A-4
道中、丁度良い大きさの川があったのでアメリカンポリスの少女からスッたリボルバー拳銃を放り投げておく。
ぽちゃーん、という音さえ、再び走り出したバイクのエンジン音で掻き消されていく。
「ああーっ、あああーっ!? わたくしの拳銃がァーっ!?」
「弾を全部抜いてから返しても良かったんだけどね。予備の弾丸を隠し持っている可能性も充分にあるからこれが正解だ。つーか中学生くらいの女子が拳銃撃つなと言いたい」
「この鬼畜‼」
「いきなり背後からリボルバーを後頭部に押し付けてきた君が言うのかな」
「それに年齢で言えばそう変わりませんの! 子ども扱いしないでくださる!?」
「僕は一七だ、君は一六にもなっていないだろう。バイクも乗れないチビッ子め」
さらに五分ほどバイクを走らせ、辿り着いたのはビルとビルの間にある裏路地だった。フォルトゥナではよっぽどの事がある限り入るなと言われる暗がりだが、バイクのライトがあればそれほど怖くはない。
荻野悠真は腹の辺りに回っていたアメリカンポリスの少女の腕を解くと、クラッチを切ったままスロットルを回す。ある程度の回転数を超えたところで左手を一気に解放する。
ドルンッ‼ という悪魔的な急発進と共にウィリーする。
後部座席のシートが地面に限界まで近づいたのを確認すると、軽く腰を動かしてアメリカンポリスを突き落とす。これくらいなら痛みもほとんどないはずである。
「あうっ!?」
ギアをニュートラルに入れる。一応後ろを振り返って女警官(仮装)に怪我がないかを確認。
問題ないと判断すると、家に帰るために再び走り出そうとする悠真。
「ではこれで。銃がないのなら夜の街を歩くのは危険だろう、素直に家に帰るんだ。……まあ、君の狙撃の腕なら銃があってもなくても同じかもしれないけど」
「ちょっ、ちょっと待ちなさい‼」
「まだ何か?」
別に少女の話を聞こうという訳ではない。
ギアが一速に入らない。たまに起こる事だが、ガンガン爪先で蹴り落としてみてもニュートラルのNのマークがメーター画面で何度も点灯するだけである。
「おっ、お礼がしたいから‼ どこかっ、そう、レストランでも入りませんかしら!?」
「いつ散弾銃を持った集団が押し入ってくるのかも分からないのに? 勘弁してくれ、トラブルは一日に一度で十分だ」
「こ、このヘルメットをお返ししませんと……ッ!」
「あげるよ。被って帰ったらどうかな、安物だけど耐久値そのものは高い代物だ」
ガコン! とギアが一速に入る。
出発の準備が整う。
同時だった。
「いいえ、わたくしに帰る場所などありませんわ‼」
「……、どういう事かな?」
彼女は首元に銀色のアクセサリを身に着けていない。
つまり『外』の人間ではなくフォルトゥナに住んでいる人間のはずだ。家がない訳がない。そもそも更生を目的とする犯罪島だ。マンションでもアパートでもどれだけ粗末な環境でも、住所を渡されてこの場所に来たはずなのだ。
悠真は首から提げたアクセサリをチラリと見せて、
「君は『外』からフォルトゥナのゲートを潜った際に手渡される銀のネックレスを着けていない。もしフォルトゥナで大怪我をした時や死亡した際にすぐに医療機関や看守が対処できるように、持ち主の血液型や連絡先のデータが埋め込まれた、いわゆるUSBメモリのような役割を果たすこいつを」
「ええ。しかし『外』からフォルトゥナへ入ってもそのネックレスを持っていない者も存在しますわ」
「そんなヤツいる訳……」
と言いかけて、ハッと気付く。背後からライフルや拳銃を向けられても涼しい顔だった荻野悠真の顔に、驚きの色が混じったのだ。
「まさか、不法侵入者か……?」
「ご明察ですわ」
ようやく少年の顔を見たかった表情に変える事ができた。
