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犯罪都市のライフスタイル  作者: 東雲 良
第四章 人を助ける意味なんて
23/25

D-5





     1


「ねー、お姉ちゃん……。それは危険だと思うけど」


 スマートグラスに様々な数値が躍る。


 トントンと自らの太腿を指先で叩いているのは、AR式のキーボードを表示させて視界のディスプレイを操作しているのだ。


 天才ハッカー・ヘレン=フェストパレスは拾ったばかりの『スタンスピア』を眺める姉に白けた瞳を向ける。


「死にたいの……? フォルトゥナって自殺志願者もたくさん抱えているんだっけ……?」


「そういう訳ではありませんの。ただ借りを返す必要がありますので」


「あとバニーガールの格好でしゃがんで槍をあちこち見回すとお尻を振っているみたいだからやめてくれない……?」


「べびゅるばらぶ!?」


 言語ドライブが壊れたのか、ウサギの意匠を取り入れ(過ぎ)た尻尾を隠すようにお尻を両手で隠すステラ。もういっそ裸の方がマシな勢いだったが、羞恥心を取るか氷点下の温度を突き抜ける妹の冷たい視線に耐えるか、究極の選択に迫られているのも事実。とりあえずフォルトゥナから出る前にメイド喫茶に寄って、あのコスプレを強制してきたメイドには一言文句を言ってやろうと心に決める。


 そしてそれどころではない。


 炎が森を包んでいく。全てが焼き尽くされる前に、姉のステラにはやらなければならない事があった。


「ヘレン、調整の方はどうでして?」


「もう終わる。でも、はあ、いざ現実がこうなっちゃうと私は少し悲しいよお姉ちゃん……」


「はい?」


「妹離れできませんが座右の銘みたいなお姉ちゃんが男の人に夢中になっちゃっている事がだよ。なに、吊り橋効果でも働いてるの……?」


「ぶふう!? ふっ、風評被害も良いトコですわ‼」



     2



「……どういう意味だ?」


 燃え盛る森の中心で、荻野悠真とヴァレンシア=ハニーハートは睨み合う。


 赤い火に照らされた頬を押さえながら、マタニティドレスを纏った狂人はこう続けた。


「私なんてテロ活動を起こしただけの、ただの犯罪者。だけど悠真クン、あなたは種類の違う狂人だよ」


「あァ?」


「こわーい表情もステキだけど、うふふ、でも凄んでもダメ」


 言葉の続きを聞く前にヴァレンシアを撃っても良かったはずだ。


 だというのに、その内容がどうしても気になった。あの『英雄』を知る女からの言葉は、母や姉よりもある種の核心を突いているように感じたのだ。


「自分の助けたいものは是が非でも助ける。どんな手を使ってでも、その結果他の誰がどうなろうが気にする事はない。……それは救済してもらえる側からすれば最高だけれど、はてさて救ってもらえない人はどうなのかしら」


「……」


「フェストパレス姉妹と全く同じ境遇の人がいたら? 他にも話を聞けば助けたいと思ってしまうはずの人がいて、今この時にもどこかで野垂れ死のうとしていれば?」


「たらればの話に何の意味がある」


「じゃあ己の理想を他人に押し付ける事には立派な意味があるのかにゃあ?」


 ちくりと心臓を刺すような感覚があった。


 悠真の表情を見て何かを察したのか、ヴァレンシアはニィ……‼ と笑みを深めていく。


「『あの方』がやっていた事は、あなたがやっている事は、助けたい人以外を不幸にする行いなの。まーったくう、そんな人が私に向かって快楽主義者ぁ? 片腹痛いというかツッコミ待ちなのかよっていうか」


 それは、悠真の父に関わったヴァレンシアの口から放たれた言葉だからこそ、奇妙な説得力があった。


 彼女は望んで『こう』なったのか、それとも『英雄』という未知数の男に関わったからこその人生を歩んでいるのか。


「彼は、私を救えなかった」


「……っ‼」


「きっと、あなたもいつか、誰かを救えなくなる。『英雄』の名と方針を引き継ぐならば尚更だと思うの。そして悲劇は連鎖する。堂々巡りであなたは誰かを犯罪者にしていくの」


