供の頃から厳しく技術を叩き込んではいるんだろう。でも人には向き不向きがある。まあ背は高いし顔もアンタに似ず男前だから女の子にはキャーキャー言われるだろうが。しかし線が細すぎる。筋肉に押し出しもない。今時200ポンドもないんじゃ話にならない。この世界、ルックスだけじゃ通じないってのはアンタが誰よりも知ってるはずだ」
左右に座る役員たちも賛同の頷きで無言の同意を示すなか、アレックスは頼りなくも食い下がる。
「それは……分かってる。だが、俺が言うのもなんだが、あいつには天性の才能があるんだ。そりゃメインを張るのは無理だろうが、観客のハートをとらえる力は充分あると思う。ライセンスだって取得済みだし柔軟性もある。試合に耐えうるフィジカルは保証する。俺だって別に親バカでアンタにこんなことを頼んでるわけじゃないんだ。実力があるからマッチメイクしてくれって言ってるんだ」
数十年も激闘を続け、多くのファンを湧かせたかつてのレスラーは老いたりとはいえ、その眼光は衰えてはいない。しかし、さすがに我が子の話となると臆病にもなる。インベイトは眉間にシワを寄せて首を振る。
「そう言われてもなあ……アンタがそこまで言うんだから大した才能なんだろうが、才能だけじゃ食っていけないのはアンタだってよく知ってるだろう。特に今はパワーファイトの時代だ。選手寿命も極端に短くなっちまってる。そりゃ選手の確保は喫緊の課題だが、だからといって事故でも起こっちゃ元も子もない。それとライセンスはあまり意味がないのもな。今更言うことでもないが。とにかく、それほどの才能があるんならアスリートかオリンピアンでも目指すことを勧めるよ」
「それはもっともだが、UFEIのリングに立つのはあいつの長年の夢だったんだ。俺もこんなだから息子の気持ちはよく分かる。息子の夢を後押ししてやりたい親心が分からんアンタでもないだろう」
「分かっているよ。分かりすぎるほど分かってる。特に義理堅いアンタのこと、その気持ちにも応えたいさ。でもな、世の中ビジネスなんだ。それはウチだって例外じゃない。客の呼べない商品をあれこれ棚に並べる訳にゃいかんのよ。観客の好みも昔とは違ってきている。派手で分かりやすくて、華があるのが第一なんだ。高い技術なんか見向きもされん。一部の物好き以外はな。アンタの息子にそれができるかい? この息子さんの才能と技術を活かせるアングルが組めるかい? 申し訳ないが、私には思い付かん。せめて売り出し方をワンセットで用意してくれないとイベントは打てんよ。よしんば打てたとしても持って1年だろう。1年で飽きられるか、大事な息子さんが半身不随になるかだと思うがね。そういうわけで、ウチではこの息子さんとの契約はできない。済まないと思うが、分かってくれ」
そう言ってインベイトは手にしたファイルをデスクの上に置いた。そこには一人の青年の顔写真とプロフィール。そしてネーム欄には「マックス・ホワイトハート」と、書かれていた。