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犯罪都市のライフスタイル  作者: 東雲 良
第三章 蜜の香りは死を誘う
15/25

C-3





「あの、大丈夫でして!? 先ほどから血が止まっていませんわよ‼」


「ジャケットに仕込んでいるプロテクターが脇腹に喰い込んだだけだ。弾丸は皮膚にすら届いていないから問題ない」


 涼しい調子で答える余裕はすでにない。


 敵の規模や怪我の具合などという理由ではない。


 時間がないのだ。


 ヴァレンシア=ハニーハートの言によると、『プレグナント』は社会的システムを破壊するためにフォルトゥナの檻を破綻させるプランを進行している。タイヤに触れるだけで白いバイクの機能を停止に追い込んだあの三つ又の槍で、だ。


 おそらくあの襲撃にかなりの人数を割いていたのだろう。スパイクストリップを仕掛けてくるようなダークスーツの連中はいない。工事現場の柵を飛び越えて道順をショートカットしたため大型バイクや車での追跡もない。


 相変わらず細い道でも関係なく速度を上げていく悠真に、必死で引っ付くバニーガールの少女が吠えるように叫ぶ。


「ヤツらは『スタンスピア』とか言っていましたっけ!? まずいのではなくって、檻が役割を果たさなくなったら囚人ども、犯罪者を留めていたダムが決壊しますわよ‼」


「ステラ、言葉は正しく使うんだ!」


 轟々と暴風が後ろに流れていく。


 流石に平常の声量では背後のステラ=フェストパレスが聞き取れないと思い、荻野悠真は声を張る。


「檻は確かに重要だけど本当に大切なのはゲートだよ! アルファベットで区分された二六個のゲートはフォルトゥナを囲むように設置されている、時計のようにぐるりとね!」


「ドーナツにそっくりな島、なんてよく例えられていますから知っていますけれど……!」


 暖かい春とはいえストッキングだけを纏う足が寒いのか、それとも加速を続けるバイクが怖いのか、ヘルメットを被ったバニーガールはぶるりと一度震えてから、


「フォルトゥナがどのゲートを潰すかなんて分かりませんわ! どこからシステムに亀裂が入るかも予想がつかない状況ですのよ!?」


「おそらく全てだ!」


「なっ」


「あれだけの槍の数、『スタンスピア』のスペック、構成員の多さ! 一つや二つのゲートを完全に停止させたところで人口一〇〇万人を超えるフォルトゥナの囚人が一斉にそこに殺到したら⁉ 緊急時の避難と同じだよ、逆に出られる人数は少なくなって内部崩壊を起こす! ハニーハートのヤツがあまり広くないこの島のシステムを本当に破壊するつもりなら、せめて二〇以上のゲートを開ける必要がある‼」


「その計算ほんとに合ってまして!?」


「この程度の数学を間違えるようならすでにもう死んでるよ」


 大通りに飛び出す。


 生き物のように動く交通へ合流していく。


 一気に交通量が減ったのは、やはりゲートから『外』に出る囚人などいないからだろう。そもそも彼らは脱獄を目論む事自体が稀なのだ。しかしその反逆行為を実際にギャング『プレグナント』が請け負えば、箍の外れた囚人達は一気呵成に外の世界へと飛び出して行くはずだ。