「……ふざけるな」


「これがこの街、この島の闇だにゃあ。気付かなかったでしょう、当事者?」


「ふざっ、ふざけるなァあ‼」


 もう、なりふり構っていられなかった。


 引き金を引く。弾丸が空気を割り、ヴァレンシアの額のド真ん中に直撃のルートを描いていく。


 だが。


「くそっ‼」


 槍を握ったダークスーツの男が流れ星のように飛んできて、ヴァレンシアへの弾丸を防いでしまう。貫通したって彼女は涼しい顔だ。吹っ飛ぶ人体に一度当てる事で弾丸の軌道が大きく逸れて、マタニティドレスの女性にヒットしない。


 続けて何度も拳銃を撃つが、結果は同じだった。


「むだムダ無駄ぁ‼ うっふふう、ほらほら私に早く弾丸を撃たないとどんどん他人が不幸になっていくわよう、ただ家族に会いたくて会いたくて脱獄を決意しただけの働きアリどもがねえ‼」


「っっっ‼」


 懐に入って警棒で戦おうかと思ったが、雷雲のような音を響かせる高圧電流の槍に近づくだけで自殺行為だ。ダークスーツの働きアリ達ならば問題なかった。だがあの槍の攻撃力は未知数なのだ。飛び込んだだけで周囲を焼き尽くすほどの雷が放出されないとも限らない。


 その間にも、轟々と悠真の仕掛けた罠が周囲を焼いていく。


 炎が周囲を焦がしていく。もう時間もない。


「それで終わりかしら、英雄さん」


「ちくしょうが……」


「ほーうら、救済のために動くだけ不幸を量産しなさい。この超絶快楽主義者が‼」


 そう叫んだ時だった。


 ぶづっ、と皮膚を千切る音が響く。


「……はえ?」


 緩んだ声を出すヴァレンシアの肩に痛みが爆発していく。


 さらに皮膚だけではない。筋肉、骨、さらに関節を砕くような音が体の中から聞こえてくる。肩の辺りを見てみると、赤黒い液体がドロリとマタニティドレスを汚している事に気付く。


 銃創。

 撃たれた。


「なっ、えっああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


「ふざけるな、ですわ」


 不思議な場所から声が聞こえた。


 上空からであった。


 次々とダークスーツを纏う働きアリどもを引き寄せるその有象無象の中に、得体の知れない異物が混じっていたのだ。


 色そのものは黒ではあるが、頭にウサミミを乗せたバニーガールの格好の少女であった。


 誰から奪った物なのか、その両手には『スタンスピア』が握られていた。そう、自らがヴァレンシアへ突っ込むために、ステラ=フェストパレスは槍の一つを手に取ったのだ。


 彼女は助けてと言って、そのまま自らの救済を人任せになどしない。


 戦場へ。


 少女は命を賭してヴァレンシアを叩き潰すため前に躍り出る‼


(馬鹿な……っ!)


 肩の痛みに顔をしかめながら、マタニティドレスの女性は思考する。


(だったら彼女が撃たれるはず……。どうして私に悠真クンの弾丸が当たるのかにゃあ……!?)


「不思議そうですわね、狂人」


「っ」


「答えは一つ、わたくしにはよくできる可愛い妹が味方してくれていますのよ‼」


 全ての最適解は、ヘレンによる神業だった。


 そして長らく溜めた鬱憤を晴らすかのように、ステラは槍を握り締める。少女の腕力だと侮るなかれ。天才ハッカーが『スタンスピア』の親機と子機の間で磁力を発生させ、威力を倍増されているなど、果たしてヴァレンシアは気付いていたか。


 ステラの言葉は、人に敬意を払うためのものだ。


 こんな狂人に礼の限りを尽くす必要など一つもない。


 いっそ下品に、彼女は告げた。


「喰らえ」


 ゴィン‼ という。


 金属バッドがボールを叩くような音がフォルトゥナを駆けていった。


 しかし。


「惜し、かったわねえ!」


 ギリギリの所でヴァレンシアが巨大な『スタンスピア』を手放したのだ。


 そして、こんな法則があったはずだ。


『スタンスピア』が触れた電子機器は、その機能を失い操作権限がヴァレンシアに移る、と。


 つまり、子機であるステラの槍が機能を失い、親機の『スタンスピア』が彼女の武器を制御する。


「ふっ!」


 一度は槍を手放したヴァレンシアが爪先で一際大きな『スタンスピア』を引き寄せる。空中で槍が一回転する。再び自らの手中に槍を収めると、彼女は何かを操作したようだった。