そんな風にニヤリと笑うアメリカンポリスは、ヘルメットを外してこう続ける。
「しかも『外』の外、島よりも遥か遠くの国から来ましたわ。わたくしの妹のために、ね」
「ナビゲーター。看守に通報だ、罪を犯して胸を張るヤツはどこの国にもいるらしい」
『かしこまり
「ストォーップ‼ 少しくらいお話を聞いてくださいませ! わたくしにはわたくしの事情がありますの‼」
聞く気はなかった。
個人の事情がどうした。犯罪を許容する人間なんてどうにもならない事を個々の理由だと許容して悪事を働くものだと、悠真は経験から知っていた。
このレベルの実力であれば、数の利がある看守ならすぐに捕らえられるだろう。
そう思っていた。
次の言葉を聞くまでは。
「だって、そうじゃないと! わたくしの妹が殺されてしまいますの‼」
「……ナビゲーター。オーダーを中断」
『かしこまりました』
一拍。
聞く価値がある話かどうかは、もう一度アメリカンポリスの少女の顔つきを見れば明らかだった。それでも、悠真の中で踏み込む必要はないと判断した。
「……そういう複雑な話なら、通報はやめておこう。ただ、あの追い駆けて来る車から君が逃げられたとは思えない。諦める事をオススメするよ、自分の命が惜しければね」
必要最低限の事は告げた。
いつものようにバイクを滑らかに発進させる。何度も繰り返してきたその動作は、しかし直後の慟哭に阻まれた。
「どうでも良い、自分の命なんて‼ 大切な妹の命に比べれば‼」
ガッヅ‼ という痛々しい音が裏路地に響いていった。
速度不足によってエンジンが停止したのだ。長らく体験していなかったエンストに、ナビゲーターが再起動を試みる。
「……助けたい。私じゃありませんわ、私の妹を助けるためにあなたの力が必要なのです‼ そのためなら何でもしますの‼ あの子を救うためなら犯罪が何だ、囚人でも看守でもギャングでもドンと来いですわ、銃や剣など怖くない‼」
「……」
「あなたが断るというなら何度だって頼み込みますわ。脅迫状を出して人質を取って爆破予告をして、どこだろうとあなたを待ち伏せしてその生活を脅かしてでも。あなたがイエスと首を縦に振るまで、何度でも‼ それが姉である私にできる唯一の事ですもの‼」
「……はあ」
本日一番の重たいため息があった。
こういう時、彼は救いを求める者を振り切れない。別に博愛精神でも保護欲でもない。可愛い女の子から好かれたいでもお礼が言われたいでもない。荻野悠真の根底にあるものは、そんな低俗な思いよりもさらに低俗なものが根付いていた。
ただ、『あの男』のようになりたい。
あの役割を果たせる『英雄』に近づきたい。
……『彼』ならば、こんな時は何と言うか。
目の端に涙を溜めて地面にうずくまり、それでも一本の細い糸にすがりつくかのように必死でもがくこの少女に『そうか一人でがんばれ』、『なら失敗して孤独に死ね』……そんな風に突き放して、自分だけ全てが満たされた温かい家に帰るようなクソ野郎だったか。
予測もできない、ややこしい事情を抱えた少女が嗚咽を洩らす。
「お、願い、だから……」
「もう良い」
「お願いしますわ……。わたくしはどうなっても良いから、妹を、あの子を……」
「もう良いって言っているんだ」
遮ってから、荻野悠真は静かに純白のバイクから降りた。
まだ名前も知らないアメリカンポリスの少女の方に両の足で歩み寄り、手を伸ばしながらこう釘を刺した。
「君と君の妹を助けるよ。ただし一つだけ、条件があるけどね」
「ほん、とうに……? 条件って……?」
「自分の命はどうでも良い。もう今後、その言葉だけは言わないと約束できるのであれば」
そして少女は、その手で細い糸を摑み取る。
温かくて未知数な、それでいてどこか頼もしい少年の手を。