 ここで止める。


 何としてでも。


「ですがわたくし達は二人しかいませんわよ! 同時に二六個ものゲートの構成員を潰して回るなんて不可能ですわ!」


「それについては考えがある」


 詳しく説明している時間はないのか、次に少年はハンドルの中央でマップを表示していたスマートフォンに声を飛ばす。


「ナビゲーター、確認したい!」


『ええボス。何でしょう』


「僕のトカレフは八発入り。今日撃った数は何発だ?」


『七発です、ボス』


「やっぱりか」


『先ほどの工事現場でライトを撃ったのが随分と弾丸を消費してしまいました』


「予備のマガジンなんか持ってないぞ」


『ええボス。補充の必要があるでしょう。「プレグナント」を相手にするのであれば、たった一撃の切り札では心許ないのでは』


 人工音声と会話を交わす悠真に、背後のステラが割り込んでくる。


 声色から察するに意地の悪い笑顔を浮かべているようだった。


「わたくしのリボルバーを川に放り投げなかったら今頃マガジンの中は充実していたと思いますの! ふっふ、人の物勝手に捨てるから痛い目を見るんですわよ!」


「あのリボルバーとトカレフの弾丸は同じものじゃない! 手元にあっても使えないよ、今のステラと同じように!」


「……、……」


「ステラ痛いステラってば余計な一言を付け加えたのは謝るよだからやめて抉られた脇腹をつつかれても事態は好転しないから‼」


 渋々といった具合で地味につらい攻撃を停止したステラ=フェストパレスは、しかしどうにも解消できない疑問があった。


 頭の中にあるのは、彼がついさっき工事現場で口にしたあの言葉。


「一つ良いですの!?」


「何かな」


「助けたいと思った人以外はどうでも良い。何がどうなったって構わない。そう言っておきながら、きちんとフォルトゥナの人間は助けるんですのね!」


「三つ又の槍『スタンスピア』を作ったのは君の妹って話だ! 天才ハッカーの彼女がやった仕事であれば納得だけど、さて妹さんはどう思うのかな?」


「あっ……」


「自分の作ったもので社会的なシステムが壊されて囚人が『外』に出て、また罪を犯して不幸な人が増える。自分のせいで。……僕は妹さんを知らないけど、耐えられるのかな? 君よりも年下の女の子の精神で」


「っ、それは……‼」


「僕が助けたい対象がこの街の全てだなんて誰が言った? 最初の最初、助けると言ったのは君の妹の方だったはずだけど!」


 徹底的であった。


 妹のために姉を助け、救済対象のために必要のない救いまでもたらしてみせる。言外にそう告げた少年の背中にそっと頬をつけて、ステラは絶対に聞こえないようにこう呟いた。


「……何なんですのよ、もう」


 檻が見える。


 看守が最高でも七名しか常駐しないゲートのL。家の近くのAやBのゲートからは随分と離れてしまっているが、無数のゲートから無作為の場所をチョイスしたのは事実だった。つまりこれで働きアリのような黒いスーツを纏う『プレグナント』の構成員と鉢合わせれば、悠真の読みは当たりという事になる。


 この肝心な場面で、外す訳がなかった。


「見つけた」


 槍をゲートに突き刺すならば、一人で事足りる。


 しかし『プレグナント』はギャングだ。集団で動かない理由を探す方が難しい。


 発見した構成員は、ゲートの監視カメラを無力化するために三つ又の槍『スタンスピア』の手元のスイッチを押すところであった。まさに今、檻の側で脱獄の準備を進める彼らを見て風を全身に受ける悠真は舌打ちする。


「チッ、三人もいるのか」


「弾の数が足りませんわよ‼」


「それを大きな声で言うメリットはない」


 思わず片手で口を押さえたステラに対して、悠真の取ったアクションは一つだった。


 白いバイクから。

 飛び降りる。


「きゃあ!?」


「っ」


 レザージャケットのフードを被った悠真がステラを抱えたまま、アスファルトの上をゴロゴロと転がる。


 全身の回転を調整してステラが悠真の下敷きにされないように気を付ける。彼女はバイクに乗るにしてはあり得ないほどの軽装だ。一度でもアスファルトの上を転がれば、服やら皮膚やらが擦りおろされてしまう。不意に抱き締められて顔を真っ赤にしていたステラは、少年の温もりで着地の恐怖を紛らわせる事ができたらしい。いつもの事ながら、生きる事に必死な悠真の方はバニーガールの顔色の変化には気付かなかったが。


 もちろん地面の上を転がる事が目的ではない。バイクから飛び降りた事でマシンはコントロールを失ったまま前進を続けていく。


 ナビゲーターはクラッチやアクセルの調節、エンジンのオンオフを切り替える事はできても、ハンドルそのものを操作する事などはできない。ジャイロ付きのハイテクマシンであれば走行しながら左右の方向調整も可能かもしれないが、純白のバイクにそんな機能は搭載されていない。


 だからこそ、次の結果は覆らない。


 手放したバイクは、滑らかな曲線を描きながら『スタンスピア』を持つ三名の男達に突撃して行く。


「「「っっっ!?」」」


 目を剥いた三名それぞれが必死で横合いに飛ぶ。


 人が乗っていないとはいえ、優に二五〇キロを超える鉄の塊が三〇キロ以上で突進してくるのだ。轢かれれば脱獄どころの話ではなくなる。


 相手は三名。


 一人と二人に分裂したパーティを見て、すでに起き上がっていた荻野悠真は躊躇なく一人になったダークスーツの男の懐に踏み込む。地面を激しく叩くような足音だけを残していつの間にか眼前から消えた少年に、ステラが素っ頓狂な声を出す。


