B-1
さて。
犯罪島フォルトゥナの中で、最も安全な場所とは果たしてどこなのだろうか。
人口一〇〇万人を超える場所で、犯罪率は脅威の一〇〇%。定期的に『外』の人間が出入りしているため、一~五%程度の前後はあるもののやはり街の中はひどいものだった。一〇分も散歩すればあちらこちらで爆発音やら激突音やら悲鳴やらが聞こえるのだから、国が改善を諦めるのも仕方がない。
どこにでもありそうな裏路地から再びバイクを走らせて、やって来たのは自然公園だった。
ただし中には入らない。待ち合わせ場所によく使われる入口の噴水の側に純白のマシンを停めて、アメリカンポリスにそっくりな格好をした少女と水のオブジェの縁に腰掛ける。
中に入らない理由は簡単だ。
水溜まりを形作っている縁石に座る荻野悠真の目の前には、看守の常駐する建物があった。ほとんど交番のような扱いだが、常に扉の前には看守が最低一人は立っているのでわざわざここで何か悪事をやらかそうと思う輩はいないのだ。
そして金髪碧眼の少女は、カーキ色で全身を包む軍隊みたいな制服を着た男の看守の目を気にしつつ何だかわたわたしちゃっていた。
(公園っ、噴水っ、ここまで純白のバイクに二人乗りっ、何だか夜の月明かりとか街灯とかが丁度キレイでイイ雰囲気でして!? だっダメ駄目、個人の事情は後ですわ、わたくしは妹を助ける事を第一に優先して考えなけりゃばばばばば……っ‼)
金髪に赤のインナーカラーを入れた美少女が噴水や夜空、背後の木々から近くに停まっている中型バイクまで、とにかく周囲に視線を泳がせていると彼女と同じように噴水の縁石に腰掛ける悠真がこんな事を言ってきた。
「その格好、わざと看守に寄せているのかな」
「へっ?」
看守は男性の場合、軍隊のようなカーキ色の制服。一方で女性はアメリカンポリスの格好なのだった。ひょっとしたら『彼女の事情』を聞くために公園に来る手間を掛けなくても、彼女の出で立ちだけで悪人は離れていったかもしれない。
「カモフラージュとしては及第点だけどスカートが短過ぎる」
「なっ」
「腕も露出し過ぎだよ、通販サイトかジャンク品を売っている店で購入したのかもしれないけど、自分の手で一つ工夫をする努力は必要だったね」
「なっ、どっ、どこを見ていますの変態‼」
己の体を抱くように胸の前で×を作って、少し悠真から距離を取るアメリカンポリス。
そういったジェスチャーが犯罪に敏感な看守をビシバシ刺激して、近くの軍服野郎の顔がぐんぐん険しくなってしまっている事におそらく彼女は気付いていない。
一応、交番と自然公園の間には車やバイクが普通に通る道路を一本挟んではいるものの、交通量はかなり少ない。しかも一方通行の一車線なので、その気になればノンストップでこちらに駆け付けられる距離である。看守ではあるが、果たして彼は味方なのか敵なのか。
「……それより君の事を聞かせてくれないかな。こちらとしても情報を共有して助ける対象を把握しておきたいんだけど」
「ええ。まずは軽くわたくしの自己紹介から」
貞操を守るためにガードしていた手を緩めて平均よりは大きな胸を解放しながら、過激なコスプレをした少女はこう続けた。
「わたくしはステラ=フェストパレス。妹の名はヘレン=フェストパレス。それぞれが有名な工科大学で勉学に勤しむ姉妹ですわ」
「待った、年下じゃないのかな。少なくとも高校生にはなっていないと思っていたんだけど」
「わたくしは一四、妹は一一ですがアメリカには飛び級制度がありますのよ馬鹿野郎」
どうやら机を並べて一緒にテストを受けたらコテンパンにされるらしい。
しかし、まず大前提として、首を傾げるに至る事案が一つ存在していた。
そもそもここは世界有数の犯罪都市・フォルトゥナである。
「そんな優秀な人材がどうして犯罪島に? 妹の、ヘレンさんだったか。どういう経緯でフォルトゥナにいるのかな」
「それは、ええと」
