B-7
「チッ」
このままバイクの速度を上げて繁華街まで逃げ切れば、こちらから『プレグナント』に攻め込める。
そう考えていた。
だが大通りへと出た荻野悠真は、ミラーで背後の様子を窺ってから舌打ちする。
「……来てるな。しかも大型バイクが何台も」
「あれも『プレグナント』でして!?」
「だろうね。あれを撒かない限りは繁華街にあるヤツらの根城に向かう事はできない」
ギアを上げて加速した段階で、後ろのアスファルトから火花が散った。
ミラーで背後を確認する必要もなかった。首を無理矢理に回して後ろを振り返ったステラがこう叫んだからだ。
「マシンガン!? この街ったら銃を手に入れるのが簡単過ぎやしませんの!?」
「その調子だと君も大金を払って『闇市』からリボルバー拳銃を購入したクチか」
追い駆けて来る一〇台以上の大型バイクの乗り手は、その全員がマシンガンを担いでこちらに銃口を向けているようだった。被弾したのだろう、黒いアスファルトや左右の車から次々と火花が散る。
「どうしてヤツら、あの槍を使わずにマシンガンなんか持ち出しまして……?」
「高速で走行しながらたった一発の槍に全てを懸けるなんて非効率だよ。それなら弾丸をばら撒く方が効率的だ」
速度が跳ね上がる。三車線ある広い道路を駆け抜けて行く。
五速までしか使用していなかったギアが最大の六速を刻む。フルスロットルで車と車の間を駆け抜ける。左右に細かく調節を繰り返しながら、純白のマシンが夜のフォルトゥナを横断していく。
「早く何とかしないと背中を撃ち抜かれますわよ!?」
「これだけ車があれば遮蔽物には困らない。狙撃に集中されても別に構わない、片手間で追い着けるほどのドライビングはしないさ」
涼しく告げた直後だった。
ダムッ‼ という爆音と共に白いバイクに物凄い衝撃が走る。平たく言うと、後輪に思い切りマシンガンの弾丸がめり込んだのだ。跳弾で偶然ヒット、とかではなかった。完全に狙撃が成功した直撃コースであった。
そして、後部座席のシートで悠真に必死で摑まるしかやる事がなかったじゃじゃ馬の、いいやじゃじゃバニーガールが喉を痛めるほどに絶叫する。
さて問題。
時速一〇〇キロオーバー。二輪しかないタイヤの一つがパンクしたら一体どうなる?
車でも相当大変な事故に繋がったりするけれども。
「ほォらだから言いましてよ死んだァああああああああああああああああああああああああ‼」
「落ち着けステラ、あと暴れんな車体がブレる」
命の懸かった状況で数センチの揺れは致命的だ。先ほどから周囲の車両とバイクは数ミリ単位で肉薄を繰り返している。看守と囚人が車同士をガッツンガッツンぶつける光景なんてその辺りを歩いていたらいつでも拝めるフォルトゥナでは交通事故なんて珍しくもないが、こちらはマシンガンで背中を狙われている身の上だ。何が死に直結するか分かったものではない。
そしてステラは気付く。
後輪に弾丸がヒットしたはずなのに、横転する気配がない。それどころか白いバイクは速度を上げて信号の下を突っ切って行く。
「ど、どうして……?」
「中にゴムを詰め込んであるタイヤなんだよ。ナビゲーター、損傷率は?」
『ええボス。走行には問題ありませんが、流石に一〇発以上もらえばシーリングタイヤの構造そのものが瓦解する可能性があります。ご注意を』
背後を確認する。
速度を上げているため追い付かれる危険性はまだないが、流石にマシンガンで一方的に狙われ続ける状況は分が悪い。しかも背後からの狙撃によるため、おそらく先に撃ち抜かれるのはステラ=フェストパレスである。
「ステラ、全力で摑まっていてくれ」
「さっきからずうっとそうしていますわよっっっ‼」
三車線ある大通り。高速で車線を変更するだけでも危険が伴う中、荻野悠真は最善を選択する。心臓を摑まれるような、複数の銃口に狙われる嫌な感覚が襲ってくる。それでも一番右の車線に寄ってから、少年は何の躊躇もなくアクロバットを実行した。
地面とタイヤを強制的に噛ませるような耳障りな音が響く。
フォルトゥナでは、信号はあってないようなもの。
そんな中、交差点に差し掛かると同時、さっき撃たれた後輪が浮いた。操作ミスではない。ドライバーが意図して前輪だけで走行を始めたのだ。しかもくるりと車体が回る。一八〇度、勢いと慣性を利用して見事なターンを切ってその場で停止する。
交差点のド真ん中、中央に両足を着けて再びレザージャケットの中から拳銃を引き抜く。
「クラッチ切っとけ」
『かしこまりました』
エンストしないように案内役にオーダーを飛ばすと、隊列を組むように走っていたダークスーツの男達、その先頭の男に銃口を突き付ける。男の方もマシンガンをこちらに向けているが今にも爆発するような死の感覚が身に纏わりついている条件自体は同じだ。
