Chapter:0008
ちょっと長いです。
「それで、何が目的なわけ」
ぶすくれたままの市香が視線もよこさずにそう言えば、面の下でも市香がよそ見をしているのがわかったのだろう。
バーレスクの横の男が噛みつかんばかりに勢いで睨みつけた。
「お前、その態度をなんとかしろ! 客商売だろうが!!」
「海賊に常識を説かれるなんて思わなかった」
「て、テメェは~!!」
「よせ、からかうなキツネ殿。こいつは冗談が通じないんだ」
実際いくら嫌いだからと言って、逆恨み――しかもかなり子供っぽいことをしていることについては反省している。
しかし如何せんあの時の悔しさを思い出し、どうにもならない怒りがこみ上げてくるのだ。そもそも地頭が良くないので、一生勝てない相手と対峙している気になる。
「俺が頼みたいのは“レイヴンズチェスト”の討伐補助だな」
なんだ、まだ倒していなかったのか。さっさと倒せよ。
懐かしい名前を聞き、市香は脳内で嫌味を言いつつも面の下で目を細めた。
「レイヴンズチェストと言えば、かの有名な海賊専門の海賊? お宝を海中のチェストに後生大事に仕舞い込んでいるというアレ?」
昔の自分とは違う、レイヴンズチェストの情報は多少持っている。
内心でそう思いながら、市香はコンプレックスにまみれた視線をバーレスクに投げた。
「ああ、そのレイヴンズチェストだ。他に同姓同名はいないと思うが。あれに俺の宝を盗られた」
宝を盗られたくらいで追いかけているのだから、さぞかし高価……あるいはバーレスクにとって価値のある物なのだろうと思いながら、市香は視線を天上にやって考え事にふける。
一週間、一日三百万で働くとして、はたしてレイヴンズチェストの討伐補助は妥当だろうか。
かの有名な、というだけあり強いらしい。現に海軍はレイヴンズチェストに出会っても全く近づけもしないと聞いている。しかも何かしらの力を持っており、船守を付けずにたった一人でガレオン船を守りながら操っているという噂もあった。
そうだとすれば、かなり上位の力の保有者ということになる。
未だ敵対したことはないが、もしも市香より優れた能力を持つ者がいたとしたら――それはとんでもなく、骨の折れる作業なのではないだろうか。
面倒な――思わずそういった言葉が頭をよぎり、市香は小さく、しかし長いため息をついた。
「レイヴンズチェストとなれば話は別。会ったことがないからわからないけど、それの能力次第では一日三百じゃ全然足りないわ。海軍の海賊専門部隊が近づけもしないと聞いたことがあるけど、噂が本当だとしたらSSランク以上だもの」
「自信がないのか?」
即座につっこんできたのは、バーレスクの隣に立っていた例の短気な海賊だ。
しかし市香はそちらの方を見もせず、馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「Sランクの依頼とSSランクの依頼が同じ値段で受けてもらえるとでも思っているわけ? 百五十万はAランクまで、三百万はSランクまでの最低価格だから」
「ああ……?」
「SSランクになると最低価格が五百万ガル、SSSランクは一千万ガル、最高価格は天井知らずってこと。例えば国を一人で一晩に一つ落とすとか、依頼の難易度が上がれば上がるほど私を雇う金も比例して増えるの」
これに食いついたのはバーレスクだった。
「国を落したことがあるのか? 価格は?」
「詳細は言えないけど、小国なら数年前に何度か」
価格はその国の国家予算数年分だと言えば、バーレスクは口角をつり上げた。
「強いな」
「私の船守としての能力がね。私自身は子供に突き飛ばされただけで転ぶもの」
市香は自分が強いと思ったことはない。
この世界に来て勝手に付与されていた力がたまたま強かっただけだ。驕り高ぶるつもりはないし、接近戦に持ち込まれたらそこらの子供よりも弱い自信がある。
なにせこの世界の平均身長は高めなのだ。10歳の子供でも百七十センチあるのが普通で、低くとも百六十センチ前後はある。百五十センチにギリギリ届くかという市香の身長では巨人の国に迷い込んだようなのだ。
「ご謙遜なさる」
肩をすくめて困ったように笑うバーレスクに、市香はため息をついた。
「それで……相手がSSクラス以上だった場合の契約は、ひとまず保留でいいかしら? 別途契約をしたいの」
「ああ、構わない」
「あと、盗られたお宝の詳細と原因を言える範囲で共有してくれる? 仕事に必要だから」
腰につけているポーチから記録用のハクの頭骨を出す。これにはハクという魔獣の魔力が残っており、望んだ時に録画録音できるという優れものだ。定期的に自分の魔力を足せば半永久的に使える。
「お前が積極的に叩きに行くならまだしも、お前の仕事は船守だろう? 守るだけなのに、なんの情報がいると言うんだ」
バーレスクが不思議そうにそう言うので、市香は少しだけ肩をすくめてみせた。