そのー……といつまでも言い澱むステラ=フェストパレスの表情からは、身内の恥を晒す事への羞恥心のようなものは感じられなかった。むしろもっと身近な失敗、何もない場所で派手に転んだ事を思い出してしまったかのような顔だった。
平たく言うと、生理現象を我慢するかのように顔を赤くしてもじもじし始めたのだ。
「何というか、技術を身に着けた事による弊害と言いましょうか、腕試しの代償とも言えるような……。とにかく悪意はなかったのですが、自分のハイスコアを測るためとはいえ高いハードルを狙い過ぎた……」
「端的に」
「ハッキングを極めたと過信した妹がペンタゴンに喧嘩を売ってみたら捕まりましたの」
「さっきの言葉をそのまま返すよ。馬鹿野郎」
思わず額に手を当てる。
悪意の有無は関係ない。どんな事情だろうが罪を犯す者にはそれぞれの事情があって、それを許容してしまった人間が悪事を働く。当人の責任を転嫁させる事はできない。だからこそ、こんな島に都市を作って囚人の更生を促す場所を成立させたのだ。
「……ステラ、君の妹が囚人という扱いであればこの島から連れ出すのは違法だ。彼女を助けるのみ。僕にできるのはそれだけという事になる」
「いいえ、ご安心くださいな。できる事の幅はまだありますの」
「悪いけど僕に『脱獄』の片棒を担げ、なんて言われても困るよ。学校の校則くらいは破るけど、僕の中にも一定のボーダーラインがあるんだ」
「すでに刑期が終わったいたいけな女の子でも? うちの妹は世界で一番可愛いですわよ」
「可愛いなんて感想はな、人それぞれの感性で変わるんだよステラ」
そんな風に言いながら、荻野悠真の語気が鋭くなったのを頭にポリスハットを乗せたステラは実感していた。
刑期が終わっても抜け出さない。
いいや、この場合は。
捕まっていて抜け出せない、が正解なのかもしれない。
「……さっき言った組織とやらが関係しているのか。あの追い駆けて来た車がその組織……?」
「あ、あの」
「ステラ、組織が関係しているって言ってたよね。どんな組織だ? 『プレグナント』、だったか。一体どれだけの人数を抱えている?」
「あの!」
会話というよりも、彼の言葉を食い気味に断ち切るように博学な少女は大声を出した。
「お、落ち着いてくださいな。その、目が怖いですわよ……?」
「……ああ済まない。怖がらせるつもりはなかった」
直後、少し離れた所から女性の人工音声が聞こえた。その無機質な声色がやや人を小馬鹿にしたようなニュアンスまで含んでいるのは気のせいだろうか。
『ですから染まり過ぎだと。今度は囚人の目つきの悪さでも伝染しましたか?』
「ナビゲーターうるさい。君はガイドなんだからそれ以外の仕事はしなくても良いよ」
バイクにスマートフォンが突き刺さったままなのを忘れていた。
角度を調整するかのように、ミラーが勝手にくいくい動く。あれで謝っているつもりか。
オーダーに忠実に従って沈黙を守る(何気に悠真にも正体不明な)人工知能にため息をついてから、フード付きのレザージャケットを纏った男子高校生は状況をまとめにかかる。
「……妹が殺されてしまうって言っていたのは?」
「普通、囚人は刑期が終わればフォルトゥナの外に出る事ができる。ですが『プレグナント』という組織に摑まった彼女は外に出られずにいますわ。……まったく、つくづく管理の甘い街ですわね。刑期を終えた囚人を看守が迎えに行くくらいのサービスがあっても良いのではなくて?」
「昔はあったそうだよ。その護送車の底にしがみついて脱獄した囚人さえいなければ、今も続いていたはずって話だけど」
「その頭の良いバカをわたくしは一生恨みますわ」
お行儀悪く舌打ちを一つ。さらに勢い余ったステラが八つ当たりで目の前の軍服纏った例の看守に中指を立てそうになっていた事に気づいて全力で制止する荻野悠真。
ただし止め方が悪かったらしい。
悠真が金髪碧眼の少女の右手を丸ごと両手で包み込むように握ってしまったため、慣れない感触に驚いたステラが顔を真っ赤に爆発させて小さく悲鳴を上げたのだ。
