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二日酔いの日曜日⑥

 すると獣医師は柔らかく微笑み、

「約束はできませんが、全力を尽くします。では早速預からせていただきますので、連絡先などの必要事項を受付で記載してください」

と言って、そばに控えていた若い女性の看護師に目で合図した。すると彼女は傍らに置いてあったタオルで仔猫を包み、診察室の奥へと向かう。


 扉が閉まると同時に、仔猫のかぼそい鳴き声が聞こえなくなった。その扉の向こうを、亘は不安な面持ちで見つめている。


******************


「猫ちゃん、助かるといいですね」


 会計を待つ間、厳しい表情で黙りこくっている亘に、日和が声をかけた。


「ああ」

 

 それきり、また無言になる。


「じゃあわたし、先に帰りますね。やらなくちゃいけないことがあるので……。駅から近いから、帰り道は分かりますよね?」


 駅の逆側に出たのは初めてだと言っていたことを思い出し、日和は確認した。


「大丈夫だ。電柱に矢印が書いてあったし」


 とにかく今は子猫が気がかりのようだ。亘の新しい一面を見たようで、日和の反抗心が少し和らいだ。


「早く良くなるように、私も祈っていますから。じゃあ、失礼します」


 頷いただけの亘を見て、もしかしてこの会話が頭に入っていないのではないかと日和は一抹の不安を抱いた。


 しかし今は、早く帰ってシャワーを浴びたい。


 そして透のあれやこれやも片付けないと――と、また深い疲労を覚えたのだった。



 自宅についた頃にはもうすでに日が傾きかけていた。


 目についた透の物を急いで段ボールに詰め、宅配業者に集荷を依頼し、ノートパソコンを開いて写真などのデータを削除する作業に取り掛かった。


 付き合いの長さに比例して透の荷物は増えていたし、残っているデータも膨大で、イライラが募る。


(……気づいたのが、この時期で良かったのかも)


 このまま気づかず惰性で付き合いを続けていたら。失うものも大きかったはずだ。


 それに今は透のことを考えると怒りしか感じないが、かつては楽しいこともたくさんあった。いつか良い思い出に変わるかもしれない。


(……わけないか。終わりダメならすべてダメ)


 大きなため息をついて、二年前に二人でテーマパークで撮った写真一覧を削除した。



 ――そして迎えた月曜日。


 出勤した日和は、手招きする上司を見て項垂れた。まるで鉛の塊が両肩に乗っているような気分になりながら、とぼとぼと彼女のもとへ歩いていく。


「ありがとう、高丸さん。おかげで人並みの生活は送れるでしょう、あの子も」


「そうですね。あそこまで物がない部屋を見たのは初めてでした」


「……え? 部屋に行ったの?」


 上司があまりに驚いたので、日和も驚く。


「ご存知なかったんですか? ガスコンロの使い方が分からないから教えてほしいと言われたので」


「やだ。そんなこともできなかったの、あの子。まったくもう……。でも私も反省すべきよね。年が離れているから、つい甘やかしちゃって」


「……はぁ……そうですか……」


彼女の様子を見る限り、土曜の夜に泊まったことは聞いていないようだ。


弟はもう子供ではないし、何もなかったとはいえ、ブラコンの上司に言えば取り乱してしまいそうだから、余計なことは言わずに席へと戻る。


 いずれにしても買い物はほぼ終わっただろうし、これからはもう亘と関わることもないだろう。子猫のことは気になるが、回復したら彼が飼うと宣言しているのだし、これ以上自分にできることはなにもない。


 しかしその週の金曜日、また商品開発室経由で日和は呼び出しされたのだった。


『久山だけど』


 日和が一番苦手とするあの怖い久山から内線がかかってきた。


 相手には見えないのに、日和は身を縮ませて軽く頭を下げる。


 すると隣に座っていた先輩社員の山岡が、何に向かて頭を下げているのかと日和を見つめたが、彼女が口にした名前を聞き、納得したように仕事に戻った。


「久山さん、お疲れさまです」 


『すぐ二番ブースに来てくれる? カラさんが呼んでるから』


「カラさんて……もしかして、松坂さんですか?」


『ほかに誰がいるんだよ。営業担当変わっただろ。忘れたのか?』


「いえ。覚えています」


 なぜまた呼び出されるのか。苛立ちのあまり黙り込んだ日和に、久山が怒鳴る。


『とぼけたこと言ってんじゃないよ。とりあえず、二番ブースの予約はあと十分で切れるから。早くして』


 そして日和の返事を待たず、がちゃんと大きな音がして通話が切れた。


「……なんだっての、もう……」


 思わずつぶやくと、山岡が同情の視線を向け、慰める。


「どんまい。久山さん、怖いもんね。カルシウムが足りてないんじゃない、あの人」


「ですよねー。何言っても怒るから……」

 

 苦笑する日和に、山岡は憤然として頷いた。


「下に対して威張り散らしてるくせに、上にはへらへらしてるんだから、みっともないったら。あの人が今度出す新商品はこけちゃえばいいのに」


 日和同様、というよりそれ以上に怒鳴られた経験のある山岡は、そう言って顔を歪めた。


「でもまぁ直属の上司じゃなくて良かったですよね。――カラさんに呼ばれたので、ちょっと席を外します」


「了解。でも高丸さんに何の用なんだろうね? チーフ、席にいるのに」


「さあ。書類を渡したいとかそんな感じの雑用なんじゃないですか? じゃあ行ってきます」


 亘のことだから、実際たいした用事ではないのかもしれない。なんにせよ、あと十分でブースの時間が切れるのだから、のんびり話す余裕などないだろう。


 なるべく時間を削るようにのんびりブースフロアに向かい始めた日和だったが、そういう時に限ってエレベーターはすぐにやってきた。




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