B-3
「駄目か」
荻野悠真は弾丸が太腿に埋まったその男が、意識を失っているのを見て舌打ちする。
無力化したダークスーツの男から情報を抜き取れればベストだったのだが、敵は全員揃って気絶していた。噴水の中で感電した男が窒息死していないか確認してみるが、水溜まりの水深が浅いので顔は出ている。風邪を引かないように気を遣ってやる筋合いもない。
金髪碧眼、赤のインナーカラーを入れたショートカットの少女がようやくへたり込んだ状態から回復して立ち上がっていた。
「じゅ」
「?」
「銃なんて、どうやって手に入れまして……?」
「ああ、フォルトゥナに入る時はこの装備一式がデフォルトなんだ。安心して良いよ、太腿は重要な血管も通っているようだけど情報源として利用するつもりだったから殺していない」
「しっ、しかしあなたは『外』の人間ですわよね? なら檻の役割を果たすゲートを通る必要がありますわ! X線と赤外線で持ち物から全身丸ごと精査されるはずでしてよ!」
「チェックは職員が行っているんじゃなくてコンピューターが危険物を判断するんだ。そして事前に登録されているものなら審査で引っかかる事はない」
「えっ、え?」
「この警棒と拳銃、看守が使っているものと型番が全く同じなのさ。だからゲートを通ってもコンピューターはアウトと判断できない。何せ看守が全員持っているものだ、引っかかる訳がない」
「……看守でもないのに看守の武器を持っているんですのよ? どうしてストップが掛かりませんの⁉」
「いわゆる抜け道ってヤツだよ。ここは一見、完璧な牢獄のように見えて実は穴だらけだ」
背中なのか腰なのか、とにかくフード付きのレザージャケットに武器を収納する悠真。
いつまでもここにいても仕方がない。
ここは完璧な場所のようでいて、実際は抜け道だらけ。そう、交番前の公園はフォルトゥナで一番安全な場所かもしれないが、所詮は絶対ではない。
純白のバイクに近づきながら革の手袋を付け直す悠真を見て、ステラが目を細める。
「あの、今日は暖かい夜ですわよ。手袋は必要ないと思いますけれど」
「『あの男』は真夏の日でも手袋をつけてた。風の影響で手、それも指先の温度が少しでも下がると操作に支障が出るって言ってさ。……まあ、こうしてきちんと手袋をつけている僕でも実感はできないんだけどね」
「夏は流石に大丈夫だと思いますわ」
「同感だ」
ホルダーにはめ込まれたままのスマートフォンに話しかける。
「ナビゲーター。エンジン起動」
と、いつもは少年の声に反応して即座に爆音を鳴らし始めるバイクがうんともすんとも言わない。聞こえなかったかなと思った悠真はもう一度繰り返す。
「ナビゲーター。……ナビゲーター?」
ハンドルの中央のホルダーに突き刺さったスマートフォンを操作してみてもだんまりである。
まるで子犬のように背中に着いて来ていたステラが悠真の様子を見て首を傾げる。
「何かしらのバグでして?」
「いいや、ついさっきまで動いていた。スマホのカメラで背後から男達が近づいて来てるのに気づいて、僕にも確認できるようにミラーを調整していたし」
「なっ、あの奇襲に気づいていまして!?」
「でも一度やられたフリをした方が隙を作れると思ってさ」
「……一回くらい感電しといた方が良かったのではなくって?」
心配して損した、みたいな目つきで悠真を睨むステラだったが、バイクの持ち主はマシンの不具合の謎に気を取られてアメリカンポリスの方など見向きもしない。
そして気付く。拳銃で撃たれた男の手から転げ落ちたものだろう、槍の先端がバイクのタイヤに密着していた。
「……」
「どうしますの?」
「……、まさか」
目を細めた悠真は、スタンドを蹴り飛ばすみたいに靴の爪先で近くの槍を弾く。
直後、プラグをコンセントに差し込んだ電化製品のように、機械が息を吹き返した。腹に響くエンジン音を響かせてバイクが走行可能な状態を取り戻す。
「ナビゲーター。居眠りするなら先に言ってくれないか」
『ハロー、ボス。当機にそのような機能はありませんのでご安心を』
「ならどうした」
