C-2
掛け値なしの死が迫る。
横方向からだけではない。工事の足場や作業用の重機の上に乗ったダークスーツの構成員達があらゆる方向から銃口を突き付けてくる。
遮蔽物もなければ暴風などの偶発的回避も不可能。放たれた弾丸の数だけ体に風穴が空く状況をヴァレンシア=ハニーハートにセッティングされてしまっていたのだ。
だから、その瞬間。
荻野悠真が狙った的は、たった一つ。
重機の上で散弾銃を構えていた男の引き金であった。
純白のバイクに乗った少年の拳銃が火を吹き、直後に散弾銃が発射される。ダークスーツの男が驚いて引き金を引いたのか、悠真の弾丸が散弾銃を暴発させたのかは分からない。
とにかく状況は動く。
散弾銃が放った弾丸はあらぬ方向に飛び、周囲の『プレグナント』の連中に次々と炸裂していったのだ。だが所詮は一方向への攻撃だ。戦力は二割も削れていない。まだ無事な構成員は少年を殺すために狙いを定めていく。
悠真の狙い通りに当たったのに、ヒットのあの感覚がしない。標的を撃ち抜いた快感が人差し指に走らない。おそらくそれ以上に大量の銃口に照準されている圧に対して、本能が抵抗するように暴れているのだ。
もう一刻の猶予もない。おそらく次の瞬間には、絨毯爆撃のような掃射が始まる。
だからその前に彼は最後の手を打つ。
「ナビゲーター。ライトを消せ‼」
『かしこまりました』
バイクのヘッドライトが消える。スマートフォンの灯りさえも。
さらに夜間工事用のライトを次々と撃ち抜き、場を完全な夜へと戻す。
「撃て撃て、別に完全に姿が見えない訳じゃねえっ‼」
「逃がすな、数の力で押し切れ‼」
「『女王』には当てるな!? おい、工事車両のヘッドライトを早く向けろお‼」
様々な声が聞こえてくるが、意に介さない悠真は限界までバイクを横に倒す。後輪のタイヤを空転させて方向転換を行う。心臓を摑まれるような嫌な感覚が胸の中央を蝕むが、無理矢理にでもエンジンを吹かして足場の悪い砂の上をぐるりと回る。
三六〇度その場で回転する。
そう、バイクの方向を変えるのが目的ではない。
フード付きのレザージャケットを纏う少年とアクロバットの恐怖に震えるバニーガールの周囲を砂煙が埋め尽くす。ほんのわずかな視界の遮蔽物。しかし効果がない訳ではない。目と鼻の先にある数多の銃口が彼らの狙いからたった数センチという差を作り出す。
「うふ」
この間、ヴァレンシア=ハニーハートが指を鳴らしてから、わずか三秒。
状況が絶え間なく変化しているせいで、一〇〇を超える弾丸が悠真とステラを喰いそびれていく。
「どうしても期待してしまうにゃあ。この窮地を丸ごとひっくり返してしまうあなたを」
無視した。
爆発のようなエンジン音を工事現場いっぱいに響かせながら、荻野悠真は純白のバイクを前に走らせていく。直線だろうが曲線だろうが、ここだけは速度が命だ。
トップスピードで駆け抜けた。上手く行けば無事にこの場を脱出できるはずだった。
しかし現実は理想通りにはいかない。
バヅン‼ という衝撃音がして悠真のジャケット、その脇腹部分に穴が空いたのだ。
「ぐっ……ッ‼」
被弾した威力と痛みのせいで、さしもの悠真も純白のバイクの操作を誤りかける。
それでも彼の胴体に腕を回していたステラに弾丸が当たらなかった事に安堵する。そのラッキーは無駄にしない。ギアを上げてフルスロットルで前に突入する。
そして束の間、銃撃が止む。
悠真のバイクがヴァレンシアのすぐ側を凄まじい速度で通過したのだ。働きアリのような構成員、『プレグナント』のダークスーツの男達はお腹の膨らんだギャングのトップに弾丸が当たるのを恐れたのだ。
その逡巡があれば、少年にとっては十分だった。
倒すべき敵の隣を横切る。トカレフを彼女に突き付ける余裕はない。彼女をバイクで轢いても良いが、そのままノンストップでこの場を離脱できるかは怪しい。今はこの場から脱出するのが先だ。
だから一言、これだけ告げた。
「次は潰す」
「ええ、待ちわびているわ」
数百を超える弾丸はギリギリの所で届かない。
そのまま工事現場の機材を踏み台にして、白いバイクは柵を飛び越えて行く。