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子猫と一緒に③

「……でも、来週から大変ですね。昼間は仕事に行ってるんだし」


「それなんだよな。今までは帰国直後でいろいろ準備しなくちゃいけないことがあるから……ってことで大目に見てもらえていたけど、そろそろその言い訳も通らなくなるだろうし。こいつの体調が安定するまで、会社に置いておいてもいいか聞いてみる」


 驚いた日和は、即座に頭を横に振った。


「会社はダメでしょう」


「いやいや。社長は動物好きだし、以前も病気になった犬を家に一匹置いておくわけにはいかないからって人が連れてきたこともあったらしい。許可を得るまでは、とりあえず病院に預けるしかないが」


 言いながら、亘は手を洗うために洗面所へ向かった。彼に言うともなく、日和はつぶやく。


「へえ。珍しいですね。……いいなぁ」


 少しうらやましく感じる。日和が住んでいるアパートはペット禁止だから、なかなか動物と触れ合う機会がない。トイレの前で自分の排泄物を片付ける亘をずっと見つめていた子猫が、日和のほうへよたよたと歩いてきた。そして、膝によじ登ろうとする。


「ふふふ。いらっしゃい、バニラ」


 とたんにとろけた表情で子猫を抱き上げた日和に、亘は憮然とした顔をした。


「殿下だ、って言ってるだろう。――おい、殿下。こっちに来るか?」


 亘は日和の目の前に座り、彼女の膝の中を覗き込んでそっと手を伸ばした。子猫はちらりと亘を見たが、構わず日和の膝に頭をすりつけている。日和がどや顔で亘を見た。


 ゆっくり優しく撫でられるうち、子猫は安心したように眠り始めた。病院で飲んだミルクのおかげで、お腹はパンパンだ。子猫は眠ったまま、日和の膝から動こうとしない。その身体に手を伸ばし、小さな頭を指先で撫でながら、亘が顔を上げた。


 どや顔をされて悔しそうに歪めた顔は、今は嬉しそうに柔らかな笑みを浮かべている。整った顔立ちをすぐ目の前にして、日和は少しドキリとした。


(顔だけはいいんだよね、本当に。残念なイケメンってこういう人のことを言うんだろうか)


 そんなことを考えたとき、玄関のチャイムが鳴った。少し遅れて到着したピザの配達員だ。音に驚いて、子猫が顔を上げた。


「びっくりしちゃったねー。寝てても大丈夫ですよー」


 猫なで声で語り掛ける日和に顔をひきつらせ、亘は玄関へ向かう。


「この子が口にしないように、手の届かないところに置いてくださいね」


「分かってるよ、それくらい。……ったく、姉さんみたいに口うるさいな」


 弟を甘やかすだけの上司と一緒にしてほしくないと思い、日和は言い返す。


「亘さんは私の弟以上に手がかかります」


「なっ――失礼な奴だな! 弟は何歳なんだよ」


「高校三年と大学二年です」


「じゃあ髭が生えてるな。だったら十分に大人だ。俺と同列に属すると言ってもいい」


 亘は大人げない台詞を言い放ち、彼女の呆れ顔を一瞥してソファーの前のテーブルにピザの箱を置く。


(そういうところが子供だっての)


 日和は心の中でつぶやき、ピザの匂いに鼻をひくつかせる子猫を撫でた。


移動で疲れたのか、それとも慣れない場所に緊張して疲れたのか。再び寝入った子猫を、日和はペット用クッションに横たえ、フリースを上からかけた。


「それで。初めて会ったのって、いつですか?」


 ピザを食べ始めてから、日和が尋ねた。傍らにはジンジャーエールのペットボトルが置いてある。前回の酔っ払いに懲りたのか、今回は酒類は勧められなかった。亘は先週と同じ銘柄のビールを飲んでいる。 


「たいしたことじゃないけど」


 そう前置きをした亘は、柄にもなく照れたような顔で説明を始めた。


******************


 ――物心ついた頃から、女子にちやほやされていた。それはもう、鬱陶しいほどに。


 今とは打って変わって大人しく、人見知りで友達を作るのも苦手な美少女だった姉は、まるで人形のように弟を溺愛していた。


 どこへ行くにもつねに弟と手をつないで連れ歩き、かいがいしくその世話を焼く。


 そのうち近所でも秒版の美少女・美男子として名をはせた松坂姉弟は、日に日にファンを増やしていった。


 成長するにつれて道を歩けばスマホでこっそり盗撮され、学校では彼に憧れている女子によってときどき持ち物がなくなった。女子に人気のある亘に対するやっかみから、男子はみんなからかってくる。


 おかげで当人からすれば、モテているというよりはいじめられているといった感覚のほうが強かったかもしれない。


 中、高と進学するにつれてその傾向は強くなり、だんだん人嫌いになっていった。


大学卒業後は、かねてから興味のあったプロダクトデザイン関連の勉強をするため、アメリカの州立大学のアテンションコースへの一年間の留学をすることにした。アメリカなら背の高い者も多いし、アジア系はあまり目立たないだろうと高をくくっていたのだ。


 しかしなぜかここでもやたらと興味を持たれ、しかもアプローチをかけてくる人々はみんな日本の女性より大胆だった。ボディータッチどころか急所をいきなりつかんできた女性もいたし、部屋を訪ねてきた女性がコートを脱いだら全裸だったこともある。


 日々干渉されることが嫌になり、一か月過ぎた頃からわざとむさくるしい姿をするようになった。


 今にも臭いそうなほどに着古された服、髭と髪も伸ばしっぱなし。


 毎日きちんとシャワーを浴びてはいたが、見た目があまりに汚かったおかげか、言い寄る女性はいなくなった。


 その状態で日本に帰ってきたら、利用する駅ではほぼ職質されるし、すれ違う人もかすかに眉をひそめて亘を大きく迂回して歩いていく。


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