まさかの遭遇⑤
「恋人はまだいない。だから日和の基準で決めてくれればいい」
そしてここではいきなり不機嫌な顔になった亘に、日和は深いため息をついた。単純な弟たちと違って、彼の感情の切り替えスイッチがいまひとつ把握しきれない。
「……あ、そうですか。とにかく、結婚したあとも使えるようなものがいいってことですね。それなら……」
大量に並んでいる冷蔵庫の中からいくつかピックアップし、
「じゃあ、この三つの中ではどれがいいですか? 機能は同じで、価格もほとんど一緒ですから。あとは亘さんの好みで決めてもらえれば。ほら、男性ってメーカーにこだわりがあったりするじゃないですか」
「ない。日和が決めて」
ここでも丸投げされて面倒になった日和は、一番近くにあった冷蔵庫を指さした。色は自分好みのものを指定する。
「……なら、このメーカーで。色はこのロゼがかわいいと思います」
「ああ、じゃあそれでいい……あ、いや。さすがにピンク系は嫌だな。シルバーがいい」
「やっと自分の意見を出してくれましたね。じゃあ、これのシルバーに決まり」
日和は冷蔵庫についていた商品カードを手に取り、別のコーナーへと歩き始めた。
「じゃあ次は洗濯機にしましょうか。ドラム式と縦型、どっちがいいですか?」
しかし、亘は動こうとしない。冷蔵庫によりかかり、疲れたような低い声で彼女を呼び止める。
「ここはうるさいから疲れたし、腹が減った。先に食事にしよう」
「疲れるの早すぎません? まだ冷蔵庫しか決まってませんよ。……ああ、なるほど。もうすぐ十二時なんですね。じゃあ混む前に食べちゃいましょうか。近くに安くておいしい定食屋があるんです。そこでいいですか?」
亘が素直に頷く。どうやら本当に疲れているらしい。
日和が案内したのは、大通りから外れた狭い通路の奥にある、小さな定食屋だった。看板も小さくて、知らない人が見れば普通の民家と勘違いするかもしれないほどに質素な佇まいだ。
店主の男性は七十は超えていそうな老人だが、見た目からは想像できないほど元気で、てきぱき動く。それに何より、食事がおいしい。だから日和は、池袋に用事があるときはよく顔を出していた。
「っしゃい!」
扉を開くと、店主の元気な声が出迎えた。
「こんにちは」
にこやかに挨拶を返しながら席を探した日和の視線が一点で止まり、次の瞬間、表情が硬くこわばる。
急に立ち止まったせいで後ろにいた亘がぶつかりそうになり、何やら文句をつぶやいた。しかしショックを受けている日和の耳には入らない。彼女はこわばった表情のまま、店の奥へと足を進め、カップルが座っている席に声をかけた。
「……透君?」
笑顔で会話していた男が顔を上げ、明らかに狼狽する。
「うわ、日和? なんでここに……」
亘から解放されたあとに訪ねようと思っていた日和の恋人が、別の女性と一緒に食事をしていた。
相手の女性は、甘ったるい香りをまき散らす商品開発室の峰岸とどこか似ていた。最近は日和に見せたことのない楽し気な笑みを浮かべていた徹だったが、日和に声をかけられた直後、慌てた様子で中腰になった。
相手の女は値踏みする視線で、日和を見ている。
その女性を正面から見た日和は、さらに顔を引きつらせた。透き通るような白い肌、大きな瞳、グロスでつやつや輝いているぽってりとした唇。まるでスイーツのような雰囲気の、かわいらしい女性だ。女性版塩顔と呼ばれる自分とは、まったく別のタイプ。
「ここにいつまで立ってるつもりだ? 早く座ろう」
日和の背後から、亘の苛立った声がした。
動揺した透の視線が日和の頭上へと移動し、今度は複雑な表情を浮かべる。驚きの中に、怒りと戸惑いが入り混じっているような。
女性も亘の美貌に目を見張り、そしてその大きな瞳に媚びるような色が浮かぶ。ぽってりとした唇がうっすらと開き、頬を上気させた。
(なんなの、これ)
日和は必死に平静を装おうとしたが、視線はどうしても目の前の二人に吸い寄せられる。
――なぜ透は、私を責めるような目で見ているんだろう。私は、単に亘の買い物に付き合っているだけだ。
しかし透は同席している女性と恋人同士のように見える。
店主は何も気づいていないといった顔で淡々と作業をしているが、おそらく日和たちの間に漂う不穏な空気には気づいているのだろう。そして、修羅場になりかけていることに。
その店主が、料理を運んでいる中年の女性店員にちらりと目を向けた。店主の娘で、どこか面影が似ている。親子は視線を交わしあい、何かを語り合ったあと、女性店員がにこやかな笑みを浮かべて日和のもとへやってきた。