「ヒット、まず一人」


 踏み込みながら上着の背中から警棒を引き抜いていた悠真は小さく告げる。


 まるでゴールの数でも数えるサッカー選手のよう。警棒の先端で顎を打ち砕き、一撃でダークスーツを纏う男の意識を速やかに刈り取る。強力な『スタンスピア』もリーチが長過ぎて、懐の悠真を上手く狙えないまま地面に落ちる。


 残りの二人、その内の小柄な男の方がくるりと三つ又に分かれた槍を突き出してくる。


 フォークのような先端に警棒を絡ませて受け止めるが、ほんのわずかでも槍の切っ先に触れれば敵の手元のスイッチ一つで簡単に悠真の意識は飛ぶ。


 リーチもなく、虎の子のトカレフも引き抜ける状況ではない。


 そんな圧倒的な劣勢の中、彼は静かにこう呟く。


「ヒット、これで二人」


 ゴンッ‼ という激しい衝撃音が目前で響く。


 全体を俯瞰して見ていたバニーガールなステラが思わず口を開く。


 滑らかに曲線を描いて独りでに走行していた純白のバイクが、くるりと悠真の周りを一周してダークスーツの男を撥ね飛ばしたのだ。ハイテクマシンではない。ジャイロや補助装置も付いていない。だがクラッチの調節ができれば、速度のある内は悠真の調整した角度でバイクは走行する。


 この程度は数学ですらない。


 そう目で語った少年は、素直にガイド役を褒めたのだった。


「よくやった」


『お褒めに預かり光栄です、ボス』


 助けたい。


 そう思った人以外はどうでも良い。他がどうなろうと構わない。


 その発言を証明するように、ピカピカの白いバイクがアスファルトの上を無残に滑って行く。ステラの足元に衝突する寸前で、地面を引きずられたようなバイクがギリギリで止まる。驚愕するバニーガールの少女に対して、綺麗な乗り物が火花を散らして傷だらけになろうが悠真の表情は何一つ変わらない。


 バイクの衝突を逃れた最後の構成員が槍を突き出してくる。


 身を捻ってバチバチと電気の纏う『スタンスピア』の先端を避けると、体を回転させた勢いを利用して蹴りを繰り出し、槍の柄の部分を蹴り飛ばす。ほんの一瞬の隙を作って懐に踏み込もうとするが相手も馬鹿ではない。


 ダークスーツの男が柄の先端でもって悠真の顔面を抉ろうとする。


 警棒と槍が衝突し、そのまま鍔迫り合いになる。ガチガチという心臓に悪い音が響く。


「『女王』が言っていたぜ、テメェが邪魔しに来るかもしれないってな‼」


「ハニーハートめ、意外と抜けている。どうせ敵わないから現れたらすぐに降参しろというのは言い忘れたのか」


「ほざけ」


 至近で不敵な笑みを浮かべる両者が得物から足技へと意識を集中させていく。


 強烈な回し蹴りが互いの脇腹に炸裂する。


 そう、先ほど銃弾がめり込み血の止まらないあの脇腹に、だ。


「づっ……ッッッ‼」


「くたばれよ、『英雄』の残滓野郎」


 脂汗が浮かぶ。


 痛みで意識が飛ばないように唇を思い切り噛みながら、少年は相手の足の甲を踏みつける。さらに槍のグリップを摑み取り、揉みくちゃになりながら何とか男の背中を取る。


 首を絞めようとするが、そう上手くはいかない。


『スタンスピア』がダークスーツの男と悠真の腕の間に置かれているため、締め上げる事ができなかったのだ。相手も必死だ。そもそも意識を刈り取る事自体、そう簡単ではない。


 だから。


「ステラ」


「えっ、はい!?」


「バイクのハンドル部分を見てくれるかな」


 指示に従うというよりも反射的にバニーガールの少女がそちらに視線を投げてみると、そこで不思議なものを目撃した。


 悠真のレザージャケットの内側に仕込まれていた拳銃のホルスターがハンドルに引っかかっていたのだ。もちろんホルスターの中身が入った状態で、である。おそらく彼がバイクから飛び降りる前に白いバイクに引っかけておいたものだろう。