『今の今まで妨害電波のようなものに邪魔されていました。スマートフォンと同期できないだけではなく、マシンの方も機能を停止させられていたのです』
「……この槍のせいかな」
『断言はできませんが、男の発言で気になるものがありました』
「『本来の使い方はこうじゃあねえんだが、対人用だとこういう使い方もできるんだよ』、だったか」
「よ、よくあの極限状況での会話なんて覚えていますわね……。どういう神経してまして?」
「今は君の目つきがどんどん悪くなっている理由については置いておこう」
バイクから一度スマートフォンを抜き取り、レンズを向けて槍の写真を取っておく。
これで壊れるかどうかは分からないが、周囲に落ちていた三つ又の槍は全て噴水の中に沈めておく。
情報不足が極まっていた。
「……どうしてだ」
「何がでして?」
「なぜこの場所がバレたんだ。追手のヤツらは地の利を使って撒いたはずだろう、それに安全な場所に移動していた。『プレグナント』の連中は僕らの位置を把握できなかったはずなのに」
「まったくですわ。看守の格好をしているから危険から逃れられると思っていましたのに、全然効果がありませんの。ほんとにこの街ったら狂っていますわよ」
「まあここは看守が札束で買収できるような街だし……」
と言いかけて、ステラの格好に視線を移した荻野悠真の表情が固まる。
爪先からポリスハットまで舐めるように凝視されたように感じたのか、金髪碧眼の少女が顔を赤くして何だか太腿をきゅっと内側に閉める。
「ちょっ、あの、何でして……?」
「それだ」
「へっ? あの、なっ、何でわたくしの胸元ジロジロ見ていますのお!?」
「……やっぱり見分けがつく。見慣れている人間からすれば結構目立つ違いなんじゃないのかな、これ」
「あうあうあうあうあう……ッ!?」
シャツの襟元や膨らんだ胸元、さらに腰やスカートまで観察され、最後に指先で肩をなぞられただけで目をぐるぐる回すステラ。悠真に触れられる事が気になるというよりも、男性から触られる事に免疫がないご様子の箱入り娘である。
「ちくしょう、流石に気が回らなかった……っ!」
「オイ女性の体を好き放題しておいて今のちくしょうの一言にすら全く気が回っていないのですが、もうさっさとビンタしてもよろしい流れでして!?」
「人聞きが悪い」
悠真が手の中で回したスマートフォンには、一枚の画像が映し出されていた。
それをステラの方に見せつけながら、彼は見落としていた事を口にしていく。
「これが看守の制服。ステラの着ている制服と一緒だけどスカートの丈が短かったり質感が安っぽかったり、何より色が少し違う。これは看守を常に警戒しているフォルトゥナの住人からすれば目立つんだ」
「目立つと言っても銀行強盗やギャングなんかよりはマシでしょうに」
「でも見られた。『プレグナント』がシステムの破壊を狙っているっていうのなら看守の動きには最大限警戒しているはずだ。だから今のステラの格好は最も彼らの注目を浴びる」
街中では、大抵はスルーされる。
だがこれから何かやらかそうという連中からすれば、最も視線を集める不合理な出で立ち。
「……着替えさせる必要があるか」
「変態‼」
「何もここでなんて言ってないだろう。さっさと移動するよ、アテがない事もない」
スマートフォンをホルダーに突き刺し、再び発進の準備を整える。
ポリスハットの上からヘルメットを被ったステラが後部座席に乗るのを確認して、ギアとクラッチを調整しながらアクセルを回そうとする。
その直前、背後からステラが声を掛けてきた。
悠真に話しかけておきながら、彼女は後方、噴水の周囲で倒れたままの男達の方に視線を向けていた。
「あれはどうしまして? 救急車などは……?」
「必要ない。ここでは囚人を勝手に死なさないために多少は医療が発達しているって話だけど、襲い掛かってきて返り討ちに遭ったヤツにその恩恵を受けるような資格はないよ」
「……冷たい、のですわね」
「いいや」
性格や気分の問題ではない。ましてや善悪好悪の問題ですらないのだ。
言外にそう告げるような調子で、悠真はこう否定した。
「ここは、そういう街なんだよ」