「こっ、こういうのは困りますわ‼ 牢獄にぶち込みますわよ!?」
「僕としても困るんだ。フォルトゥナでそんなハンドサインしないでもらえるかな!?」
目の前を横切った一台のファミリーカーの助手席から知らない女性がこちらを見ていた。少し暖かい夜だからか、窓を開けて顔を出し夜風を楽しんでいたのも最悪だった。
そう、前提を忘れないでほしい。
女性の看守は彼女の今の格好、つまりアメリカンポリスによく似ているのだ。
つまり、傍から見れば周辺をパトロールしていた看守を捕まえて口説こうとしているように見えなくもないのだった。それも交番の目の前でだ‼
「くそう、最も安全な場所のはずなのにどうしてこう泥沼にハマっていくのか……っ!?」
「それはそうと、妹は天才ですの」
「切り替えが早過ぎる。君は周囲の目が気にならないのか」
手を握られた事実に心臓の鼓動が止まらないため、焦ったステラがさっさと事態を更新しようとしている事まで、彼は予想がつかないようだった。
「『プレグナント』という組織の構成などは一切として知りませんわ。しかし目的ならば分かりますの。……まあ、大分漠然としていますが」
「それは?」
「システムの破壊」
たった一四歳の少女の言葉に、悠真の目元が不快に蠢く。
続けて首を動かすその動作は、猫が注意を向けたい方向に耳を動かす仕草によく似ていた。
「……漠然としていようが、それは最悪だ。社会的だろうが機械的だろうが、これ以上フォルトゥナのシステムが破壊されればどこまで被害が広がっていくか分かったものではない」
「どこまで、で済むとお思いで? どのような被害かは想像がつきまして? 今まで隔絶された孤島というシステムが囚人を押さえつけていたのです。では、その箍が外れれば?」
「猛獣どもの鎖が切れる、か。流石にどう暴れるか、全ての予測をつけるのは不可能か」
目を瞑って数秒。
一旦『プレグナント』という枠組みは置いておくことにする。
「なら次の質問だ。ステラ、君の妹はどうして『プレグナント』から抜け出せずにいるのかな」
「優秀な技術者だから、ですわ」
こんな事になるならば、明晰な頭脳など要らなかった。
そんな口振りでステラ=フェストパレスはこう切り出した。
「数日間、簡単なメールでやり取りしましたの」
「うん? ステラの妹は『プレグナント』に捕らえられているんだろう? 情報の交換は自由だったのかな」
「もちろん組織による監視下にあるようで、メール内容は暗号化されていました。文字に紛れた数字の全てを読み取って妹のパソコンに数値を入力したところ、一六進法が一〇進法へと変わりそれをアルファベットへと変換……とまあこの辺の話は良いでしょう」
「ようは、囚われの姫はやはり天才ハッカーだったってトコか。しかも『プレグナント』側からそれ相応には警戒されていただろうに、網の目を見事に縫って君にコンタクトを取ってきた」
なるほど、と少年は口の中で呟いた。
閉鎖環境であるために、鎖国よろしく情報の漏出が少ないという特徴を持つフォルトゥナの全容を彼女がどうやって知ったのか。
「つまり妹のメールからこの街の概要を大体把握できた訳だ」
「ええ」
「そして僕の事も」
トーンの変わらない、淡々とした言葉だった。
しかし目の前の少年こそが彼女達姉妹にとっては、唯一の細い命綱だったのか。
「……この街にいた『英雄』から辿れば、確かにどこかで僕の名前が一度は出てくるだろう。可能な限りデータは削除したけど、所詮は可能な限り、だ。天才ハッカーなら断片だけで僕を追う事もできたかもしれない。だけどフォルトゥナの『外』にいる僕に一体どうやって辿り着いた? あそこまで的確に僕の背後を取れた理由が分からない」
「それでしたら、非常に簡単な事ですわ」
「というと?」
やや首を傾げながらも先を促すと、米国の警察官な格好をしたステラは無駄に胸を張って女性らしい部分を強調させるような姿勢と共にこう続けた。
