まさかの遭遇②
険しい顔をして受話器を置いた日和の顔を、隣の席に座っている一年先輩の山岡が覗き込んだ。
「大丈夫? 何か問題?」
「いえ。カラさんがロビーにいらっしゃったようなので、ちょっと行ってきますね」
日和は慌てて笑顔を取り繕った。亘と出会って以来、酷使し続けている頬の筋肉が痛い。
「はーい。いってらっしゃい」
山岡は呑気な笑顔で手を振った。
「遅い」
ロビーのシンプルな待合用ソファーに優雅に腰かけ、周囲の注目を当たり前のように集めながら待っていた亘の一言に、日和は人生二度目の怒りによる眩暈を覚えた。歩いている途中だったので、わずかに身体がよろめく。するとあの傲慢な亘の目に気遣うような色が浮かび、腰を上げかけた。
「あ、大丈夫です。軽い立ちくらみですから」
亘の反応に少し驚きながら日和が言うと、何事もなかったかのように澄ました顔をして腰を下ろし、長い足を組む。
「立ちくらみっていうのは、立ち上がったときに感じるもんだろ? 今、歩いていたじゃないか」
鬼の首を取ったような勝ち誇った顔で突っ込む亘を見て、お前のせいだとも言えず、日和は深い疲労感を覚えた。
「――立ちくらみに近いもので、別に心配するほどのものではないって意味です」
精神的な面では心配だけど……と、心の中で付け足した。
「別に心配なんてしてない――いや、心配だ。週末も付き合ってもらう予定なんだから」
「でも、もう引っ越し先で暮らしているんですよね? とくに不自由を感じているようには見えませんし、もしかして揃える必要はないんじゃないですか?
もしくは不自由を感じたら少しずつ買い足していくっていう方法もありますよね。むしろその方が無駄がなくていいかも。家電ってけっこう電気代かかるし。
どうしても揃えたいっていうなら、お店に相談すれば新生活セットみたいなものを提案してくれますよ」
感情を交えず、あくまで事務的にそう説明する。
(仕事。これは仕事だと思えばいいのかもしれない。特別手当ては出ないけど、でもこれはせめて仕事なんだと思えば多少はこのイライラも収まるかも……。これは、しご――)
しかし亘は日和の言葉などまったく聞いていなかった様子で、いきなり日時と場所を指定してきた。
「明日土曜日の午前十時。『新宿の目』の前で」
「え。あれは背後から見つめられる気がしてちょっと怖くて苦手なので――というか、池袋にしてください。私はそっちのほうが楽なので。家電なら新宿より池袋のほうが良いと思うし」
「俺んちからだと新宿のほうが楽なんだ。そんなに池袋がいいのなら、一緒に移動すればいいだろ」
「なんでわざわざ私が新宿まで迎えに行かなくちゃならないんですか。買い物を手伝ってあげるんだから、少しは私の都合に合わせてください」
「いやだ。新宿がいい」
「ああそうですか。なら、行きません。私だって週末は忙しいんです」
日和の頑なさは予想外だったのだろう。驚いたように、亘は目を見張る。
「なん……じゃあ仕方ないな。そんなに言うなら、池袋にしてやろう」
それでも顎を反らして不遜な態度で言い放つ亘を見て、どうしてそういちいち突っかかるような言い方しかできないのか――と呆れつつ、やっと手にした小さな勝利で心を鎮めた。
そのとき、
「松坂さん!」
と、アニメのヒロインのようなかわいらしい声がロビーに響いた。
商品開発室で事務をしている新入社員の峰岸だ。セミロングの髪はふんわりとウェーブがかかっていて、柔らかそうな栗色をしている。彼女が日和の目の前を通り過ぎたとき、甘いコロンの香りが濃厚に漂ってきた。思わずむせそうになり、慌てて息を止める。
「あの! 光森からの書類です。打合せのとき、渡し忘れてしまったようで」
頬を赤らめてうっとりと見つめる峰岸に、亘は日和が見たことのないさわやかな笑みを向けた。
「ありがとうございます。助かります」
声のトーンも落ち着いていて、あの横柄な態度は微塵もない。
唖然として見上げる日和にちらりと視線を向けた亘の目に、バカにしたような色が浮かんでいるのを見て、悔しさから鋭く息を吸った。