そして死の匂いをより強く感じているのは、きっと『プレグナント』の構成員の方である。
高速で走る車両が巻き起こす暴風を計算し切れていないマシンガンの弾丸が悠真とステラの周囲一帯を火花まみれにする。
台風の目の中央で、白馬に乗った少年は告げた。
「ヒット」
爆音と共に弾丸が飛ぶ。
走行車両のせいで縦横無尽に動く風の間を縫い、鉛の塊が死の香りを膨張させていく。
肩に弾丸を喰らった男が操作を誤り中央分離帯に突っ込んで行く。マシンどころか自分の体を制御し切れずにゴロゴロと転がって行く。しかも中央分離帯を突っ切って反対の道路まで転がり、さらに真正面から軽自動車で轢かれるという副次的結果つきである。きっとブレーキランプも灯っていたし軽い車なので命に別状はないだろう。しばらく病院にお世話になる事請け合いだが、可哀想な囚人にこれ以上構っている暇はない。
隊列の先頭の男を転ばせれば後方の構成員も巻き込まれるかもしれないと踏んでいたが、そこまで上手くはいかなかった。
いつまでも交差点で銃を構えている訳にもいかない。近距離になればなるほどマシンガンの命中率は上がっていく。
再びギアを二速まで戻してから発進する。
だが、そこで予測していなかった事が起きた。
どぅるーん‼ というやけに元気いっぱいなエンジン音が交差点に響くだけで、いつまで経ってもマシンが発進しなかったのだ。
一瞬で犯人を看破した悠真は、こめかみに青筋を浮かばせて腹の底からこう叫ぶ。
「ナビゲーター、いつまでクラッチ切ってんだ馬鹿!? さっさとコントロール返せ‼」
『これは失礼』
この二秒間で何発マシンガンの銃弾が発射されたのか、想像もしたくないのだった。
後輪を滑らせて無駄なく方向転換すると、別の方角の車線の流れへと乗っていく。ウィリー気味に急発進したバイクの後方で凄まじい激突音がする。黒い大型バイクが信号を無視した結果、突っ込んで来た車と派手に接触したらしい。
「このバイク、前輪か後輪を浮かばせないとまともに走行できませんの!?」
「僕も必死なんだ」
止まれば蜂の巣にされて終わりだ。
次の交差点も信号の色を無視して、悠真はアクセルを強く回す。
車の真横に衝突しそうな勢いでバイクを突っ込ませ、次の瞬間には車両同士の『動く隙間』をギリギリで通り過ぎて行く。何かのきっかけで交通の流れが止まれば、それだけで大事故に繋がる速度と行動。
その判断に迷いがないとはいえ、後部のシートに乗っているステラは寿命が縮むほどの恐怖に襲われる。
「大丈夫だよ。何も一か八かで運転している訳じゃない」
腰に回された腕の震えを察知してか、それとも後ろに乗せた人間に告げる常套句なのか。
荻野悠真はさらに速度計の数値を上げながらこう続けたのだ。
「交通っていうのは生き物だ。背後から迫るバイク、信号、ブレーキに車線変更。事前にそれらを察知できれば三秒、いいや五秒後の車両の動きくらい読めるようになる」
「なっ、『プレグナント』のバイクだけではなくその他の車両にも注目していまして!?」
答えはなかった。
その前にさらなる動きがあったのだ。
前方。まるでレッドカーペットを敷くように金属製のシートが敷かれる。当然ただの布ではない。マキビシのように尖った針がぎっしりと道路前面に敷き詰められている。
「っ、スパイクストリップ!?」
背後のステラが驚愕する。
主に海外などで暴走車を走行不能に陥らせるために活躍する設置型のトラップだが、ほぼ確実にタイヤをパンクさせるため、こうして周りへの巻き込みを無視して大通りの車線を全て防ぐなどという事はまずあり得ない。安全な歩道から投げるようにシートを敷いたのは、間違いなく『プレグナント』の構成員だろう。
交通は生き物。
だとすれば、それは血管に栓をされるかのような、悪意に満ちた攻撃だった。
スパイクストリップにタイヤを潰されるのを嫌った運転手が次々と急ブレーキを掛けていく。
「っ」
わずかな焦りが滲む。
車体が初めて迷ったようにブレた。それでもバイクが横転しなかったのは、やはり悠真の腕によるものだろう。ステラが暴れるのをハンドルと体重移動で押さえつけながら、車両の間を縫ってスパイクストリップを踏みつけていく。
スマートフォンのスピーカーからバイブレーションと共に警告音が響く。
『シーリングタイヤの損傷率四六%。ボス、五〇%を超えるとパフォーマンスに影響が出ると思われます』
「くそっ」
小さく呟いてから、再加速して後方の大型バイクを突き放す。
やはり構成員同士で何かしらのやり取りがあるのか、悠真を捕らえ切れなかったと判断すると罠を仕掛けた男がスパイクストリップを素早く回収していく。
一度突き放しても、実は直線では分が悪い。