「フォルトゥナに墓地は一つだけ。あの『英雄』も眠る墓地の駐車場で待ち伏せして、全ての人間の後頭部に銃を押し付けてあなたが荻野悠真ですわねと言ってやりましたの」
もう両手で頭を抱えるしかやれる事はなかった。
「……馬鹿なのかな」
「とっ、当然ある程度の外見的特徴は加味しましたわよ!? 何も叔父様や叔母様を相手に銃口突き付けたりはしていませんわ!」
「当然って言葉はそんな風に使うものじゃない」
悠真はステラの手当たり次第の行き当たりばったり作戦に呆れている訳ではない。……というと語弊が生まれてしまうが、他に懸念するべき事案がある事を忘れてはならない。
「……ステラ」
「し、仕方がないではありませんの。他に取れる道もなかったのですし」
「銃口を押し付けた相手が超がつくほどの凶悪犯だったら? もしそいつが『プレグナント』の構成員だったら? そしてその構成員が君の妹から姉の事を聞いていたら? いずれも危険性が高過ぎるよ」
「うっ」
息を詰まらせるステラだったが、この辺りは先んじて危険を教えていても方法を変えたかどうかは怪しいだろうと悠真は予測をつける。
何と言っても、自分の命はどうでも良いなんて宣言した彼女の事だ。目的の少年が見つからなくても、動画サイトなんかに『プレグナント』に喧嘩を売る自分自身をアップして単身で組織に乗り込んでいた可能性すらある。
「……まあ、終わった事を言っても仕方がないか」
「あの、わたくしも一つ聞いてよろしくて?」
視線で先を促すと、ステラは慎重に言葉を選ぶようにこんな質問を飛ばす。
「なぜ気が変わりまして? どうしてわたくしを助ける気になりましたのよ」
「どうしてと言われてもね」
深刻な会話から、やや話題が逸れたからだろうか。
背筋に入った力を抜き、足を組んだ悠真は軽い調子でこう語る。まるで海外旅行を知らない小さな子に注意事項を教えるような口振りだった。
「人を助けるのに重要なのは純度だよ。少なくとも『あの男』はそう言っていた」
「純度、ですの?」
「誰かを助ける時に他に気を取られるようなら、それはもうただのエゴだ。半端な気持ちならやらない方が良い。……自分が助けたい人以外どうなったって構わない。君がそこまで言えるようなら、何かに遠慮して助けたいものを見失う事もないだろう」
「ふっふ、つまりわたくしの必死で可愛い姿に心を打たれたと」
「話を聞いてないのは分かった。まあ、何だ、人を助けるっていうのはそんなに甘い事じゃないんだよ」
ふうん、とステラは分かったのかピンと来なかったのか、どこか得心がいっていないような返事をしていた。
これ以上は掘っても仕方がないとでも思ったのか、さらにアメリカンポリスの少女は悠真と同じように足を組み替えて質問を変更した。
「『あの男』『あの男』と繰り返していますけれど、それは『英雄』の事です、の、よね? そもそもあなたとこの街の『英雄』は一体どういう関係でして?」
「……それは」
と、初めて悠真が明確に言い澱む。
視線がレンガ造りの地面に向けられ、何をどこまで言うべきか迷う。料理にどのワインが合うのか試飲でもするように、口の中で言葉を転がしていく。
そして、迷った末にこう言った。
「僕は『あの男』の
だが遮るように、強烈な刺突音が悠真の背中から炸裂する。
ステラの隣にいたはずの少年が叫ぶ間もなく、凄まじい勢いで前に吹っ飛ばされたのだ。
「なっ」
ゴロゴロと一方通行の道路の方へと転がって行く少年の方よりも、背後に潜む危険に背筋が凍る。少女が急いで振り返ると、噴水の中に誰かいた。
ふくらはぎの辺りまでびしょ濡れになったそいつは、ステラ=フェストパレスの知らない男だった。ダークスーツに身を纏うその男性の手にはサスマタ……に見間違えそうだが、違う。先端の鏃部分が三つ又に分かれた槍のようなものを握り締めていたのだ。手元にはスイッチのようなものが搭載されているようだが、その正体は分からない。
「はは」
「あ、あなた……っ!」
「あっはっははははははは‼ 大した事なかった! まったく、『女王』は一体何を危惧していたんだか!