 訳が分からないといった調子で、ステラの視線がトカレフと少年を行き来する。


「な、なん、なになにが……」


「君が撃つんだ」


「で……ッ‼」


 反射的に出てきた言葉を、彼女は首を横に振りながら絞り出した。


「できませんわっ、そんなのッッッ‼」


「僕には突き付けたじゃないか。実際に車も撃った、あの墓地の地下駐車場で」


「撃てません、そんな揉み合った状態でなんて尚更撃てませんわ‼ あなたを撃ってしまったらどうしまして!?」


「言ったはずだ、助けたい人以外はどうなったって構わない。僕を撃っても別に良い、その時は次の策を考えるまでだ」


「殺してしまったら!? 誰も彼もがあなたのようにいつも冷静でいられるとお思いでして!? むりっ、無理ですわ‼」


「いいかステラ、よく聞くんだ」


 抵抗する男もいつまで動きを抑えていられるか分からない。


 それでもステラ=フェストパレスの方へダークスーツの男を盾にするように突き出しながら、悠真は静かにこう続ける。


「誰だって拳銃を握る時は怖い。引き金一つ、たった数センチ人差し指を動かすだけで人は死ぬし物は壊れる。ほんの数ミリ銃口の向きが変わるだけで大きく狙いは外れるし反動や暴発だって馬鹿にできない」


「……っ!」


「僕だってそうだ。いつも怖い。いつまで経っても人に向けるのは慣れないし、何度目か分からないくらい繰り返してきたのに引き金を引く時は指が震える。その上外したら本当に人を殺すかもしれない、跳弾で全く関係のない人が死んでしまうかもしれない、そんな責任を負うくらいならいっそ自分が死んだ方が良いと本気で思う」


 流れるようにスラスラと出てくるその言葉は、ひょっとしたら自分で生み出したものではないからかもしれない。


 憧れる誰かから聞いたその言葉に心を動かされて、自分もそうでありたいといつも思っているから迷いなくそう言える。そんな風に誰にも侵されたくない心の部分を皆一つくらいは抱えている。だが借り物の言葉でも、そこに心が宿らないなんて法則はない。ある一定の熱量を超えれば、きっと年端のいかない少女にでもそれは響いていくはずだ。


「だけどな、ステラ。もし君が助けたいものに本気で救いをもたらしたいのなら」


 彼はステラ=フェストパレスという弱い少女の味方だった。


 だから厳しい口調なんか必要ない。優しく笑ってこう提案したのだった。




「その武器を取れ。背に庇われているだけじゃあ、一秒前の自分よりも強くはなれない」




 あるいは、その言葉がある種の引き金となった。


 奥歯を強く噛んだ弱い少女が、バイクのハンドルに引っかかったホルスターを蹴り上げる。


 中身だけがふわりと宙を舞う。


 ……怖い。まだ武器を手に取ってもいないのに指先どころか体が丸ごと震えるし、何もされていないのに今にも意識は飛んでしまいそう。ひょっとしたら狙いを外して荻野悠真の方を殺してしまうかもしれないし、跳弾で全く関係のない人を殺すかもしれないし、そんな責任を負うくらいならいっそ自分が死んだ方が良いと、ステラ=フェストパレスは本気で思う。


 だけど、それでもなお鮮烈にこう思う。


 それ以上に、妹を助けたい。

 だからこそ。



 その戦士の目をしたバニーガールは、今度こそ宙に浮いた拳銃を摑み取る。



 両手で構え、脳と目に酸素を送るために空気を肺いっぱいに吸い込む。狙いは男の腹部。上下左右、どこに逸れても男の体をぶち抜けるように。


 震える指で、引き金を引く。


 そして、少女の勇気は実を結んだ。


 乾いた火薬、その強烈な爆音が駆け抜けて、鉛弾を喰らったダークスーツの男が崩れ落ちていった。


 何かを達成したようになった顔の二人は、特に示し合わせる事なく同時にこう告げた。


「「ヒット、これでラスト」」


 くすりと笑ったステラは、銃口の煙を口で吹いていた。


「……ずっと気になっていたんですが、この確認って必要でして?」


「お見事。撃ち抜いた後に言うとスッキリするだろう?」


 腹に風穴の空いた男の命に別状がない事を確かめると、他の二人も確実に気絶している事をチェックする。


 時間がない。


 檻の侵食はLのゲートだけには留まらない。最悪、他の二五個のゲートが開かれようとしている可能性がある。一〇〇万人を留める檻の出入り口を一つ一つ潰していくのでは確実に間に合わない。しかもヴァレンシア=ハニーハートの事だ、計画が破綻しないように『プレグナント』は脱獄を同時進行で行っているだろう。


 だから荻野悠真は、走りながら財布から一枚のカードを引き抜く。


 ゲートに近づき、窓口の女性担当者の目の前にそのカードを叩きつけてこう言い放つ。


 ある意味これが、彼にとって最大の切り札であった。


「僕のIDカードだ。『英雄』の権限で檻の封鎖を申請するッッッ‼」




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