 危険に気付いた悠真が再び引き金を引く。


 鉛弾が弾いたのは、ステラの槍。


 勢い余って『スタンスピア』がバニーガールの少女の手から離れると同時、凄まじい電撃が子機の槍から迸る。凶悪な電撃が燃えている草木をさらに吹き飛ばしていった。


 あのまま槍が手にあれば、ステラ=フェストパレスの意識は刈り取られていただろう。


「ふざけるな、ですわ……」


 繰り返すように、ステラはそう言い放った。


 地面に膝をつきながらも、彼女は牙を剥く猛獣のようにヴァレンシアに噛みつく。


「同じにするな、あなたみたいなのと彼を同一のカテゴリに収めるなッッッ‼ あなたなんかただの狂人ですわ、少し巧みに言葉を使って思考を乱すのが得意なだけのね‼」


「あなたごときにこの都市の何が分か……‼」


「見苦しいですわよ」


 皮肉な笑みをたっぷり見せて、ステラ=フェストパレスはこう告げた。


 それこそが、彼女のアイデンティティを破壊する核ミサイルの発射コードだと知りながら。



「たった一人の男を手に入れられなかった嫉妬に狂って、息子さんに当たる惨めな気分はいかがでして?」



 爆発があった。


 一際大きな『スタンスピア』が先端を焦がしながら、莫大な電撃を撒き散らしたのだ。


 流石の荻野悠真でも止めようがなかった。周囲に広がる電撃がステラや森をさらに焦がしていく。レザージャケットを纏う少年も例外ではなかった。鎖帷子に似たプロテクターに電撃が走り、悠真の体にも叩きつけるような熱い爆発が弾ける。


「ぐっ、あぐあ……っっっ!?」


 生きている。


 ならばステラも無事かもしれない。……真っ先にそんな事を考えられるようなら、まだ己のアイデンティティは崩壊していないのだろうと推測する悠真。


 であれば、動ける。


 馬鹿みたいに、その少年はトカレフを握り締めていた。


「そう、だ……」


 土や草木が爪の間に入るのも気にしない。


 地面を摑み、今一度、荻野悠真は立ち上がる。


「どれだけ、他人を不幸にしようと……」


 ステラ=フェストパレスは、こう言っていた。


 どうでも良い、自分の命なんて。大切な妹の命に比べれば。


 ……きっと、あの言葉を聞いた瞬間に『英雄』の意志を継ぐなどと馬鹿を決めた少年は、彼女を助けたいと思ったのだ。だから彼女なら救いの純度が落ちる事はないと、態度を翻してまで救うと約束を交わしたのだ。


 だったら、別に良いじゃないか。


 ……思い返してみると、どこに問題があるのだ。


 ずっと前から言っていた。ずっと自分の深くに根付いているはずだったのだ。だというのに荻野悠真は自分でその意味を深く理解していなかった。



 自分の助けたい人以外、他のものは何がどうなったって構わない。



 だったら、今さら何だ。助けたい人以外を不幸にする? それがどうした。大勢を踏み台にして、たくさんのものを犠牲にして、己の命すら投げ出して、悲劇が連鎖して、それでもその結果、助けたい人を救う事ができるのなら、そこに何の問題がある。最後の最後に救いたいと思った人にまで嫌われて、全てを敵に回そうが一体どこに何の不都合があるというのだ。


 言ってくれた。

 ステラ=フェストパレスがその口で証明してくれたではないか。


 それは、たった一人の少女の意見に過ぎないのかもしれないけれど。それでも助けられる側でしかなかったはずの彼女の言葉に、確かに少年の芯の部分が補強されていくのを感じていく。


 ……もしも、これがどれだけ間違っていて、愚かな事だとしても。


 そこまで思考を回して。


 荻野悠真は、悪魔のように低い声を絞り出していた。



「……うるせえよ。僕には、こんな生き方しかできねえんだよ」



『あの男』のように呟いた後、少年は銃口を素早く上げた。


 狙うはヴァレンシア=ハニーハート、その胸の真ん中。


 一方の彼女も全ての槍を束ねる大きな『スタンスピア』を構える。こちらに先端を向け、先ほどの爆発のような電撃を撃ち込もうとしているのが分かる。


 最後の交差の前に、こんな会話だけがあった。


「ねえ、悠真クン。私はどうしたら、『あの方』に気に入られたのかしらね?」


「……知るか。僕はあいつじゃない」


 火薬の炸裂する音と、電撃が爆発する音。


 最後の交差が終わり、その場に立っていたのは片方だけだった。


 勝者は静かに呟いた。


 なぜだか泣きそうな顔で、そいつは身に纏わりつく鎖みたいな何かを断ち切っていた。




「……ヒットだ、クソッたれが」






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