「私とあなたの討伐補助の認識が違うようだけど、船守協会の常識だと船守は非戦闘員と戦闘員にわけられているわ。つまり“戦える者は戦って船を守れ”ってこと。私は一応戦闘員の区分」
「お前はさっき弱いと言っていただろうが。船を守ってくれさえすれば、あとは俺たちがやる」
「弱いと言っても何もできないわけではないのよ。能力を守るためだけに使うのは勿体ないもの」
ほんの少しムッとしたように、市香は腕を組んで片足に重心をかける。
「言ったでしょう? 国を何度か落としたって。最近落とした国はそう前の話じゃない。雪解け前には終わらせたもの」
静まり返る部屋に、生唾を飲み込む音がする。
「……化物め。まさか常雪ハルクロウ公国血塗れの一夜はお前の仕業か」
青ざめた顔でポツリと呟いた船員の男に、市香は何も言わない。
数ヶ月前の仕事は“常雪の国初めての雪解けは血によるものだ”とかなり有名になった。今でも時折新聞に情報が載るほどだ。少し情報に詳しい者がいれば実行犯が誰かなどわかりきっていたが、誰も真相には触れないようにしていた。
「……まあ戦えるならいい。だが与えられる情報はない。レイヴンズチェストが普段海底に住んでいることは子供でも知っているほどの常識だしな。つまり嘘ってことだ。それ以上の情報を持っているやつがいるとすれば、今頃レイヴンズチェストも檻の中だ」
「確かに」
「見つかったところで海軍も本気では追いかけていないだろうさ。なんてったってレイヴンズチェストは海賊専門の海賊だろう? 一般人は襲わない。海軍は頑張らずとも海の治安を守れるし、民の間でも“海賊を減らしてくれる”ってヒーロー扱いってわけだ」
「まあね。それに確か、なんらかの力でコロコロ外見を変えるのでしょう? すぐに見つけるのは無理ね」
そう、そこが問題だった。
いわく、レイヴンズチェストは老人だとか、いや青年だったとか、“自称見た人たち”の意見はコロコロ変わる。
あまりにも話が違うので、最近では記憶を操作する技があるに違いない、という話まで出てくる始末だ。その能力は未知数で、一部では悪魔と契約したのではとすら言われている。
だが先日海軍が偶然レイヴンズチェストの海賊狩りを目撃した際、彼が姿形を変えるのを目撃した。そこからようやく、レイヴンズチェストは記憶の操作ではなく見た目を変えて生きているのだという話が広まった。
「謎の多い男だという話は聞いていたけど、そうなってくると性別すら怪しいわね。それで、盗られたものは?」
「…………」
すぐに答えが返ってくると思っていたが、それがない。
考え事をしながら壁を眺めていた市香は、なかなか反応がないことを訝しんでバーレスクを見上げた。
「……何? 盗られたものは? それを言ってもらわないと仕事ができないんだけど」
「……指輪だ。数年前、俺がまだ海賊ごっこをしている時に盗られたものだ。もう何度かやりあっているが、全くレイヴンズチェストには敵わん」
少し言いづらそうな反応に、女かと内心でため息をつく。
「まず強力な船守がいると思ってな。数年前にお前の協会に選りすぐりの船守を借りようとしたんだが、その時は断られた」
知っている。目の前で見ていたのだから。
だがそれは言わず、市香は無言で続きを促す。
「仕方がないから他の協会にも足を運んだが、これまた軒並み断られてなあ」
「でしょうね」
「それでモグリの船守をかき集めたが、この間レイヴンズチェストと出くわした時に疲労させて全滅させられたというわけだ」
「攻撃ではなく?」
「いいや、能力の使いすぎだ。あの化物は眠りもせず何日も一人で攻撃を打ち込んでくるからな」
事務的な報告をするかのごとく淡々と話すバーレスク。
横の船員の男も特に感情の動きはなく、手に持った銃をくるくると回しながら窓の外を眺めている。
「で、どうしたもんかと彷徨っていたところに、噂のキツネ殿が雇われているというガレオン船を見つけたというわけだ」
「……狙っていたのね」
「最初は海賊らしく横取りをするつもりだったが、どうしたことか。お前が船を飛び出してきて、しかも雇われ先が海賊なんかに襲われているっていうのに、ち~っとも加勢しないもんだからな。ああ、喧嘩別れしたのかと」
運が良かったなあと笑うバーレスクに対し、市香はどこまでも運が悪かった己に舌打ちする。
「まあ、こちらの事情はそんなところだ」
「……それで、今、レイヴンズチェストはどこにいるの?」
「知らねぇ」
市香が非難がましく首を傾げながら目を細めるが、バーレスクは本気で言っているようだった。
「いや、本当に知らないものは知らん」
「あなた一週間で何をするつもりだったわけ? レイヴンズチェストを見つける前に契約期間が終わるわよ」
「その時は延長だ」
「お断りだわよ」
「また海神協定を使うさ」
鼻で笑い、バーレスクが肩をすくめる。
「……流れ弾には気をつけなさい」
「おお、怖い」
大げさに身をすくめてみせるバーレスクに、市香は顔を引きつらせながら悪態をついた。