背後からの接近にも気付かない野郎になんざ俺達は負けねえよ‼」
「なにを、言って、いますの……?」
目を回すステラだったが、彼女はおそらく前提を忘れてしまっている。
ここはあらゆる犯罪が蔓延る都市・フォルトゥナ。
人が襲われようが強盗が起ころうが、驚く方が珍しい。この街ではこれが平常運転なのだ。
「っ‼」
辺りの光景に目を剥くステラ。
ダークスーツを纏う男は一人ではなかったのだ。ぞろぞろと、背後にあった林から人影が続く。合計で四名。いずれもダークスーツに三つ又の槍。まるで便利なオモチャを手に入れた子どものように長い武器をクルクルと回しながら、そいつらはこちらに近づいて来る。
足元に横たわる荻野悠真の方へ視線を投げる。打ち所が悪かったのか、それとも三つ又の槍の切っ先に胸を貫かれたのか、レンガ造りの地面の上に倒れたままぴくりとも動かない。
ようやく摑んだ頼みの綱が切れていく錯覚があった。
後ずさりしながらも、ステラは脳の中で最善の道を模索していく。
そう、ここはフォルトゥナではあるが、その中で最も安全な場所だったはずである。
(そっ、そうですわ! 向こうの通りには看守が……ッ‼)
光明を見出した。
そう思って後ろの交番に視線を投げると、似たようなダークスーツの男が看守に茶色の封筒を渡しているところだった。
最初は否定しようとした看守だったが、やがて槍を突きつけられると仕方がないといった具合で交番の奥へと引っ込んで行ってしまう。当然、あの軍服を着た男性の看守はこちらの様子に気づいていた。
封筒の中身はおそらく金だろう。汚い取り引きをしたダークスーツの男も道路を渡ってこちらにやってくる。
これで敵は、合計五人。
前後を挟まれたアメリカンポリスの少女は歯噛みしながら、しかし手負いの猛獣のように低く唸る。
「あなた方、『プレグナント』の連中でして?」
「ははっ、どうだろうなあ?」
「ふんっ、別に答えなくても良いですわ。このタイミングで『プレグナント』以外の人間だった、という方が驚きますもの」
リボルバー式の拳銃はない。
どれだけ肉食獣のように威嚇しようとも、ステラ=フェストパレスには爪も牙もない。
だが折れない。愛する妹を救うまで、その姉が先に、しかも自らギブアップする事などあり得ない。怯えの色など見せるものか。犯罪者どもが近づいて来るにつれて、少女の目に宿る獰猛な色が増していく。それ以上近づけば、牙がなくともこの歯で噛み砕くと言わんばかりに。
だがステラには五人を、しかも前後二方向から襲い掛かってくる複数の敵に対処する能力はない。ましてや全員を無力化する力など。自分が巻き込んだ少年を守れる心当たりもない。
「……かかって来やがれですわ」
それでもなお、あくまで挑戦的に。命乞いなど死んでもしない。
「全員まとめてかかって来やがれですわ‼ このゲス野郎どもが‼」
そして道路の方からやって来たダークスーツの男が三つ又の槍を振り上げる。そのままステラの整った顔面に向けて勢い良く振り下ろす。
そう。
スパンッ‼ と倒れ伏したままだった荻野悠真の蹴りが男の足を払わなければ。
「がっ!?」
「まったく。本当に呆れるよ、君は無茶が過ぎる」
重心を見失ってレンガの地面に顔面から落下していった悪趣味野郎に対して、無事を祈る気概など持ち合わせていない。ダークスーツの男よりも早く起き上がり、靴の踵でこめかみを踏み抜く。側頭部を強打した紳士のしの字もない野郎が今度こそ気絶していく。
残りは四人。
悠真の顔には焦りも恐怖もない。ただ静かに己のやるべき事を消化するべく前に躍り出る。
「は、へ……」
気が抜けたのか、思わずへたり込むステラの頭を撫でながら彼はダークスーツの男達へ近づいて行く。
今にも泣きそうな少女の目を見て、思わず悠真は小さく笑ってしまった。
「そんなに心配しなくても良いさ。僕も君と同じだから」
「……な、にが……?」
「人の救済は中途半端な気持ちではできない。何かに遠慮して助けたいものを見失うようではただのエゴだ。つまり」
三つ又の槍を掲げた四人のクソ野郎どもを前にして。
ステラの勢いなど比にならないほど獰猛に笑いながら、『英雄』仕込みのその少年はこう宣言したのだった。
「自分が助けたい人以外、何がどうなったって構わない。だからこそ、何の躊躇いもなくこいつらをぶちのめせるのさ」