これは運転技術云々の話ではなく、大型と中型のバイクではエンジンの規模が違うため加速に差が出るのだ。背後から再び太いエンジン音とマシンガンのタタン! タタタン‼ という連射の音が聞こえてくる。
そして唐突にスマートフォンの画面にマップが表示された。
『ボス。最適なルートを表示しましょうか?』
「いらない」
道を曲がる必要があるのは確かだった。
地面ギリギリまで車体を倒しながら次の交差点を左折していく。周囲からいくつものクラクションが爆発してくるが流石はフォルトゥナ、今のは少年の走行している道の方が青信号だったはずである。
荻野悠真も信号無視の常習犯どもに感謝を示すクラクションを飛ばし、フォルトゥナ流の挨拶を交わしておく。
ナビゲーターが気を利かせて周辺のマップを拡大していく。
何度か角を曲がって大通りに出ようとした悠真だったが、目の前に驚きの光景が広がる。
再びスパイクストリップを持ったダークスーツの男が現れたのだ。
「ああくそ『プレグナント』め、どこまで張り巡らされているのかな‼」
ヤケクソ気味にそう叫びつつ、ギアを落として減速する。右足で後輪をロックするとアスファルトの上を滑らせて右折する。背後の大型バイクが徐々に近づく気配が這い寄る。
何となく嫌な流れを察知したのだろう、命綱を握り締めるように悠真にしがみつくステラ=フェストパレスがこんな風に喚く。
「曲がり角もまずいですわよ、いきなり死角からスパイクストリップを敷かれたら確実に踏みつけてしまいますわ!」
「だから大通りに出たいんだ」
青、黄、赤のラインがマップに表示される。
ナビゲーターが気を利かせていくつかのルートを提案してきたのだ。大通りに出るための経路を安全のレベルで色分けしているのだろう。
素直に青のラインに従って大通りを目指す。一度左折して近道を通るルート。
だが直後。
シャーッ! という音が前方で広がり、スパイクストリップを仕掛けるダークスーツの男が現れたのだ。
もはや速度的な問題でスパイクストリップの上を通るのは避けられない。ブレーキを掛けても前輪は確実に罠を踏む。
だから、悠真は思い切り前のタイヤにブレーキを掛けた。
速度を押し殺し切れず、慣性の力で後輪が浮く。ジャックナイフという有名なアクロバット名がついている事を、おそらくステラは知らないだろう。
さらに尻を振るように方向転換を行う。浮いた後輪がトラップの上を通過したところで、次に後輪を地面に叩きつけるように着地する。その勢いを利用して、腕の力で前輪を浮かせる。後輪から前輪へ、シーソーのように浮かぶ車輪が変わっていく。結果、車体をぐるりと三六〇度回して、何とか罠を回避していく。だが確実に避ける事はできなかった。ステラが思ったよりも体を揺らしたせいで、後輪がわずかにスパイクストリップを踏みつけてしまったのだ。
『シーリングタイヤの損傷率四八%。ボス、五〇%を超えるとパフォーマンスに影響……』
「それよりも君のガイドで危険が迫ったこの案件を僕は忘れない。あとでお説教」
『……』
謎の人工知能、脅威のだんまりであった。
今のは偶然。速度に任せて勢いで突っ切っただけのドライビングテクニック。
『プレグナント』側もこうして連続でスパイクストリップを仕掛けていけば、いつか悠真のマシンに限界が来るのを分かっていてしつこく攻撃してきているのだろう。
大通りに出ようが細い道を走ろうが関係ない。
周りにどれだけの被害が出ようとも気にするような人間はこの島にはいない。それがフォルトゥナに溢れる囚人の思考回路なのだ。
次々と裏道を抜けて、やがて逃げ込んだのは巨大な工事現場だった。
下は茶色い砂。まだ建築途中なのか、足場や工業用の車両が大量に設置されているような場所だった。周囲の暗さが不気味な雰囲気を演出しているだけではない。
心臓が。
摑まれている。
辺り一帯にひしめくような影がある。荻野悠真はここを安全だと判断して逃げ込んだ訳ではない。確実にタイヤにダメージを与えるスパイクストリップという罠とマシンガンを持つ大型バイクに攻め立てられてここまで誘導されたのだ。まるで牧羊犬に追い込まれた羊であった。
バイクを停車させた悠真は、周囲の地形を把握する。崖の底のような場所に、工事現場独特の足場を敷設された高い壁。いいや、地形だけではない。工事用の足場や車両、さらには『気配』のする方向まで。
直後だった。
夜間工事でも作業ができるように設置されていた専用のライトが点灯する。
「っっっ‼」
迷いはなかった。彼にしては珍しく、緻密な計算も行わない。
己の感覚を信じて、フード付きのレザージャケットからトカレフを引き抜く。
白い光が場を埋め尽くし、全てが露わになる。
次の瞬間だった。
銃口を突き付ける。
様々な金属の音と共に、死の感覚が工事現場を丸ごと支配した。